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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第四章 なんだか気になります…。
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44 落ち着いて。


「ごめんね、言いにくいこと訊いちゃって。」


肩に抱き寄せた蒼井さんに謝った。


感じる体温と小さな重さ。まとめた髪の下にのぞくほっそりした首と肩。


大事な蒼井さんを自分が慰めているのだという実感が、軽い酩酊に似た感覚を引きおこす。


(すごい、俺……。)


まさか自分にこんなことができるとは思わなかった。


泣きだした蒼井さんがあまりにも可哀想で見ていられなかった。何かしてあげたいと思った。そして、気付いたときにはこうやって……。


だけど。


……だけど。


(このあと、どうすればいいんだ……?)


瞬間的な衝動と高揚感が落ち着くと、途方に暮れてきた。次に何をすればいいのだろう。


このまま泣き止むのを待っていればいいのだろうか? いや。何か言った方がいい気がする。でも、何を?


(なんだか気まずい気がしてきた……。)


とりあえず、頭に浮かんだことを言ってみよう!


「え、ええと、だいじょうぶ、だよ。あの、泣かないで。」


(ああ……。)


こんな言葉しか出て来ないのか。それに、まるっきり棒読みだし。ちゃんと伝わっているのだろうか。言葉も。俺の気持ちも?


(ああ、情けない……。)


ここまでやっておきながら途方に暮れるなんて。


しかも。


(だんだん恥ずかしくなってきたし!)


ここはスーパーの入り口の横だ。いくら道路から引っ込んでいるとはいえ、明るくて、人の出入りもある。ああ、今も人が出てきた。それに、道路の向こうの駅からもぞろぞろと人が。いったいどんな顔をしていればいいのか。


(まさか、いきなり突き放せないし……。)


自分から手を出しておいて、「恥ずかしいから離れて」なんてできるわけがない。それに、蒼井さんはどう思って――。


(はっ! そうだった!)


蒼井さんは前下さんにつきまとわれて困っていたのだ。その相談に乗るために、宗屋と二人で今日の食事会を計画したのに。沈みがちだった蒼井さんを楽しませてあげたかったし、そのあとなら、蒼井さんが悩みを話しやすくなるだろうと思って。


(なのに、こんなことをするなんて。)


冷たい汗が出てきた。


直接触ってる……というか、本人の了解も無く抱き寄せてるのだから、前下さんよりもタチが悪い。これでは蒼井さんの悩みを増やしてるだけじゃないか。なんて馬鹿なんだ!


(ん?)


手の中の頭が動いている?


「あの。」

「は、はいっ。」


返事と同時に手をパッと離した。いかにも「やましいことなどありません!」という素振りで両手をパーに広げて。姿勢を戻した蒼井さんは、そのまま顔を上げずに言った。


「あの、もう大丈夫、です。すみません。」


そして、ぺこりと頭を下げた。


「い、いいえ、あの、こちらこそ、その、すみません。」


俺もペコペコと謝る。そんな俺を蒼井さんが上目づかいにちらりと見てから首を横に振った。


「いいえ、宇喜多さんは悪くないです。わたしが……ちょっと……」


言いかけてうつむいたまま、軽く握った手を唇に当てる。


(そんな!)


体がカーッと熱くなった。同時に、心臓をわしづかみにされたような痛みと息苦しさが襲って来た。


(いや、ちょっと待って!)


こんな蒼井さん、初めてだ。


今まで見ていた彼女の可愛らしさは、もっと無邪気で幼いそれだった。でも今は。


この、羞恥と遠慮が入り混じった表情。ちらりと見上げては、目が合った瞬間に驚く様子。慌てて伏せてしまう瞳。膝の上で握り締めた両手。今までとは <かわいい> の質が違う。


なんだかもう、何がなんでも抱きしめてしまいたい!


「わたしが泣いちゃったのがいけないんです。ごめんなさい。」


しっかりと言い直した蒼井さんが丁寧に頭を下げる。その前で煩悩と戦っている俺は……。


「あの、謝らないでください。ね? 俺が無理に話をさせようとしたんだから。」


(ああ。もっと女性経験が豊富だったら!)


こういうとき、二人の関係を前進させるようなことが言えたらいいのに! その一言で、蒼井さんが俺に身も心も任せてもいいと思ってしまうくらいの決め台詞を! どうして俺はもっとうわついた学生生活を送って来なかったんだろう?!


(いや、それより。)


ここは言葉よりも行動だろうか?


(って! 何を考えてるんだ、俺は!)


今日は悩んでいる蒼井さんの相談に乗るために一緒に帰って来たのに。その俺がそこにつけ込むようなことを考えるなんて! なんて見下げ果てたヤツなんだ!


(あ。)


つ、と、蒼井さんが顔を上げた。それから。


「ありがとうございます。」


にっこりと微笑んだ。恥ずかしそうに。そして……嬉しそうに。


(まずい。)


本当に手を出したくなってきた。


「え、ええと。」


膝の上にあったカバンを立ててみた。アイスを食べたばかりなのに、また体が熱い。


「とりあえず、歩きながら話そうか。」


体を動かさないと危ない気がする。




ゆっくりと歩きながら、蒼井さんは前下さんのことを話してくれた。


ほぼ毎朝、かもめ駅で一緒になること。区役所まで一緒に歩いて行くこと。そして、それがつらいこと。


話しながら、彼女は一瞬泣きそうになったけれど、慌てて「大丈夫?」と言った俺を見上げると、微笑んでうなずいて話を続けた。


蒼井さんは、前下さんの態度や表情が苦手なのだと言った。何か、どこか、距離を取りたくなるところがある、と。俺と宗屋も彼女に対する前下さんの態度には気付いていたのだから、本人がそれを感じ取るのも自然なことだ。


彼女が本当に困っているのは、前下さんが悪い人じゃないということのようだった。一緒にいるときにも、特に思わせぶりな話をするわけではないらしい。でも、二人きりでいることは居心地が悪い。


その話しぶりから、彼女が自分の感情と世間の評価とのあいだで板挟みになって苦しんでいる様子が伝わって来た。仕事ができて性格も良い前下さんに拒否の感情を持つことを悪いことのように思っているのかも知れない。


話はほぼ予想どおりだった。けれど、それを聞いているうちに、俺はなんだか切なくなってしまった。


彼女は単に「職場の先輩だから言えない」のではなかった。前下さんを公平な目で見ようとしているのだ。心が「嫌だ」と思っても、それは公平ではないと、自分の気持ちを抑え込むべきだと思っている。それはもしかしたら、蒼井さんが仕事をする中で身に付けてきた性善説から来ているのかも知れない。


でも、自分の感情を強制的に修正しようしても無理だと思う。


今まで過ごしてきた学生生活の中で、誰かが嫌いだとか、「生理的に無理」などという話はたびたび聞いた。俺も、「あいつは受け入れられない」と思った相手がいる。


そういう感情を抱くことは、人間として仕方がないことだと思う。世間一般の評価とは違う気持ちを持つことも、当然ある。


もちろん、それを表現するかどうかはまた別の話だ。俺たちはみんなどこかしらで、そういう不一致による居心地の悪さをごまかしたりあきらめたりしながら生きているのだろう。落としどころを見付ける、というか。


でも、蒼井さんは自分の感情を「善」か「悪」かで判断しようとしているように思える。たぶんそれは、彼女の真面目さと経験の少なさから来ているのだろうと思う。いつか花澤さんが言っていたように。


「ちょっと待ってね。」


公園の角を曲がったところで、頭の中を整理するために立ち止まる。蒼井さんの家に着く前に、何か方法を考えてあげたい。今夜は彼女が安らかに眠りにつけるように。


蒼井さんが隣から静かに俺を見上げてくる。その顔には期待とあきらめが入り混じっているようだった。


あきらめつつも俺を信じてみようと思ってくれているのだろうか。そんな彼女の素直さに、役に立ちたい気持ちがぐっと高まった。


「あのね、」


どういう順番で話そうかと考えてから口を開く。


「前下さんに近付きたくないって思うことは、べつに悪いことじゃないんだからね?」


すると、蒼井さんは思いきり目を丸くした。


「いいんですか?」


やっぱり彼女は、自分の気持ちに罪悪感を抱いていたのだ。


「思ってしまうことは仕方ないよ。」

「悪い人じゃなくても?」

「うん。みんなに『いい人』って言われてる人でも、どうしても好きになれないことってあるよ。」

「でも……。」

「それに蒼井さんは、好きじゃないからって意地悪しているわけじゃないよね?」

「それはさすがに失礼だから……。でも、少しは態度に出ちゃってるかも……。」


そばの家から何か言い合う声がした。俺たちの声も聞こえているかも知れない。車がやって来たので、よけながら公園の中に入ることにした。


がらんとした公園は、設置された街灯が夜の闇をそっと押し退けていた。道路とのあいだに設けられた植え込みが壁の役割を果たしている。静かで落ち着いていて、個人的な相談をするにはとても都合が良さそうだ。


「好きじゃないのは仕方がないことだとして、」


落ち着いたところで話を続ける。


「対処方法を考えてみようか。」

「はい。」


素直にうなずいた蒼井さんのほっとした様子に俺もほっとして、思わず微笑んでしまった。







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