33 ◇ 酔ってますね。 ◇
(これ、何の意味があるんだろう?)
ネクタイの輪っかを二人で持って。
わたしを守ってくれているつもりなのかな? でも、簡単に手を離せてしまう。もしも後ろから襲われたりしても――。
(やだ、こわ。)
さっき宇喜多さんに言われてから、暗い道が気味悪く感じる。植え込みや塀の陰に誰かが潜んでいるような気がして。
(もっと宇喜多さんの近くを歩こう。)
あんまり道の端を歩きたくない。
(あ。)
こっち向いた。
笑われてる気がする。怖がってること、ばれちゃった?
(でも……。)
なんだか楽しそう。
いつもと違う。かなりご機嫌な様子。お酒を飲ませすぎちゃったかな。
だって、ネクタイでこんなことをするなんて変だもの。それに、すごーくにこにこしてる。たぶん、酔っ払ってるんだ。さっきは柱にぶつかっちゃうし。
(少し過保護だし……。)
そう。まるで小さい子の心配をするみたいに。今までだって、残業でこのくらいの時間になったことはあったのに。
お酒には強いって聞いていたからたくさん勧めてしまったけれど、紹興酒とウィスキーをかわりばんこに飲ませたらいけなかったかなあ……。
(でも……。)
酔ってても、このくらいならいいな。それに、楽しそうな宇喜多さんを見るのは楽しい。
「あ、そう言えば。」
わたしの声に、宇喜多さんがこちらを向いた。
「宇喜多さんの車、明日の夜に来るんでしたね。」
「あ、そうです。土曜日のテニスはお迎えに行きますよ。」
やっぱり嬉しそう。そりゃあ、新しい車がくるんだものね。
「ありがとうございます。でも、明日からまた雨続きみたいですよ。」
「あれ? 本当に?」
「梅雨ですもんね。雨だとコートが使えないから練習は中止になりますね、きっと。」
「………。」
難しい顔をして黙ってしまった。初ドライブだから楽しみにしていたのかな。でなければ、テニスができないことが残念なのかも。
(ん? また笑顔にもどった……?)
「蒼井さん。」
「はい。」
「どこかに行きましょう。」
「は……?」
練習が無いから? 一緒に? 二人で?
「ええと、それは……?」
どういうお出かけなんだろう。何も目的が無さそうだけど。
「試運転というか、慣らし運転みたいなものです。」
「ああ。」
なるほど。新しい車を買ったらそういうこともするのね。
「もともと蒼井さんを乗せる予定でしたし。」
「ええ。」
「家も近いですし。」
「そうですね。でも」
続けて「そういうのって、好きなひとを乗せるものではないですか」と言うつもりだった。でも、言えなかった。だって。
(誘えないんだ……。)
そう。それは無理。
宇喜多さんが好きなのは葵先輩。そして、葵先輩には彼氏がいる。宇喜多さんとも仲の良い相河先輩が。
「嫌ですか……?」
「え……?」
(そんな顔するの……?)
責めるような、拗ねたような、それでいて……甘えるような? まさか宇喜多さんにこんな顔をされるとは思わなかった……。
(なんか……かわいいんだけど。)
思わず口元がゆるんでしまう。まあ、男の先輩に向かって「かわいい」とか言っちゃうのは変だよね。……というのは置いといて。
どうしよう?
「ええと、嫌なわけでは……。」
「そうなんですか?」
(わ。)
一気に明るい顔になった!
「じゃあ、行きましょう?」
(やっぱりかわいいかも。)
そんなににこにこされたら断れない。
「そう、ですね。」
でも、わたしでいいのだろうか。
(……いいのか。)
宇喜多さん本人の希望だし、もともとわたしは乗る予定だったのだから。
(あ。宗屋さんもだ。)
きっと、明日の朝に宗屋さんも誘うつもりなんだ。それなら迷う必要は無いよね。
「行きます。」
わたしも心置きなくにこにこした。
仕事もテニス部も離れて三人で出かけるなんて初めて。このメンバーなら楽しいに決まってる!
(あ、着いた。)
わたしの住んでいるアパート。階段は向こう側の横、そして、わたしの部屋は二階の一番こちら側。その窓を宇喜多さんが歩きながら見上げた。
「今日も電気が点いてますね。」
「ええ。」
その横顔に返事をしてから自分の部屋を見上げる。遮光カーテンの隙間から、細く光が漏れている。
「帰ってすぐに灯りをつけたら、わたしがあの部屋で一人暮らしだってわかってしまいそうだから。」
今の世の中、どこに危険人物がいるかわからない。部屋を突き止められて、待ち伏せされたりしたら嫌だ。
「二階まで一緒に行きます。蒼井さんが無事に部屋に入るまで見届けますから。」
静かな声と静かな微笑み。さっきまでとは違うやわらかい温かさがふわりとわたしを包み込む。不意に、鼓動が怪しげなリズムをきざみ始めた。
(なんで?)
宇喜多さんはただ心配しているだけ。ほかの意味なんか無い。だいたい、宇喜多さんとわたしじゃ、全然釣り合わない。
「あ、これ……。」
アパートをまわり込み、階段の下で気付いた。二人で持っているネクタイ。このままでは上りにくい。
宇喜多さんはわたしからネクタイを握った自分の手に視線を移して首を傾げた。忘れていたのかな。
(あ。笑った。)
にっこりと。楽しそうに。
「結んでください。」
「え? 何結びで?」
それに、何のために?
「違いますよ。俺にネクタイを結んでください。途中で落とすといけないから。はい、これ持って。」
「え、でも。」
「鏡が無いと自分ではできないんです。」
受け取りはしたけれど、ネクタイの結び方なんか知らない。とりあえずは今の輪っかをはずしてみるけれど……。
「あの、わからない、です。」
「適当でいいです。もう暗いですから。」
そう言って宇喜多さんが屈んだ。
(わ。近い。)
ドキッとした。すぐそばで目が合った宇喜多さんがにこっと笑う。まるで「良い子だね」って言うみたいに。
(は、恥ずかしい。)
とにかく首に掛けなくては始まらないのは確かだ。恥ずかしがっていないでやらなくちゃ。
バッグを肩に掛け直し、両手に持ったネクタイを宇喜多さんの頭の上から「えい」と首の後ろにまわした。立ち上がった宇喜多さんの襟はちょうどわたしのおでこくらいの高さ。背伸びをしながらネクタイを襟の下に押し込んでみる。
「ふっ。」
(ん?)
かすかに聞こえた声に顔を上げたら、宇喜多さんはどこか遠くを見ていた。でも、笑いをこらえているのははっきりわかった。
「すみません。くすぐったいですか?」
「あ、いや、大丈夫。」
でも、首のあたりをもそもそいじられたらくすぐったいのは間違いない。
「急ぎますね。適当でいいんですね?」
「はい。」
襟のまわりはこれでいいことにしよう。あとは結べば良いのだけど。
(最終的な形はわかるんだけどなあ……。)
とにかく何かやってみないと。でも、スニーカーの紐みたいな結び方じゃダメだ。
(さっき、宇喜多さんがネクタイをはずしたときは……。)
簡単に抜けたみたいだった。ってことは、片方に巻き付けてあったのかも。
「ん〜〜〜〜。」
右? 左? よくわからない。
でも、ぐるっと回して。
(あ。こんな感じかも。)
最後に穴を通してみた。すると、見覚えのある三角形に近いものが。
「できました♪」
嬉しくなって声が弾む。宇喜多さんが下を向いて確認している。わたしもあらためて見直すと……。
(違う。)
首回りが緩いし、結んだ先が短くて二本になってる。普通は隠れている細い方が、太い方と同じ長さで垂れ下がっていて……変だ。
「ありがとうございます。」
(え、いいんだ?)
「じゃあ、二階まで。」
「え、あ、はい。」
全然気にしてないみたい。相変わらずご機嫌だ。確かにもう暗いし、「落とさなければいい」っていう目的は達成していそうだ。
階段を上り切ったところで宇喜多さんが立ち止まる。わたしは小声であいさつをして、廊下をひとりで進む。玄関を開けて振り返ると、宇喜多さんが笑顔のままで手を振ってくれた。感謝を込めて頭を下げて、ドアを閉める。
「ふう。」
ほっとしたつもりだったのに、急にドキドキしてきた。だって、とっても近かった。
(そうだ。お見送りしなくちゃ。)
部屋を突っ切って表側の窓へ。カーテンをよけて鍵を開け、窓から顔を出してのぞくと、ちょうど宇喜多さんが道路に出てきたところ。
(ありがとうございました。)
わたしの心の声に応えるように、宇喜多さんがこちらを向いた。思わず勢いよく手を振っていた。
(おやすみなさい! 気を付けて!)
軽く手を上げて合図が返ってくる。暗い夜道を白いシャツの背中が遠ざかっていく。
(やっぱり楽しそうかも。)
大股で、手に持ったカバンを大きく振って。あの宇喜多さんが後ろ姿まで楽しそうだなんて、お酒って本当にすごい。
窓を閉めながら、頬がちょっと熱くなっていることに気付いた。その途端、さっきの場面が頭に浮かんできた。宇喜多さんにネクタイを締めようと奮闘している自分が。
(う、わ。なんか……恥ずかし。)
他人が見たら誤解してしまいそう。それに、やっぱり近かった。服だとは言え、触っちゃったし。宇喜多さんは平気だったみたいだけど、やっぱりそれもお酒のせい?
(あ!)
あさって、着て行く服が無い!
仕事の服か普段着しか無い。休日に仕事の服は着たくないし、あんまりヨレヨレの服じゃ申し訳ない。買いに行こうと思っていたのに、仕事が忙しくてすっかり忘れてた。
(明日の帰りに買いに行こうかな。)
それがいいかも知れない。仕事帰りじゃ時間が短いけれど、葵先輩と一緒に見たお店をまわれば何か見つかるんじゃないかな。一日中、自分の服を気にしているのは嫌だし。
(うん、そうしよう。)
それに、あさっては宇喜多さんの新車のお祝いみたいなものだから。
葵先輩の代わりは無理だけど、宇喜多さんが明るい気分で運転できるようにしてあげたい。




