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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第三章 一人前への道は険しい。
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23 いつまでもモヤモヤします。


窓口当番の一日が終了の時間したときはくたくたに疲れていた。窓口とプリンターの往復よりも、声を出したことの方が体力を使った感じがする。


席に戻ると、みんなもぐったりしていた。でも、蒼井さんが俺に声をかけてくれた。


「あのお客様、大きな声でしたね。宇喜多さん、びっくりしたでしょう?」


原さんも思い出したようだ。


「そうそう、助けに行けなくて悪かったねえ。ちょうど電話に出ていたものだから。」


二人の言葉が胸に沁みた。さっきは古森さんも慰めてくれた。みんなが俺を気遣ってくれていると思うと、つくづく良い職場に配属されたなあと思う。


「いいえ。田巻係長が来てくれましたから。」


あのまま俺だけで相手をしていたら、どうなっていたかわからない。


「僕は頭に血が上っちゃって、あんまり上手く考えられなくなってたみたいです。なんだか言いがかりをつけられてるような気がしてしまって……。」

「まあ、あの言い方じゃあ、そう感じても仕方ないでしょ。」


古森さんがフォローしてくれた。


「俺だって、相手の態度にムカッとくることあるよ。何年やっててもね。」

「そうなんですか……。」

「わたしは怒鳴られるとやっぱり怖いです。ドキドキしてしまいます。」


蒼井さんが両手を胸に当てながら言った。


「あと、ものすごく意地の悪い言い方をする人もいますよね?」

「ああ、いるいる! もう、ねちねちねちねち、ずーっと言い続けてね。腹立つよねえ。」

「でも、特別扱いなんてできないもんね。頑張って説明するしかないんだよね。」

「そうそう。融通が利かないって文句言われるし、こんなに嫌味を言われるんなら希望どおりにした方がどんなに楽かって思うこともあるけどさあ、勝手に曲げられないもんねえ。」

「だよねえ。『きちんと守ってくれてる人がこんなにいるんですよ!』って言いたいときもあるけど。」

「怒った顔もできないですもんね。」

「そんなことしたら、かえって長引くからねえ。」


みんなそれぞれに言い合ってうなずいている。ということは、嫌な思いをするのはめずらしい話ではないということだ。


「もうさあ、ああいう人は銀行でもお店でもあんなふうなんだって思うしかないよね。」

「ええ。わたしもそう思うようにしています。」


原さんの言葉に東堂さんが同意した。


「そう思わないと精神的なダメージが大きくてやっていけないわよ。」

「え〜、高品さんでも?」

「当然よ! あたしは繊細なのよ。見ればわかるでしょ? 古森さんとは違うの。」

「俺かよ?!」


ふざけたやりとりにみんなが笑い、一緒に笑った俺も気持ちが軽くなった。


「でも、」


蒼井さんが少しあらたまった様子で話し出した。


「わざわざここに足を運んでくれたってことは、税金を納めようと思ってくれたってことですもんね? 『ご苦労さまです』って思わなくちゃいけないですよね?」

「まあね。」


古森さんが苦笑する。蒼井さんは自分を納得させるようにうなずきながら続ける。


「わざと払わない人とか、税金をごまかそうとする人だっているじゃないですか。でも、来てくれた人は少なくとも払おうと思ってくれたんですもんね? せっかくだったら気持ち良く払ってもらえるようにしたいですよね。」


(「気持ち良く」か……。)


彼女の言葉に目から鱗が落ちる思いがした。


言われてみればそのとおりだ。払わないつもりなら、最初からここへは来ないはずだ。来てくれる人は、払おうと思ってくれた善良な心の持ち主なのだ。


(さすが蒼井さんだ……。)


大いなる性善説とでも言うべきか……。


「でも。」


と、そこで蒼井さんは両手を頬に当てて情け無い顔をした。


「怒鳴られたらやっぱり怖いです〜。」

「だよね。」


原さんが明るく笑った。





みんなとの会話でかなり気が晴れたと思っていた。


けれど。


夜になってみたら、あの出来事が思っていたよりも尾を引いていることに気付いた。


怒鳴られた場面がふとした拍子に頭に浮かんでくる。まるでその場に戻ったような臨場感で、そのたびにドキドキしたり、頬に血が上ったりする。


寝るまでずっと、自分がどう対処すべきだったか考えたり、言い返したい言葉が浮かんできたりした。自分の何かが悪かったのだろうかと考えたりもした。


古森さんが、俺のことも少しは認めてくれたと言ってくれたことが少しは慰めになった。でも、実際になだめたのは係長で、俺が何を言っても通じなかっただろうという気がする。すると、悔しさと憤りが胸の中にドロドロと渦巻いてくる。眠るころには、今までの人生でこれほど嫌なことはなかったと思うほどになっていた。


それも仕方がないと思う。だって、他人からあんな一方的な怒鳴られ方をしたのは初めてだったのだから。


それでも、翌朝になってみると、気持ちはずいぶん落ち着いていた。ただ、またあんなお客様が来ることがあるのだと思うと、ちょっとばかり仕事に行くのが嫌な気がした。けれど、今日もまだ電話も来客も続くだろうし、ほかの先輩たちも同じ経験をしてきたのだ。俺だけが甘えて休むなんてことはできない。


それに、出勤すれば、始業前のひとときがある。あの二人と話せば、きっと気持ちが楽になる。蒼井さんや宗屋との時間がこれほど切実に必要だと思ったのは初めてだ。


こんなに思うということは、二人の存在が俺にとって欠かせないものになっているということなのだろう。




思ったとおり、蒼井さんと宗屋は俺の気持ちを明るくしてくれた。


宗屋は冗談で俺と蒼井さんを笑わせ、蒼井さんの笑顔と笑い声で胸の中があたたかくなった。前下さんとの車選びの話も、嫌なことを忘れるのに効果があった。そして、仕事が始まってしまえば、いつまでも前日のことをくよくよと考えている暇は無かった。


なのに。


夕方、三木山様から電話が入った。


電話を取ったら、いきなり「係長いるか?」と大きな声で言われ、一気に、また苦情かと嫌な気分になってしまった。それでも明るく名前を尋ねると、ぞんざいに「三木山だけど。きのうの。」と言われて、胃のあたりが苦しくなった。ただ、俺の声も名前も覚えていなかった様子だったことは、正直言ってほっとした。


田巻係長も、電話に出るときに気を引き締めるような顔をした。けれど、話し始めてみたらたちまち笑顔になり、「いいんですよ、そんなこと」などと言っている。


電話が終わると係長がぶらぶらとやって来て「納付書が見つかったんだって」と教えてくれた。奥さんが家計簿にはさんで忘れていたそうだ。「よく探さずに怒鳴り込んで悪かった」という、お詫びの電話だったそうだ。


それを聞いて、みんなほっとした。俺に「大変だったよね」とも言ってくれた。俺はそれに「はい」と答えた。


でも。


俺の気持ちは収まるどころか、逆に納得できない思いでいっぱいになってしまった。


他人に怒鳴られるなんて、とても嫌な経験だった。それに、そもそもこちらのミスではなかったのだ。


わざわざ電話で謝ってくれたことを思えば、そんなに悪いひとじゃないということはわかる。窓口で騒ぎにしないためには、相手の落ち度をさぐるようなことは言えないということも頭ではわかる。でも、俺の中でどうしても、悔しい気持ちがくすぶってしまう。「そこまで我慢しなくちゃならないのか」と。


俺はこんなに根に持つ性格だったのだろうか。それに、こういう理不尽なことがこれからもあるのかと思うと、どうしても気分が沈む。


「原さんはお客様に言い返したこと無いんですか?」


残業のとき、思わず尋ねていた。


「いや、あるよ。」


案外あっさりした答えが意外だった。


「前の職場でさあ、給付関係の苦情を言って来た電話で、『自分は高い税金を払っているんだから、優遇されて当然だ』みたいなことを言われたんだよね。」

「えぇ?」


信じられない! 税金というのはそういうものじゃないのに!


「その人は年金と不動産収入があって、生活には困ってないはずなんだ。その人の二分の一とか三分の一の収入で家族四人で生活してるっていう家だってたくさんあるんだよ。なのに、入院するのに特別室に入りたいからどうにかしろって。」

「特別室……。」

「そもそも特別室のお金は出ないし、収入が低い人のための制度しか無いんだ。そう説明したら、『ろくに税金も払わない人にさらに役所がお金を出す必要があるのか』って。」


なんてことだろう! 生活が苦しいひとを馬鹿にしていると思う!


「それって、極端な言い換えだけど、貧しいひとは医療を受けるなっていう意味だよ。あれはものすごく腹が立ったよ。」

「それでどうしたんですか?」

「思いっきり冷たい口調で、『それはどういう意味ですか?』って訊き返してやった。」

「上手いですね。どうなりました?」

「何かもごもご言い訳して切れちゃったよ。俺が怒ってることがわかったんだと思うよ。」

「そもそも自分勝手な要求ですしね。」

「うん。自分でもそれに気付いたんじゃないかな。」


(すごいな、原さんは。)


たった一言で無理な要求を引っ込めさせるなんて。俺だったら理屈で相手をやり込めるようなことを言ってこじれさせてしまうかも知れない。


「そんな人に比べたら、」


反対側から蒼井さんの声がした。


「督促状で文句を言ってくるくらいの人たちはずっと良いひとですね。」

「蒼ちゃんはやっぱりそこに行き着くんだね。」


原さんがやさしく笑った。


「だって、そう信じた方が楽ですよ。」


蒼井さんが微笑んで答える。


「疑うってすごくエネルギーを使います。でも、『悪い人じゃない』って信じると自然に親切にできます。」


(なるほど……。)


つまり、彼女の持つ性善説は、彼女自身を納得させるためのものなのだ。


「確かにそうかもね。」


原さんが笑って同意し、俺もそのとおりだと思った。……信じられれば。


でも、今の話で気付いたことがある。


原さんが電話の相手に言い返したのは、生活が苦しいひとのために怒ったからだった。でも、俺の気持ちが収まらなかったのは、自分が怒鳴られて不快だったからに過ぎない。


市民との信頼関係を築くためには、先輩たちの言葉や態度を真似するだけではダメだ。自分の心をどこに置くかを見極める必要があるのだ。


俺はまだ未熟だ。もっといろいろなことを知って、経験を積まなくてはならない。







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