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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第三章 一人前への道は険しい。
24/156

24 ◇ 新しい気持ち ◇


最近、毎日があっという間に過ぎて行ってしまう気がする。次から次へと朝が来て、気付いたらテニスの練習の日が来てる。


(仕事が忙しいからかも知れないけど……。)


そう思いながら、ファミレスで一緒にお昼を食べているテニス部の人たちを見回してみる。みんなが笑顔でいるこの場所。そこに一緒にいられるだけで楽しくなる。


そして。


宗屋さんと宇喜多さん。今日は休日用の服装で、特に宇喜多さんは雰囲気が若返っている気がする。


この二人は、今ではかもめ区役所の中で一番たくさんおしゃべりする相手。二人が税務課に来てから出勤が楽しみになった。テニス部の練習も。もう二人ともすっかりみんなに馴染んでいるから、二人にとってはわたしの存在は意味が無いかも知れないけれど。


(でも、今日は宇喜多さんに教えてもらったし。)


前に言ったことをちゃんと覚えていてくれたみたい。鮫川さんと一緒に初心者のコーチに入ってくれた。休憩のときには、わたしと宗屋さんにどこを気を付けたら良いのか丁寧に教えてくれて。


宇喜多さんの教え方はとても論理的。形だけじゃなくて、どうしてそうするのかということから説明してくれる。すると、頭の中に絵や画像が浮かんできて、イメージをはっきりつかむことができる。そのイメージを自分の体で再現するのは簡単ではないのだけれど、一本だけとてもうまく打てたボールがあった。打った瞬間に自分でもわかるほど手ごたえが違っていてびっくりした。


「蒼ちゃんも今年は職員大会に出てみたら?」


鮫川さんが突然言ったので驚いた。


「やだ、鮫川さん! 無理に決まってるじゃないですか! サーブだって全然入りませんよ?」

「うん、でも大会は秋だから、どうにかいけるんじゃないかと思って。職員大会だったら、そんなに上手くなくてもいいじゃん? 試合に出ると上達するよ?」

「いえいえ、『上手くなくても』って言っても限度がありますよ。わたしと当たる人に申し訳ないです。」

「ねえ、蒼ちゃん、ダブルスだったらどう? 俺と組んでさあ。」


(うわ、前下さん?)


苦手だし、杏奈さんの前でそんな申し出を受けられるわけがない。今日は粟森さんもいるからもっと無理だ。ほら、視線が怖いし。


「前下さんは上手過ぎて、とてもダブルスを組む勇気はないですよー。ますます緊張して動けなくなってしまいます。」


お断りは笑顔で。本当に、そんな恐ろしい申し出をしないでほしい!


「じゃあ――」

「ねえ、前下さん。それだったら、あたしと組んでほしいなー♪」


(出た、粟森さん。)


杏奈さんの言葉を遮るとはさすがだ。そして、あの女子力全開の雰囲気。


(すごい。)


わたしにはとても真似できない。


粟森鈴乃さんは前下さんの同期だ。短大出身、前下さんより二つ下。杏奈さんよりも一つ上。


この粟森さんも前下さんのファンだ。……というよりも、はっきり言って、前下さん狙いでテニス部に入っているというのが正解だと思う。だから、粟森さんが参加している日は、杏奈さんとのあいだで激しい前下さん争奪戦が繰り広げられる。


でも、杏奈さんと粟森さんは、タイプがまったく違う。


杏奈さんはもともとテニスをやっていて、テニスそのものも楽しんでいる。けれど、粟森さんはそうでもない。わたしと一緒に初心者グループで練習していても、上達したいという気持ちがあまり見えない。練習そのものも休みがちだし、来ても「無理〜」「できな〜い」の連発。そして、前下さんが休憩に入ると、自分の練習をほったらかして行ってしまう。スタイルが良くてウェアはばっちり決まっているから、前下さんと並ぶとサマになるのは確かだ。でも、それは杏奈さんとでも同じこと。


前下さんは気付かないのか慣れているのか、そんなことはまったく気にしていないらしい。だから、さっきみたいな発言が飛び出してくる。杏奈さんはわたしが前下さんを苦手なことは知っているから気にしないでくれるけれど、粟森さんは対抗心をあらわにするので困ってしまう。区役所内での人間関係を円滑にしておきたいのに……。




「ふう。」


解散後、電車に乗って座ったら、思わずため息が出てしまった。今は宇喜多さんしかいないので、緊張が一気に解けたみたい。


「疲れましたか?」


隣に座った宇喜多さんが声をかけてくれた。顔を上げると、いつも職場で見ているよりもリラックスしたやさしい笑顔だった。


「んー、今日はちょっと。」


言ってから、小さくもう一つため息。


「練習、きつかったですか? いろいろ言い過ぎたかも知れませんね。」

「あ、違います!」


そうだった。今日は宇喜多さんに教えてもらったんだった。


「練習は全然平気です。とてもわかりやすかったし、少しだけど上達できそうな気がしてきました。」

「そう言えば、ナイスリターンがありましたね。」

「あ、そうなんです!」


覚えていてくれたんだ!


「ラケットに当たった瞬間、すごく気持ちが良かったんです。そうしたらボールがちゃんと飛んで。」

「それが続くようになるといいんですよね。蒼井さんは素直だし、練習熱心ですから、コツをつかんだらちゃんと上手くなりますよ。」

「うーん、どうでしょう? 頭で考えるのと体を動かすのは別な気がします。でも、上達しないと教えてくださるひとに申し訳ないから、なんとか上手くなりたいです。」

「え? 自分のためじゃなくて?」

「自分もちょっとは。」


答えながら自分で笑ってしまった。上手くなりたい理由がコーチからのプレッシャーだなんて、よく考えたら変だ。


「大丈夫です。蒼井さんは上手になりますよ。」

「そうでしょうか……?」


気休めで言われているのかも、と、宇喜多さんの表情を確認。でも、やさしい笑顔は変わらない。


「蒼井さんは練習で手を抜きませんから。粟森さんは難しいと思いますが。」

「ああ!」


粟森さんと比べているのか。真面目な宇喜多さんは、粟森さんみたいなタイプの人には判定が厳しそう。


「粟森さんはあれでいいんですよ。ご本人が満足しているんですから。ふふ。」


たぶん、前下さんに教えてもらうという名目で近付きたいのだ。でも、宇喜多さんは……首を傾げて考え込んでいる。


「上手くならなくて何が楽しいんでしょう。俺にはわかりません。」

「いろいろな人がいますから。」

「そうなんですね……。」


そうやって考え込んでしまう宇喜多さんも、いろいろな人の一人だと思う。わたしはそういう真面目な個性は良いと思っているけれど。


横崎駅でお別れだと思ったら、宇喜多さんがラケットショップに行くと言って一緒に電車を降りた。


「久しぶりにやったら、新しい道具が欲しくなっちゃって。」


と。


スポーツ用品店で適当にラケットを選んだわたしには、「ラケットショップ」という響きが専門的でかっこよく聞こえた。驚きながら感心していたら、宇喜多さんが「一緒に行ってみますか?」と誘ってくれた。そんなところに一人で行く勇気は出そうになかったので、せっかくのお誘いにしたがうことにした。


横崎駅は大きな駅で、たくさんのお店や会社がある。大きく東口方面と西口方面に分かれていて、JRの改札口がある広い中央通路で結ばれている。一日中、人がたくさん行き交っていて、就職したばかりのころは人混みを上手く歩けなくて苦労した。


(あ……。)


宇喜多さんと並んで歩きながら、ふと気付いた。


(わたし、普段着すぎるかも。)


半袖のシャツにジーンズにテニスシューズ。こういう服装の人も歩いているけれど、みんなもう少しおしゃれだ。特に若い女の子たちは。


(なんか、宇喜多さんに申し訳ない気がする。)


わたし一人ならそんなに気にしない。でも、わたしを連れている宇喜多さんは……。


話しながら様子を見ても、気にしている気配は無い。たぶん、わたしの服のことなど気付いていないのだろう。


でも、こんな姿の女の子と歩いている宇喜多さんを、気の毒だと思うひともいるかも知れない。知り合いに見られて、あとで何か言われてしまうかも知れない。そんなことになったら悪い。


(帰りに服を見に行こうかな。)


練習の帰りはいつも一緒に電車に乗るわけだし。もうちょっとちゃんとした服を。


そう言えば、あのレモン色のカーディガン、誰も派手だって言わなかった。あれが大丈夫なら、仕事でももう少し綺麗な色の服を着てもいいかな。


(うん、そうだ。)


ちょうど季節の変わり目だし、帰りにひとまわりしてみよう。







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