145 ◇ お誕生日の前に ◇
最終章「一緒に幸せに」です
宇喜多さんにお返事をしてから、毎日がとても楽しい。
朝、家を出るのが嬉しいし、電車で会う瞬間はドキドキする。テニスの練習日も待ち遠しい。夜に電話をくれることもあるから、家に帰るのも楽しみ。自分が恋愛でこんなにふわふわした気分になるなんてびっくりだ。
宇喜多さんがわたしを想ってくれている――。
それを素直に受け入れることで、これほど幸せな気分になるとは思わなかった。まるで空気がキラキラしているみたいに。勉強も、卒業への意欲が高まって、レポートと試験のスケジュールを見直してみたりもした。
もちろん、仕事中は今までと変わりなくしている。
それは自分でも意外だった。もっと恥ずかしかったり、気を使ったりしてしまうかと思っていたのだけど。
でも、仕事をしているとやっぱりわたしの方が教えることになるし、そういうときは個人的なことは頭から消えている。宇喜多さんも前と変わらず丁寧語で話しかけてくる。
人目に付くところで仲良くするのは好きじゃないから、こんなふうにけじめを付けてお付き合いできてほっとした。
ただ、宇喜多さんと一緒に帰れる日には、お仕事モードからプライベートに切り替わるときにものすごくドキドキしてしまう。べつに手をつないだりするわけでもないのに、この辺りなら知り合いに見られることも無いかな……と思った途端にどうしたら良いのか分からなくなってしまって。テニスの帰り道はこんなことはないのに。……まあ、そういうことも楽しいのだけれど。
とは言え、ときおり不安も訪れる。それはお母さんのこと。宇喜多さんのことをいつ、どんなふうに話したら良いのか。
まだ何も特別なことはないから、黙っていても差し支えない。だから普段は忘れている。けれど、年末が近付いてきて、思い出す回数が増えてきた。年末年始は実家に帰らなくちゃいけないから。お母さんは年末年始は家族で過ごすのが当然だと思っているのだ。
周囲の人から実家に泊まらないのかと尋ねられたとき、わたしは「狭いから」と答えている。けれど、本当のことを言えば「狭い」というのはわたしの側からの言い訳なのだ。お母さんはそれほどだとは思っていないし、実際にわたしのお布団も敷ける。
独立して初の年末だった去年は、大晦日から一泊にしようと思っていて怒らせてしまった。大掃除やお正月の準備を手伝う気が無いのか、と。
結局、十二月三十日の朝に行き、一月二日の夜に戻ってきた。仕事の休み六日間のうち四日は実家だった。自分の部屋の大掃除は簡単にしかできなかった。
とは言っても、実家では確かにいろいろ仕事があって忙しくしていたし、弟も部活が無くて家にいたから、お母さんにはそれほど気を使わなくて済んだ。実際にその場になってしまえば、想像していたほど嫌な思いをするわけではないのだ。
ただ、自分の部屋みたいに好きなことをしていられるわけじゃない。それに、年明けには紙山さんも来た。一人になれる場所が無いのは思ったよりも落ち着かなくて、みんなでお正月の騒がしいテレビ番組を見ながら居場所が無いような虚しさも感じていた。
今年も同じ日程で帰らなくちゃならないだろう。
自分の部屋の大掃除は十二月に入ったら始めればいい。土日に一か所ずつやれば負担も軽い。でも、向こうにいる間は……宇喜多さんとは連絡を取りにくいのが淋しい。
狭いから、隠れて電話というのは無理だ。メールを書くのに時間がかかっているのを見つかったらお母さんの機嫌を損ねるだろうし、相手を追及されても面倒だ。ふたりで初詣に行ってみたいけど、向こうにいる間は無理だろうな。それとも、友だちと出かけるって言って、文句を言われても出かけてしまおうかな……。
目先の楽しいことにかまけてお母さんのことを後回しにしていたら、十二月に入ってすぐに電話がかかってきた。今月はボーナス月だから、支給されたら送金の電話をするつもりだったのだけど。
「相変わらず連絡が無いけど元気にしてるの?」
「うん、元気だよ。ごめんね、連絡してなくて」
謝りながら、心の中でため息をついた。
お母さんの教育方針は、若い者は年長者に心配をかけないようにするべき、そして、年長者を気遣うべきだというもの。その方針には文句は無いけれど、ことお母さんに関してはわたしはかなり背いている自覚がある。だから、お母さんが嫌味の一言も言いたくなる気持ちは分かる。それに、たぶんお母さんだってわたしのことを心配しているのだろうとも思っている。だとしても、会話の最初からちくちく嫌味を言われると素直な気持ちになれない。
「今月、あんたの誕生日でしょう? 今年は二十歳だからお祝いしようって話してるんだけど」
「お祝い? ……どうもありがとう」
複雑な気分と警戒。
家族が祝ってくれるのはもちろん嬉しい。たとえ気難しいお母さんでも。
でもたぶん、相談している相手は紙山さんだ。当然、紙山さんも一緒にいるということだ。自分の誕生祝いなのに、他人に気を使わなくちゃならないなんて。
そしてさらにまずいのは、先約があることだ。
「でも、十四日は平日だよ? そっちに行くのはちょっと時間が……」
宇喜多さんのことは、今はまだ言えない。先約の相手が彼氏だなんて知られたら、どれほど不機嫌になるか……。
「そう言うと思ってた。だからその前の日曜日ならいいんじゃないかと思って」
「日曜日? ええと……十三日?」
「そう。あんた、いつも平日は無理だって言うから。場所は中華街で」
不安が一気に解消した。日にちが違うのなら何も問題は無い。
「中華街で食事?」
「そうだよ。お祝いなんだからね。あんたには振袖も買ってやらなかったし、美味しいもの食べるくらいはいいでしょう?」
(お母さん……)
申し訳なさで胸が詰まった。
結局、お母さんの厳しさはわたしに対する愛情の一つではあるのだ。社会に出たときに恥ずかしくない人間であるように、という。ただ、わたしがそれに素直に従うことが嫌になって……。
「うん、いいね、中華街で食事なんて。もうお店は決まったの?」
「まだこれから。先にあんたの都合を聞かないとと思って」
「ああ、そうだよね。どうもありがとう」
今度は素直にお礼が言えた。
「紙山さんは広東料理がいいだろうって言ってるんだけど、春希は希望はある?」
「うーん、職場の宴会で行ったことはあるけどあんまり詳しくないから……。でも、辛くない方がいいな」
予想どおり紙山さんも来るのだ。でも、もうそれも、さっきほどは気にならない。
「ああ、史也もいるから辛い料理はちょっとね。……そうだね、お店が決まったらまた連絡するよ」
「うん、分かった。楽しみにしてるね。あと、今月はボーナスだから、入ったら送るね」
「うん……、悪いねえ、いつも。自分で必要な分はとっておくんだよ」
「大丈夫。無理のない範囲でしか送ってないから」
それから弟の高校受験やお母さんの仕事先などの話をして電話を切った。イライラしないで会話を終えたのは久しぶりだという気がした。
(やっぱり家族だもんね)
不満を言い合っても絆はあるのだ。
お母さんがわたしを心配してくれていることは間違いなくて、ただそれも苦しい家計の前では「余分な心配」という存在になってしまっていたのだろう。だから一緒に暮らしていたころは不機嫌なことが多かったのかも知れない。
今はわたしは家を出て自立している。実家でかかる生活費は一人分減ったのだから、以前に比べれば楽になっているはずだ。そのことがお母さんの気持ちに影響を及ぼしている可能性もある。
(それに……)
わたしも少しは変わっているのかも。
社会に出て、人との距離の取り方が上手くなったのかも知れない。お母さんともこうやって離れてみたことで、少し冷静に向き合えるようになったのかも。
(そうだといいな)
自分の母親に批判的だなんて淋しい。家族はやっぱり愛情でつながっていたい。
たぶん、わだかまりを抱えているのはわたしの側だけなのだろう。だから、わたしが気持ちを整理すれば済むのかも。それができたら……。
宇喜多さんのことを話せる気がするんだけどな……。




