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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第四章 なんだか気になります…。
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41 初めてのお出かけ…のあとは。


「おい、宇喜多。どうだったんだよ?」


月曜の朝、職場で顔を合わせるなり宗屋が言った。


「上手くいったのか?」

「『上手く』って、何が?」


何を知りたいのかはもちろんわかっている。蒼井さんと出かけたことだ。でも、話したところで何を言われるか予想がついている俺としては、あまり詳しく報告したいとは思わない。


「土曜日だよ! 姫と二人で出かけたんだろう? 首尾はどうだった?」

「予定通り出かけたよ。で、帰って来た。」

「何もしないでか?」

「『何も』って……!」


金曜日に宗屋がほのめかしたことを思い出し、思わず想像力があらぬ方向に動き出す。


「ふ……。」


そっと息を吐く。カウンターを拭く手を止めずに気持ちを落ち着かせる。


(こんなところでうろたえたら負けだ。)


朝らしいさわやかな表情を作って宗屋に向けた。


「川浜大師にお守りを買いに行って、それから都内をひと回りしてきたよ。」

「なーんだ。それで終わりか。」


宗屋があきらめたような、馬鹿にしたような口調で言った。


「ま、宇喜多だもんなあ。それで上出来ってところか。」


(なんだと!)


ロッカー室に向かう宗屋の背中に向かって叫ぶ。胸の中で。


(何度も近付いちゃったんだからな! いつもより甘えた感じでかわいくてさ! それに、蒼井さんは俺と出かけるためにわざわざ新しい服を買ったんだぞ!)


でも、こんなことを自慢するのは俺のやり方じゃない。だから、ロッカー室から出てきた宗屋に言ったのは一言だけ。


「まあ、夕食は一緒に食べたけどね。」

「へえ。」


感心したような顔をした宗屋に、どうだ、と思った。


「そこまで引き延ばせりゃ大したもんだ。」


(!!)


やっぱり馬鹿にされている。


それっきり、宗屋は土曜日のことは尋ねない。そうなってみると、今度は話したくなってくるから不思議だ。でも、訊かれもしないことを話すのは、浮かれているみたいで嫌だ。


(もう少ししつこく訊いてくれたっていいのに。)


表側は世間話をしながら、胸の中がもやもやする。


「おはようございます。」

「おはよう。」


蒼井さんの明るい声と一緒に、今朝は男の声がした。顔を上げると、蒼井さんのとなりに前下さんがいた。


「あれ? 今日はご一緒ですか?」

「ああ、うん。」


笑顔で答える前下さんに、蒼井さんはよそ行きの微笑みで会釈して、さっさとロッカー室へと歩いて行く。


「駅で会ってね、偶然。」


その背中を目で追って説明してから、前下さんは俺に微笑みを向けた。


「土曜日は川浜大師に行ったんだって?」

「え? あ、ああ、はい。」


(もう蒼井さんに話を聞いたのか。)


それはそうだろう。俺たちが出かけることは金曜日に話していたのだから、月曜日の朝の話題にのぼるのは自然なことだ。特に前下さんは気になっていたことだろう。


でも、蒼井さんが簡単に前下さんに話してしまったのかと思うと、少し面白くない。


「新しい車はどう?」

「なめらかで運転しやすいですよ。長く乗っても疲れないし。」

「長く?」


対抗心で付け加えた言葉に、前下さんが予想どおりの反応を示した。


「ええ。川浜大師のあと、都内をひと回りしたんです。蒼井さんが見たいものがあって。」

「へえ。」


前下さんは変わらず笑顔だ。でも、かすかに目を細めたのは、俺の態度を見極めるためか。


「でも、カーナビにまだ慣れてなくて迷ったりしたので、遅くなっちゃったんですよ。あははは。」


失敗談だけど、その実は自慢話。俺は蒼井さんとこんなに長く一緒にいたんだぞ、って。


「ああ、ああいうのって慣れるまでが少し面倒だよね。」


おだやかにそう返すと、前下さんは自分の席に向かった。少し悔しがらせることはできただろうか。


(……って。)


前下さんに自慢なんかしてどうするつもりだ。自分の優勢を主張したいのか?


(それは……そうだよ。)


俺は蒼井さんが好きなんだ。ほかの人に取られたくないんだ。だから。……だから。


ロッカー室から出てきた蒼井さんが、ちょこちょこと小走りにやって来た。今日は水色のスカートに白いブラウスで仕事用の服だ。でも、俺たちにはおとといの楽しかった時間がある。お互いに服は仕事用だけど、俺たちの関係は先週とは違うはず――。


「おとといは、ありがとうございました。」

「え、あ、ああ。」


カウンターの向こうで、ぺこりと頭を下げられた。その礼儀正しさは予想外で、とても驚いた。


「い、いいえ。僕の方こそ、付き合ってもらっちゃって。」


慌てて「僕」なんて一人称も飛び出す。最近は蒼井さんに対しては使っていなかったのに。


「あ、あの、」


おとといの親しみのこもった時間の名残が見えないかと探してみても、どこにも見つからない。蒼井さんはもうおとといのことは、どこかに片付けてしまったのだろうか。


焦った気持ちが、彼女の反応を求めて言葉になる。


「また行きましょうね。……何か面白いものでも見に。」

「あ、はい。」


(あ……。)


素直に微笑んでくれてほっとした。とりあえず、出かけたことを後悔している様子は……ない。


(だけど……。)


税務端末のスイッチを入れている蒼井さんをこっそりと見る。いつもと変わらない生真面目な表情、ピンと伸びた背筋。


(俺のことを特別には思ってくれてないのかなあ……。)


彼女の態度に今までと変わった様子は見当たらない。おとといは気持ちが近付いたと思っていたのに、秘密を共有するような目くばせとか雰囲気も何も無くて。


(あーあ。)


雑巾を洗いながらぼんやりと考えた。


(たった一回じゃ、候補者扱いしてもらえないかなあ……。)


俺は浮かれ過ぎなんだろうか。蒼井さんにとっては何でもないこと?


(それとも……。)


ここが職場だからだろうか。また二人だけになれたら、かわいらしい態度で接してくれるのか?




仕事が始まってからも、蒼井さんの様子が気になって仕方がない。俺のことをどう思っているのか、彼女の態度から推し量ろうとしてしまう。


こんなことなら、思い切って告白した方がいいような気がしてくる。でも。


(やっぱりまだ言えないよなあ……。)


無邪気に俺を信じてくれている蒼井さん。俺の本当の気持ちを打ち明けたら、きっとびっくりするだろう。


そのあと、喜んでくれれば嬉しい。でも、そうじゃない可能性だってある。


俺を恋愛の対象とは見ていない場合、俺の立場は前下さんと同じく警戒すべき相手だ。しかも、席が隣同士である分、余計に都合が悪い。


蒼井さんに緊張を強いることになる。責任感が強いから、そんな理由で仕事を休んだりはしないだろうし。


(だよな……。)


俺が葵に告白したとき、彼女は部活を何日か休んでしまったのだ。俺と顔を合わせるのを避けるため。そのままマネージャーを辞めてしまうのではないかと不安になり、慌てて彼女にお詫びの電話をかけたのだった。


それからだ。葵とそれまで以上に仲良くなったのは。


有り難いことに、葵の俺に対する信頼は、その後も損なわれることがなかった。そして俺はもう彼女に隠すことなど無いし、気取ってみせる必要も無くなった。それが今の関係をつくったのだ。


でも、だからといって、蒼井さんにふられてもいいと思っているわけじゃない。むしろ、今はあのときよりも気持ちがずっと深いところから湧いてきているような感じで、それを失いたくないと切実に思う。


だから簡単に伝えることができない。


「宇喜多くん、さっきまわって来た決裁なんだけど。」

「は、はい。」


原さんがパソコンの画面を見ながら話しかけてきた。


文書や経理の決裁は税務システムとは別の庁内LANにシステムが組み込まれている。文書を各自のパソコンで作成し、システムに登録して決裁をまわす順番を入力すると、自動的に文書が回されていくのだ。


「月と決裁ルートが間違ってるから差し戻すよ。」

「え、はい、わかりました! すみません!」

「チェックはしっかりね。」

「はい。」


(ちゃんと見たつもりだったのに……。)


蒼井さんのことを考えすぎて注意不足だったのだろうか。原さんに余計な手間をかけさせてしまった。


(しっかりしなくちゃ。)


文書のシステムを開いて――。


「宇喜多さん、ちょっといいですか?」

「あ、はい。」


今度は蒼井さんだ。


「このメモなんですけど……。」


差し出されたのは、蒼井さんが席をはずしているあいだに受けた電話のメモ。


「このお名前の方、いくら探しても見つからないんですけど、間違いありませんか?」

「え、すみません。」


慌ててメモを受け取る。


(間違えて書いちゃったのかな?)


書いてある名前は『サワダミナコ』。その下に電話番号。


(間違いない…気がする。)


聞いたときに復唱して確認した。声に出した記憶も「サワダミナコ」だ。けれど、相手も俺の声が聞き取れていなかったという可能性もあるわけだし……。


「すみません。電話で確認したときには『サワダミナコ』さんで間違いないと……。」

「え? サワダさん?」


蒼井さんが目を丸くした。


「え、ええ。サワダさんですけど……。」

「やだ、ごめんなさい!」


パッと、蒼井さんが俺の手からメモを取った。それを大きな目で見て。


「てっきり『サクダ』さんかと!」

「え……。」

「ごめんなさい! サワダさんなら書類があります! すみません!」


(ああ……。)


そうだったのか……。


「俺が悪いんです。字が下手で……。」

「そんなことありません! 本当にすみません! 失礼しました!」

「いえ、そんな……。」


(恥ずかしい……。)


子どものころから俺は字が下手だった。だから、ここに来てメモをよく書くようになってからは、読みやすい字を心がけていた。でも、今日は気が緩んでいたらしい。


「これからは大丈夫です! この文字が出て来たら、「ワ」か「ク」のどちらかだってわかりましたから! もうばっちりです!」


蒼井さんの明るいフォローが逆に情けない気持ちを増幅させる。


「念のためなんですけど、これは「7」と「9」のどちら……?」

「……それは「9」です。」

「ですよね! そうだと思いました! これでもう宇喜多さんの文字の解読は完璧です! これからはいくらでも読めますから!」

「すみません……。」


(ああ、情けない……。)


がっかりしながらパソコンに向き直る。


(まだまだ未熟者だ……。)


こんな状態なのに蒼井さんに告白することを考えているなんて、俺はなんて浮かれた馬鹿者なんだろう。仕事がきちんとできない半人前を、蒼井さんが認めてくれるわけがないじゃないか。しかも、前下さんと張り合っているつもりだなんて、思い上がりも甚だしい。


(まずは仕事だ。)


俺はそのためにここにいるのだから。


早く一人前の職員になる。蒼井さんのためじゃなく、市民のために仕事をする。それが市役所職員の義務だ。


(そうやって努力していたら……。)


蒼井さんも認めてくれるといいな……。







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