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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第九章 一緒に幸せに
150/156

150 蒼井さんの誕生日 帰り道


「う……、やっぱり夜は風が冷たい」


梅谷駅の改札を抜けると、蒼井さんが北風に首をすくめた。


「あ、そうだ。手袋、手袋」


独り言を言いながら、コートのポケットから手袋を取り出してはめている。


「宇喜多さんは? 手袋無いんですか?」

「うん。小学校以来、使ったことが無いなあ」

「そうなんですか? 寒くないんですか?」

「いや、そんなことないよ。買うのが面倒なだけで……」


(あ)


答えている間に手を握られていた。毛糸の手袋をはめた手に。


「少しはあったかいですか?」


隣からのぞき込むように俺を見上げる蒼井さん。その瞳が楽し気に踊っている。


「うん」


つられて微笑み返すと、彼女は「う、ふ、ふ〜♪」と歌うように声に出し、つないだ手を前後に振って歩き出した。


(本当に楽しそうだなあ)


こんな蒼井さんを見ていると、俺までスキップしてしまいそうだ。


蒼井さんの初めてのお酒は無事に、そして楽しく終了した。俺の見た感じでは、彼女はそこそこ「飲める」タイプらしい。


梅酒を三種類、つまり三杯飲んでも、見た目はまったく変化が無い。本人は「少しふわふわします」と言ったけれど、口調ははっきりしているし、受け答えもしっかりしている。


ただ、少し笑い上戸になって、素直になっている。それがたまらなくかわいい。


素直に、というのは俺の言うことをきくという意味ではない。彼女自身の気持ちに正直に……と言うのだろうか。


たとえば今みたいに自分から手をつなぐなんていうのがそうだ。そんなこと、素面の蒼井さんなら簡単にはしない。なにしろ蒼井さんの方から俺に触れたのは、俺の誕生日以来、初めてのことなのだ。……まあ、今は手袋越しだけど。


全体的に見て、「喜怒哀楽」の「喜」と「楽」が普段よりも表に出てきている感じ。こういう相手と一緒に飲むのは俺も楽しいし、それが蒼井さんならなおさらだ。


「もう一杯くらい飲んでも良かったかなあ?」


隣で蒼井さんが首を傾げている。


「あはは、まあ、明日も仕事があるからね」

「ですよねぇ……」


考え込んでいた蒼井さんが、今度はくすくす笑い出した。


「ねえ、宇喜多さん?」

「ん?」

「もしもわたしが歩けないほど酔っ払っちゃったら、おんぶして帰ってくれますか?」


こんなふうに甘えるようなことを言われると、思わずニヤニヤしてしまう。


「梅谷駅からならおぶって帰れるけど、電車に乗る前だったらタクシーだなあ」

「ああ、それは申し訳ないですねえ……」


また考え込んでいる。


「あ、そうか!」

「どうしたの?」

「どのくらい飲めるか試すのは、自分の家でやればいいんですねよ?」


(それを考えていたのか……)


そう言えば、店でも言っていたっけ。


「そんなことしなくてもいいんじゃないかな」

「どうしてですか? 限界を知らないと危ないじゃないですか」

「限界って、ある程度は事前に分かると思うよ。それに、体調とかお酒の種類によっても酔い方が違うし、そもそもそんなに飲むつもりなの? 今日くらいでも十分に楽しいと思うけど」

「うーーーーん……」


彼女がちょっと考え込む。


「あのね」


そこで俺を見上げて。


「飲み過ぎたらどうなるか知りたい」

「ぷふっ」


素直な疑問に思わず笑ってしまった。でも、彼女は真面目な様子だ。


「だって、たまに『記憶が無くなっちゃって〜』なんて言う人がいるじゃないですか。でも、そういう人って反省してるようで実際には自慢してるみたいに見えるし、本当は楽しいんじゃないのかなあ? だって、何回もやってるんですよ?」


(あの人のことか……)


隣の滞納整理担当の中にいるのだ、そういう人が。俺の大学の友人にもいた。蒼井さんの言うとおり、反省しているようで自慢気分で話しているというのは間違っていないだろう。


でも俺は、そんな飲み方は好きじゃない。それに、実は周囲を困らせている場合だってあるのだ。


(まったくもう……)


飲める日を楽しみに待っているあいだに、いろいろな憧れを貯めこんでいたらしい。


「蒼井さん」

「はい」


俺の気分を察して、蒼井さんもきちんと聞こうと思ってくれたようだ。


「どんなことにでも興味を持つのは悪くは無いけれど、そんな飲み方はしてほしくないな」

「ダメですか? 楽しくても?」

「楽しくても忘れちゃうんだから意味が無いよ。それに、何が起こるか分からないし」

「家で飲んでも?」

「具合が悪くなっても誰にも助けてもらえないよ、一人だと」


思案を巡らす様子をしたあと、蒼井さんはにっこりした。


「じゃあ、宇喜多さんに見ててもらう」

「え……?」

「宇喜多さんが来て、うちで一緒に飲めばいいじゃないですか。宇喜多さんはお酒強いし。それで、これ以上は危ないっていうところで止めてもらうの。ね? それなら良くないですか?」


(本気で言ってるのか……?)


俺の前で酔いつぶれるまで飲むと言うのか。


(それはヤバい)


いけないと思うけれど考えずにいられない。目の前でそんな蒼井さんを見せられたら。そのうえ、俺も酔っ払っていたら。


「あははは、そんなことしていいの? 襲っちゃうかも知れないよ?」


そうだ。俺は警告はしたぞ。冗談っぽく言ったけど、ちゃんと警告したんだぞ!


「大丈夫です。宇喜多さんなら」


笑顔で返されたけど……。


(それはどっちだ〜〜〜〜〜〜!)


俺になら襲われてもかまわないということか、それとも、俺がそんなことをするはずがないという意味か。


「まあ……、飲み過ぎるのはお勧めしないけど、どうしてもやりたいならその時は呼んでよ。無理だと思ったらちゃんと止めるから」

「はい! よろしくお願いします!」


満足そうな蒼井さん……。


(はぁ……)


胸の中でため息をつく。


だって俺は、判断が緩くなるところまでは飲まないだろうから。そして、彼女が酔いつぶれるずっと前に止めるに違いないから。意識の無い彼女を襲うなんて、チャンスすら来ないはずだ。


(まあ、仕方ないな)


蒼井さんとの関係はお互いに後悔が無いようにしたい。弁解ができないようなことをしてふたりの思い出に傷をつけてしまうのは嫌だ。


アパートの階段を、今日は手をつないだまま上った。まるで当然のことのように。導かれるように。その意味を考える数秒の間に、鼓動が変なリズムになってきた。息も詰まるような気がする。


ドアの前で蒼井さんは手を離し、鍵を開けた。俺にちらりと微笑みを向けて玄関に入り、また手を引っ張った。


「今日は?」


玄関の明かりの下、振り向いた蒼井さんが首を傾げて尋ねる。俺はその意味を間違いなく理解した……はずだ。


「ええと……俺から」


彼女の肩に手をかけようとしたらカバンが邪魔だった。勢いをそがれた感じになったけれど、カバンを下に置くことにした。でも、こんな行為はなんとなく間が抜けている気がする。スマートじゃない。……仕方ないけど。


(よし! いざ!)


今日は彼女の誕生日。これもプレゼントとして……どうか上手くできますように!


肩に手をかける。


彼女が目を閉じた。


ゆっくり。ゆっくり。


焦らずに―――。


(できた……)


ほっとしたら、たちまち夢心地になってしまう……。


気付いたら、彼女を抱き締めていた。唇を離すとふたりのため息がシンクロして、一緒にくすくす笑ってしまった。


「本物の恋人になったみたい」


腕の中の彼女がつぶやいた。


「今までは?」

「恋人の……真似?」

「真似?」

「うん。どうしたらいいか分からなくて、おろおろしてたの」

「ああ」


俺にも分かる。確かにそのとおりだ。


「今日から本物。……蒼井さん?」


呼ばれた彼女が顔を上げた。その唇にもう一度触れる。


「俺、そろそろ帰るよ」

「うん」


けれど、うなずいたはずの蒼井さんは体を離す気配は無い。俺の腕も彼女を抱き締めたまま。


蒼井さんの二十歳の誕生日。無言の時間が過ぎて行く。


心地良く。


静かに。







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