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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第九章 一緒に幸せに
154/156

154 覚悟を示すとき


(やっぱり緊張するなあ……)


日曜日の午後。蒼井さんの実家へと車を走らせながら、ハンドルを握る手が汗ばんでいる。助手席の蒼井さんも今は黙りがちだ。


「とにかく、俺に任せてよ」


彼女を元気づけるような口調で言ってみるけれど、実は自分を鼓舞するためでもある。なにしろ今朝の夢見が悪かったから。


(怖かったなあ……)


夢の中の蒼井さんのお母さんは、なぜか金髪で大柄な、外国の大統領候補者みたいなひとだった。その人が俺に人差し指を突き付けながら、激しい口調で――ここは日本語で――責めるのだ。「あなたは信用できない」「社会人として半人前のくせに」「娘を傷物にした」などなど。俺が口をはさむ暇がないほど次々と。その前で俺はただおろおろしていただけ。


外見が夢のとおりということは無いだろう。でも、厳しく責められることは十分に有り得る。それは謝りに行くと決めたときから予想していたことだ。それでもものすごく怖かった。黙られても自分の気持ちをきちんと伝えられたかどうか怪しい。


でも。


今はそういうわけには行かない。俺の至らなかったことを謝って、真剣な気持ちだということを分かってもらわなくてはならない。今日の会見に、俺と蒼井さんの将来がかかっているのだから。


(とにかく、許してもらえるまで立たなければいいんだから)


蒼井さんを幸せにするためなら、こんな頭、いくらでも下げられる。





夏に待ち合わせに使ったスーパーの隣のコインパーキングに車を停めた。蒼井さんと並んで歩き出したとき、比較的普段着の彼女と並ぶと、スーツにビジネスコート姿の自分がひどく場違いな気がした。いつもの通勤カバンではなく和菓子の店の紙袋を下げていることも落ち着かない。


時間は午後四時三十分。ほぼ日が暮れた薄闇に白い直方体の建物が並ぶ団地。いくつかの棟を抜けて、蒼井さんがその一つを指差した。


十分ほど前に蒼井さんからお母さんに電話を入れてある。これから行くと言っても「来るな」とは言われなかったらしい。不機嫌そうだったと彼女は言ったけれど、彼女だってかなり不愛想だった。「ちょっと行くから」くらいしか言わなくて。


本当はお母さんは待っていたのではないだろうか。蒼井さんが折れて謝ってくることを。


でも、今日、謝るのは俺だ。蒼井さんはまだ納得はしていない。そして、お母さんは俺が行くことはまだ知らない。


コンクリートの階段を上って三階へ。外廊下に並ぶスチール製のドアは壁と同じ白。階段から二つ目のドア横のインターホンを蒼井さんが押すと、中から「ピンポーン」という音が聞こえた。返事を待たずに彼女がドアを開ける。


「こんにちはー」


彼女が奥に向かって声をかけながら入って行く。玄関のたたきは彼女の部屋と同じくらいか。女性用のサンダルと靴、弟くんのものらしい運動靴がある。今日は紙山さんはいないらしい。


玄関のすぐ前はキッチンになっていて、その横のふすまは閉まったまま。テレビの音が聞こえてくるけれど、蒼井さんのお母さんが出てくる気配は無い。


「どうぞ」


先に上がった蒼井さんが小声で言った。


「お邪魔します」


俺も音を立てないように、こっそりと靴を脱ぐ。まるで昼寝中のライオンの前を通るような気分だ。


(さあ、いよいよだ)


お母さんは俺を見てどんな顔をするのだろう。いきなり怒鳴られてしまうだろうか、あの夢のように。


心臓が速いビートで鼓動を刻む。蒼井さんが「お邪魔します」と言いながらふすまを開ける。後ろからでも彼女の不機嫌さが分かる声だ。


炬燵にあたってテレビを見ていた女のひと――もちろん、蒼井さんのお母さんだ――が頬杖をついたまま興味無さそうにこちらに顔を向けた。髪をショートカットにしていて、丸みを帯びた顔には疲れた表情が浮かんでいる。モスグリーンのセーターが機嫌の悪さを表わしているようにも見えて、俺は覚悟の最終確認をした。


お母さんが何か言いかけ、蒼井さんの後ろにいる俺に気付いて一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。それからハッとした様子で素早く立ち上がり、あっという間に――狭い部屋だったので――蒼井さんの前に来た。そして。


「まあ、ごめんなさい、お出迎えもしないで。春希、お客様を連れてくるなら一言いえばいいじゃないの!」


咎められても蒼井さんは無言のまま。それを気にせず、お母さんは俺に言った。


「狭いところだけど、どうぞ入ってください。今日は特に寒かったわねえ? さあ、どうぞ」

「あ、は、はい」


(予定と違う……)


なんだか調子が狂ってしまった。だって蒼井さんのお母さんは小柄でふっくらした体型で……そして何よりも笑顔なのだから!


「ちょっと待ってね、座布団を出してくるから。なにしろ狭いから使わないものはみんな片付けてあって」

「あの、いえ、あの、お構いなく」


とりあえず、いきなり糾弾される心配はなさそうだ。蒼井さんは部屋の奥側を手で「どうぞ」と示してくれた。


「ほら春希、座布団。コートはこのハンガーにね」

「ん」


お母さんから座布団とハンガーを受け取る蒼井さんはまだ無表情。けれどふと、それはもしかしたら照れ隠しのポーズなのかも知れないと気付いた。


とは言え、どちらにしても、お母さんが俺が来た意味をすでに理解しているのは間違いないだろう。


俺が何も言う前に、二人はキッチンに行ってしまった。仕方が無いので置いてもらった座布団の後ろに正座し、お母さんと蒼井さんが落ち着くのを待つことにする。


キッチンから漏れ聞こえる二人の声の様子では、蒼井さんはそれほど責められてはいないようだ。少し落ち着いて、部屋を見回す余裕が出てきた。


年季の入った本棚や鏡台、テレビ、細かい道具類。生活感にあふれているけれど、それぞれに工夫して片付けてあり、生活スペースは十分に確保されている。蒼井さんの几帳面さはお母さんから受け継いだものらしい。花の写真がいくつか飾られていて、雑多な景色の中に明るさを添えている。苦しい生活ではあっても家庭を心休まる場所にしたいという気持ちが感じられる部屋だ。お母さんはただ厳しいだけの人ではないのだ。


そんなことを思っているうちに、お母さんに少し親近感が湧いてきた。とは言え、まだ気を緩めてはいけない!


二人が戻って来て、お母さんがしきりに詫びながらお茶とむいたリンゴを出してくれた。そしてさっき座布団を取りに行った部屋に声をかけた。弟くんも一緒に顔合わせということになるようだ。


ようやく全員の動きがひと段落し、俺の隣に蒼井さん、こたつをはさんだ向こう側にお母さんと弟くんが畏まって座った。さあ、ここからが勝負だ!


「突然お邪魔してすみません。僕は春希さんと同じ職場の宇喜多雷斗と申します。現在、春希さんとお付き合いさせていただいております」


お辞儀をしながら息を継ぐ。向かい側でお母さんと弟くんもお辞儀を返してくれる。それを確認し、練習してきた言葉を続ける。


「ご挨拶が遅れ、誠に申し訳ありませんでした。僕がご家族のご心配に思いが及ばなかったため、このたびはお母様にも春希さんにも不快な成り行きとなってしまいました。配慮が足りなかったこと、深く反省しています」

「う、宇喜多さん。宇喜多さんのせいじゃないです」


再度頭を下げた俺の隣で蒼井さんがあわてている。それに構わずさらに続ける。


「本日はお詫びとご挨拶に参りました。併せて、今後の春希さんとのお付き合いのお許しをいただきたいと希望しております」


蒼井さんが「お許しって……」とつぶやいた。「そんな家じゃないのに……」


スーツの内ポケットから白い封筒を取り出す。それに蒼井さんが疑問の視線を投げてきたけれど、知らん顔をして手土産の箱の上に乗せ、お母さんに差し出した。


お母さんは「ご丁寧にありがとうございます」と一礼してからそれを受け取り、その場で封筒を開けた。出てきた真っ白な便箋を厳格な表情で確認していく。隣から覗いた弟くんが軽く驚いたように眉を上げた。俺は蒼井さんの問いかけの視線は無視し、お母さんだけを見つめて待った。


お母さんはその便箋を二度、三度と見直した。それからそれを折りなおすと、徐に口を開いた。


「宇喜多さんが真剣な気持ちだということはよく分かりました。でも」


そこで申し訳なさそうに微笑む。


「春希は何もできない子ですよ? 気が利かないし、強情だし、とても扱いにくい子でもあります」


隣で蒼井さんが唇を噛んだ。でも、これは俺には想定内だ。


「僕は春希さんと一緒に仕事をしていて、春希さんが真面目で努力家だと知っています。それに、未熟なのは僕も同じです。一緒に成長していきたいと思っています」

「お気持ちは有り難く思います。でも、それだけじゃなく、うちは」


そこでお母さんは部屋の中を見回した。


「こんな家ですよ? 貧乏だし、わたしは離婚をしています。習慣やものの考え方が、きっと違っていると思うのです」


お母さんが淋しそうな顔をする。


「春希は長女としてずいぶん我慢をしてきました。高校生のときも、塾に行かせてあげることもできなかったし、着る物だってほかの子のように十分には買ってあげられなかった。中学生のころにはもう親に何かをねだることも無くて、学校の集金さえ、申し訳なさそうに手紙を差し出すような子で」


聞いていて分かった。お母さんは蒼井さんにずっと負い目を感じていたのだ。彼女に厳しく当たったのは、その負い目の裏返しと、貧しさから抜け出す(すべ)を身に付けさせたいという思いからではないだろうか。


「だから春希にはもう家族にまつわる我慢や苦労をさせたくないんです。今後、お嫁に行くにしても、我が家とあまりにも差のあるお宅だと気苦労が多いと思うんです。そちらのご家族だって反対なさるかも知れませんよ?」

「僕の家族はすでに賛成しています」


俺の言葉にお母さんが目を見開いた。


「きのう、春希さんを家族に紹介しました。両親も姉も春希さんのことを気に入っています。そして、僕には春希さん以上のひとは見つからないだろうと言っています」


お母さんはゆっくりと蒼井さんの表情を確認し、それから自分の心と対話するように目を閉じた。


やがて目を開けてまっすぐに俺を見つめると言った。


「あなたはこの子で良いのですか?」

「春希さん以外、考えられません」

「春希は……大丈夫なの?」


そう尋ねたお母さんはどこか……縋るような雰囲気があった。


「うん」


蒼井さんは静かにうなずいた。


「それでは……娘をよろしくお願いします」


頭を下げてくれたお母さんに俺も礼で応じる。


「生涯をかけて春希さんを守り、幸せにします」


これこそが俺の使命、そして幸せだから。







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