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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第一章 社会人になりました。
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03 蒼井さん


ロッカーや給湯室などの案内のあと、奥の打ち合わせスペースで、原さんから係内の業務や税務システムについて教えてもらった。


簡単にまとめてあるレジュメや市民向けに発行されている冊子などを使い、初心者の俺でもわかるように考えてくれたらしい。俺のために自分の仕事の時間を割いてもらっていると思うと、早く覚えて一人前にならなくちゃと思う。


けれど、時間が経つにつれて、簡単に一人前になどなれないような気がしてきた。教わっても教わっても、新しいことが次々と出てくるのだ。説明を聞いているうちに、単語だけがぐるぐると頭の中を飛び回っているような状態になってしまった。


(俺、大丈夫なんだろうか……。)


四時過ぎにレクチャーが終わり、自席でパソコンにメールの設定をしながらぼんやりと不安になってしまう。


俺への説明を終えた原さんは隣で自分の業務に戻っている。右隣の蒼井さんも無言で帳票のチェックをしている。向かいに座っている先輩たちも、それぞれ仕事に集中している。俺だけがまだ仕事が無くぼんやりしていても良い状態で、それが逆に焦りを生む。


プルルルル……。


(電話だ!)


思わず背筋が伸びた。


「はい。かもめ区役所税務課、蒼井です。」


(ああ……。)


その声を聞きながら自信がなくなる。俺がまだ仕事ができなくて、その分、蒼井さんは忙しいのに。でも、俺が出ても結局はほかの誰かに頼るしかないわけだけど……。


「それでは住民票の担当課におつなぎします。そのままお待ちくださいませ。」


そう言い終わったときには、すでに蒼井さんは内線番号を確認済みだった。すぐに電話機のボタンを押すと、相手に用件を伝えて電話を切った――と思うと、くるりと笑顔をこちらに向けた。


「疲れました?」

「い、いいえ、大丈夫です。何もしていませんから……。」


口に出した途端、それが事実過ぎて申し訳なくなった。思わず下を向きそうになる。


「あ、そうだ、お茶入れましょうか。宇喜多さん、緑茶、紅茶、コーヒー、どれがいいですか? あ、冷たい麦茶もありますけど?」

「あ、いえ、そんな、自分でやりますから。大丈夫です。」


忙しくしている先輩にお茶を入れてもらうなんて、とんでもない!


(いや、そうじゃないよ!)


これくらいは俺が役に立たないと!


「あの、僕がいれてきます。給湯室はさっき原さんに教えてもらいました。蒼井さんは何がいいですか?」

「あ、わたしたちは自分でやることになってますからいいんです。」


笑顔で辞退されてしまった。


「今はちょっと息抜きになるし、宇喜多さんはまだ今日はお客様と同じですから。」

「いえ、でも。」


しゃべりながらさっさと立ち上がる蒼井さんに、俺も慌てて立ち上がる。そこで彼女がにっこりした。ほっぺたがきゅっと膨らんだ子どもっぽい笑顔に、また微かなギャップを感じる。


「じゃあ、一緒に行きましょうか。」

「は、はい。」


彼女と一緒に階段前にある給湯室へ。そこのキャビネットには親睦会費で購入したお茶類と茶器が入っている。冷蔵庫に自分用の飲み物を入れている人もいる。


「いろいろ不安になりますよね?」


蒼井さんがリスのイラストのマグカップ――きっと自分のだ――と来客用の湯飲み茶わんを出しながら明るく話しかけてくれる。


「でも大丈夫ですよ。わたしだって、こうやってどうにかやってるんですから。何にします?」


尋ねながら蒼井さんは自分のカップに紅茶のティーバッグを入れた。


「僕も紅茶にします。」


微笑んでうなずいた蒼井さんの動きをしっかり見守る。砂糖とクリームの場所、スプーンの場所、電気ポットの使い方、ゴミの捨て方。みんなが気持ち良く使うためには、決まりを守る必要がある。それに、いつか原さんや蒼井さんにお茶をいれてあげることがあるかも知れないから……。


「あちちちち。」

「あ、あ、すみませんっ。」


取っ手の無い湯飲み茶わんが熱かったらしい。どうしたらいいのかと俺がおろおろしているうちに、蒼井さんは湯飲みを台に置いて、ふうふうと手を吹いた。


「あの、大丈夫ですか?」


俺のためにやけどをされたりしたら申し訳なさすぎる!


「ああ、大丈夫です。」


笑顔で言ってくれたけど、強がりではないのか……?


「わたし、熱いのダメなんです。飲むのも触るのも。」


説明する様子が落ち着いている。自分のカップにお湯を入れる動作も問題はないようだ。


「やけどじゃなくて良かったです……。」

「ごめんなさい、びっくりさせちゃって。」

「い、いえ、そんな。」


謝られるようなことではないのに……と思っている前で、蒼井さんはスプーンでカップをかき混ぜて、そのまま蛇口の下に。


(え? 水?)


ぼんやり見ていた俺に気付いて、にっこり笑う。


「電気ポットのお湯だと熱すぎて飲めないんです。何度も舌をやけどしちゃって。」


笑顔で肩をすくめる彼女。その笑顔にはどこか引き込まれるようなところがあって、気付いたら俺も微笑んでいた。


(やっぱり子どもっぽいよなあ。)


笑顔だけじゃない。湯飲みが熱くて指を吹いている姿とか、猫舌だからといって水で紅茶をうめちゃうところとか。仕事をしている姿とはかなり雰囲気が違う。


「宇喜多さんなら大丈夫ですよ。」


給湯室から出ながら蒼井さんが振り向いて言う。


「きっと、あっという間にわたしよりも仕事ができるようになっちゃいますから。」

「まさか! それは無理ですよ。」


いくら何でもそれは絶対に無い! というよりも、追い付くのだって何年かかるか不安だ。


「そうかなぁ?」


(あ。)


軽く首を傾げる姿。そして、その口調。これこそが本当の蒼井さんだ……と、瞬間的に思った。自然に出た飾らない表情と言葉遣いこそが。


「でも、やっぱりきっと、すぐに追い抜いちゃうと思います。宇喜多さん、とっても頭が良さそうだし、真面目に努力しそうですから。」


不思議なことに、彼女の口にした「真面目」という言葉には居心地の悪さを感じなかった。子どもっぽい笑顔と一緒にすんなりと胸に入って来て、同時に楽しい気分になった。


(あんまり気にしなくていいみたいだ。)


気持ちが軽くなったら、口も少しなめらかになった。


「確かに、僕の取り柄は真面目なところみたいですから。」

「『みたい』、なんですか?」


蒼井さんがからかうように微笑む。


「僕はそんなつもりは無いんですけど、周りはみんな、真面目だって言うんです。」

「ああ! それじゃあ、本当に真面目なんですね! 楽しみ!」

「え? 楽しみですか?」

「はい。だって、面白そうじゃないですか。」


蒼井さんは盛大ににこにこしている。


(真面目が「面白そう」だなんて。なんか……楽しいひとだ。)


仕事ができるだけじゃない。親切なだけじゃない。


とても楽しい個性があるひとだと思う。







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