18 帰り道
「本当にすみません。」
梅谷駅の改札を抜けたところで、蒼井さんが恐縮した様子で俺を見上げた。その腕にはペンギンのぬいぐるみが抱かれ、俺もぬいぐるみが入ったビニール袋を二つ提げている。バレー部の連中と別れて、蒼井さんを家に送り届けるところだ。
「大丈夫だよ。そんなに遠いわけじゃないから。」
笑顔で答えても、蒼井さんは申し訳なさそうな顔は晴れない。
高架になっている線路に沿った道を並んでぼんやりと歩く。左側に並ぶ小さな店はもうみんなシャッターを閉めていて、人通りが無い。
(蒼井さんは悪くないのに。)
時間が遅くなったのも、こんなにかさばる荷物ができたのも、蒼井さんのせいじゃない。食事のあとにゲームセンターに彼女を連れて行ったのは俺の友人たちの方だ。それに、俺も楽しそうにはしゃぐ蒼井さんを見ているのは楽しかった。気持ちが和むっていうか……。
「ここを曲がるんです。」
左側の公園に沿って左折。住宅街に入って行く。ここもやっぱり人通りが無い。
「朝、急いでいるときは、この公園の中を斜めに突っ切って走ってくるんです。」
少し笑いながら彼女が説明してくれた。その笑顔にほっとした。同時に、彼女と自分が持っているぬいぐるみたちを思い出し、思わず笑いがこみあげてきた。
ゲームセンターでは相河と尾野がクレーンゲームがやたらと上手くて、競い合うように次々と景品を獲得していった。それを見ている蒼井さんと葵は大はしゃぎだった。気付いたときには女の子二人は山盛りのぬいぐるみを抱えていたのだ。
ぬいぐるみをあげると言われた蒼井さんは驚いて、相河と尾野に、かかった分のお金を払うと言った。でも、二人とももうちゃんと給料をもらっている身だし、ゲームを楽しんだのは自分たちだからいいのだと、さらに、ここは先輩の顔を立てるべきだと言い聞かせて、ようやく蒼井さんを納得させた。そして、その大量のぬいぐるみを持ちかえるために、俺が蒼井さんを送ることに決まった。
(不思議だよなあ……。)
今まで、街中でぬいぐるみを抱いた女の子を見て微笑ましく思ったことなど無かった。どちらかというと、「恥ずかしくないのかよ?」と眉をひそめた方だ。
けれど、今日は違う。
普段は年上の職員の中で頑張っている蒼井さんが、今やっと年齢相応の姿になったようでほっとする。満足そうにペンギンに微笑みかけているところなんて……。
「今日はありがとうございました。」
歩きながら、彼女が俺を見上げた。
「疲れなかった?」
「いいえ、ちっとも。」
笑顔にも疲れた様子は見えない。
「とっても楽しかったです。ホントに。」
そう言って、視線を前に戻した。
「大学に行ってたらこんなふうに遊べたのかな、って思いました。」
その声のトーンにハッとした。一瞬前とは違う、少し静かな声。
そう思って見ると、横顔にどこか諦めたようなさびしさが混じっているように思えた。
(もしかしたら……。)
蒼井さんは、本当は大学に行きたかったんじゃないだろうか。就職なんかしないで。
「大学に行かなくたって遊べるじゃないか。」
思わずそう口にしていた。彼女を元気にしてあげたいと心から思った。
「え?」
思いがけないことを言われたように、サッと俺を見上げた。
「今日、楽しかったんだよね?」
「はい。」
「それって、悪いことをしてるわけじゃないよね?」
「え、ええ。はい。」
「じゃあ、これからだって遊べるよ。」
蒼井さんは小さく「あ」と言って立ち止まった。振り返った俺の目に、ペンギンを抱えて驚いている姿が映る。
「それに、大学に行っても、俺はゲームセンターには行かなかったよ。」
彼女はもう一度「あ」と言い、ぱちりとまばたきをした。
「ほら、行こう。」
――(あれ?)……と思ったときには、すでに自分の右手が蒼井さんの頭を引き寄せるように動いていた。
「あ、はい!」
俺が自分の行動に驚いているうちに、蒼井さんが慌てて俺の隣に並ぶ。その動きで彼女の髪がふわふわと指にかかる。
(落ち着け。落ち着いて。大丈夫だから。)
心臓がドキドキどころか、バクバクだ。それを隠してそっと手を引っ込めて歩き出す。
(何でもない。何でもないんだ。このくらい普通だ。)
しっかりと自分に言い聞かせる。
先輩が後輩をかわいがる行為の一環。そりゃあ、蒼井さんは職場では先輩だ。でも、今日は俺たちの後輩として遊んできたのだから。
なのに、この後ろめたいような動揺はいったい何なのか。そして、触れたときの彼女の驚いた表情が頭から消えないのは――。
「あの。」
隣で明るい声がした。さり気なさを装った微笑みを浮かべて彼女を見返す。
「わたしも行かないかも知れません。」
蒼井さんの無邪気な笑顔にほっとしている。彼女が何も気付かなかったことに。そればかり気にしていたから、彼女の話が飲み込めなかった。
「行かなかったって……?」
「ゲームセンター。大学に行っていても、行かなかったかも。」
彼女は下を向いてくすくす笑った。
(ああ……、そのことか。)
「きっと勉強とバイトで忙しくて、遊んだりする暇なんか無い気がします。でなければ、誘われても二の足踏んじゃうとか。自分とは縁が無い場所みたいな気がして。」
「『縁が無い』か。俺もそんなふうに思ってたなあ。勉強と部活で満足していたこともあるけど、ゲームセンターってお金を無駄に使う場所みたいな気もしてたし。」
「あ、わたしももったいないような気がしそうです!」
「あはは、じゃあ、やっぱり蒼井さんは行かないね。」
「そうですね。」
そして彼女は首をかしげた。それから笑顔を俺に向けた。
「じゃあ、就職して良かったのかも知れないですね? 連れて行ってもらえたから。」
「そうだね。そういうことだって、もちろんあるよ。」
前に向き直った蒼井さんは、満足げに微笑んでいた。その様子を見ていたら、なんだか切なくなってしまった。
だって、わかったのだ。蒼井さんは、本当は大学に行きたかったのだと。
考えてみれば当然だ。九重高校は進学校で、入学する時点で大学進学を希望している生徒がほとんどなのだから。
でも、蒼井さんは何かの事情で就職するしかなかった。以前、原さんが話してくれた採用されたばかりの彼女の様子は、就職したことで希望が無くなったと思い込んでいたことが原因だろう。大学へのあこがれがそのまま失望に変わって……。
「蒼井さん。」
「あ、はい。」
礼儀正しく返事をして、素直に俺を見上げて来る彼女。胸の奥深くから、彼女にたくさん楽しい思いをさせてあげたいという想いがわいてくる。
「何かのときには俺……だけじゃなくて、今日会った三人も、頼ってくれていいからね。どこかに行ってみたいとか、気晴らしに騒ぎたいとか、そんなことでも。」
一瞬、彼女は驚き、すぐに笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。」
けれど、その笑顔もお礼の言葉も、遠慮の気持ちを含んでいることがありありとわかった。
「その様子だと信用してないんだな? どうせ俺なんかじゃ気晴らしの役になんて立たないと思ってるんだろ。」
少し怒ったふりをすると彼女が慌てた。
「い、いいえ、そんなことありません!」
「いや、絶対に思ってたね、さっきの顔つきからすると。」
「いいえ、そんな。」
おろおろする彼女が可哀想になってしまった。難しい顔をするのはこれで終わりだ。
「いつでもいいよ。どんなことでも。」
微笑んで言うと、何秒かの間のあと、蒼井さんは小さく「はい」とうなずいた。
蒼井さんのアパートは住宅街をぬけたバス通りの一本手前にあった。駅からは10分弱。ここからなら、うちまで15分程度で着くだろう。
白っぽいプレハブの二階建てで、彼女の部屋は道路から見て二階の右端。左側の階段を上って一番奥になるそうだ。建物の裏側に外廊下と玄関があるらしい。道路に向いた各部屋には小さなバルコニーがついている。
「遅くなるときは電気を点けておくんです。」
灯りの付いた窓を見上げながら、蒼井さんはそう説明してくれた。
女の子の一人暮らしには防犯上の作戦はいろいろ必要なのだろう。そう気付いたら、急に心配になってしまった。悪意のある人間は、何をどう乗り越えるかわかったものじゃない。
「もし良かったら、階段の上まで見送るけど。」
そう申し出ると、蒼井さんは目に見えてほっとした様子を見せた。彼女だってやっぱり不安はあるのだ。
彼女について階段を上り、二階の廊下の端であいさつをした。ここから歩いて帰る俺に彼女はまた謝り、それからかわいらしくにこにこすると、俺が渡したビニール袋から茶色い犬のぬいぐるみを取り出した。
「この子、お礼です。どうぞ。」
「え? これ? ……ありがとう。」
自分にぬいぐるみが似合うとは思えない。でも、断ろうなんて全然思わなかった。蒼井さんはそんな俺に満足し、ドアから入る前に元気に手を振った。
道路に戻ったところでなんとなく彼女の部屋を見上げると、すでに窓から顔を出していた蒼井さんが手を振ってくれた。俺を見送ろうと待ち構えていたらしい。
少し照れくさく思いながら、もらったぬいぐるみを持ち上げて合図した。
一人になって歩きながら、ときどきその犬をながめてみた。カールした毛で耳が垂れた、少し甘ったれた顔をした犬だ。
「ふっ。」
自分に呆れながら笑ってしまった。だって、こんなぬいぐるみも悪くない、なんて思ったりしているのだから。
(本当に、連れて行って良かった。)
そう思うのは何度目だろう。蒼井さんの笑顔と笑い声が次々と浮かんでくる。足取りも軽い。
(そう言えば。)
いつの間にか敬語を使うのを忘れていた。偉そうな態度をとっちゃった気がするし……。
(まあ、大丈夫かな。)
職場に行けば、職場の雰囲気で話ができるだろう。
それに、俺が蒼井さんを職場の先輩として尊敬していることに変わりはないのだから。




