137 テニス部合宿 その2
「やった〜! 上がりでーす!」
車座になった向こう側で蒼井さんがにこにこしながら同じ数字のカードをみんなに見せた。みんなが笑顔で拍手する。
夕食後に集まった広い和室。お菓子や飲み物を囲んでのおしゃべりがひと段落し、近くに座っていた六人でババ抜きを始めた。ありきたりで単純なババ抜きも、こういう席ではかなり盛り上がる。
「え? うそ? また俺と宇喜多? マジで?」
「あははは、今年の新人、ババ抜き超弱い〜」
「宇喜多さんはポーカーフェイスなのになんでこんなに弱いんだろうねえ?」
「まったく分かりません……」
二回やって二回とも、最後は宗屋と俺の争いになるなんて。
今回は俺にはジョーカーはまわって来なかった。でも、数字がちっとも合わない。隣の元藤さんが俺のカードを引くと必ず合うのに。よっぽど運に見放されているのだろうか。
「どれどれ? 見ていいですか?」
「うん、ほら」
蒼井さんが宗屋の手札をのぞき込む。仲良く肩を寄せ合う様子に、情けなくも嫉妬している自分がいる。
(こういうときに隣に座ってくれたっていいのに)
宗屋にカードを引かせながら心の中でつぶやいた。
(宴会の席なんか誰も気にしないのに)
……だったら俺がさっさと蒼井さんの隣を確保すれば良かったっていう話だな。
蒼井さんとひそひそと相談してから宗屋が二枚のカードを差し出す。そのうちの一枚がジョーカーだ。俺のカードは残り一枚。
差し出されたカードの向こうに、目を輝かせて俺の動きを見守る蒼井さんがいる。宗屋に寄り添って。
(絶対に勝ちたい)
蒼井さんに応援されている宗屋になんか負けたくない!
(こっちだ!)
引いたのは……数字のカード。俺の勝ちだ!
「やった!」
「うわ〜、負けた〜!」
俺よりも大きな声で宗屋が叫び、バタンと体を前に倒した。
「わ〜、宗屋さんが負けた〜。弱い〜。うわ〜い♪」
(え?)
前屈状態になった宗屋の背中を横から蒼井さんがふざけて押し始めた。
「ぐ、うぇ、姫っ」
「あはははは! 蒼ちゃん、もっとやっちゃえ」
「はい! よい…しょ」
「いででででででで、姫! 無理無理無理無理、やめ!」
(そんな〜!)
俺にあんなふうにじゃれてくれたことなんて無いのに! 勝ったのは俺なのに! なんで宗屋に!
……と思いつつも、笑って見ていることしかできない。
宗屋の抗議を無視して、蒼井さんはみんなの声援を受けながら宗屋を押さえたまま後ろにまわる。そして。
「宗屋さん、からだ硬いですよ? ほら、もうひと頑張りです。ぃよっ」
「ぐえ」
最後に一押しして「はい、おしまい」と離れた。起き上がった宗屋は顔が赤くなっている。あれは恥ずかしがってるわけではないのは確かだ。……ざまあみろ。
カードをまとめながら小言を言う宗屋に蒼井さんがしおらしく謝っている。でも、そんなのはただのポーズに過ぎない。二人の仲の良さは本人たちもまわりも承知しているのだ。
(だけど)
俺としては複雑だ。そりゃあ、意味のある触れ合いではなかったけれど。それに、蒼井さんが好きなのは俺だと分かっているけれど。
宗屋の隣にちょこんと座っている蒼井さんを見ているだけの自分が悲しい……。
「わたしも入れて!」
右側で声がした。振り向くと北尾さんだ。少しずれてあげると、「おじゃまします」と軽くあいさつをして俺と元藤さんの間に座った。みんなから歓迎の声が上がり、宗屋がカードを配り始める。
「彩也香さんにビール持って来たんですけど……まだありますね。じゃあ、宇喜多さん、どうぞ」
「ありがとうございます」
差し出された缶ビールはありがたくいただくことにした。宗屋になんかまわしてやるものか!
カードを配る宗屋の手元を蒼井さんが目で追っている。まるで獲物から目を離せない猫みたいに。
(こっち向いてよ!)
そんなに見張らなくても、宗屋はイカサマなんかできないと思うけど。
「杏奈ちゃん、向こうにいなくていいの?」
いじけ気味にビールを飲んでいたら、元藤さんが小声で話しかけたのが聞こえた。
さり気なく見回すと、前下さんは粟森さんと話している。飲み物やお菓子が雑然と置いてある座卓を前にしてけっこう楽しそうだ。
「あ、いいんです、今は」
「でも、鈴乃さんと仲良くしてるよ?」
「そうなんですけど……、年がら年中付きまとわれたらうっとうしいんじゃないかと思って」
「なるほど。まあ、そうかもね」
(なるほど……)
配られたカードをそろえながらひっそりと感心した。
自分を売り込むばかりがアプローチではないのだ。ときには距離を取ることも大切。「押してダメなら引いてみろ」っていうことわざもあるくらいだし。
確かに、粟森さんみたいに同期という利点を前面に押し出して常にマークされたら気持ちが引くかも知れない。……って、思い出してみると、白瀬さんはそんなイメージだったな。
(でも……)
それが蒼井さんだったら? ……たぶん嬉しい。
「みんな、準備オーケー? じゃあ、負けた宗屋さんのカードを引くところからね」
「はーい」
ババ抜き三回戦目開始。蒼井さんが真面目な顔で宗屋の手札を見つめる。「これ!」と引いたカードを見ると、目をまん丸にした。
「蒼ちゃん、ババ引いたでしょ!」
すかさず元藤さんが指摘。
「いえいえいえ、違います。違いますよ?」
「うそだ〜。今の顔は間違いなく引いた顔だったよ」
「えへへ…、どうでしょう?」
「ほら、やっぱり引いたんだ! 並べ替えてるもん!」
「え〜。彩也香さんが引いちゃったら、わたしに回って来ちゃう〜」
「って言うか、宗屋さん、またババ持ってたの?」
にぎやかな攻防に笑いながら、合い間に蒼井さんと俺の今までの経過を振り返ってみる。
(考えてみると……)
俺はひたすら押しの一手だった。
送って行くことにしたのも、初めてのドライブも、…そうだ、スクーリングの打ち上げも。お弁当デートも誕生日の食事会も、全部!
(意外だよなあ……)
自分が女性に対して積極的に動くなんて。
こんなにどんどん来られたら不安にもなるだろう。特に蒼井さんみたいに恋愛ごとに慣れていないひとは。立ち止まってしまう気持ちも分かる。
……まあ、蒼井さんは遠慮しいだから、俺から言わなければ今の状態までも届かなかったはずだ。だから、今までの行動は――偶然の産物だけれど――失敗ではなかったと思う。
(でも……)
この辺でちょっと引いてみるのもいいかも知れない。
俺がそばにいないと淋しいって思ってくれるんじゃないだろうか。今までは近くに居すぎたから。でなければ、俺の気持ちが離れたのではと不安になるとか。そうすれば――。
(一気に進むかも)
だって、蒼井さんは俺のことが好きなのだから。
(おお……お?)
北尾さんから引いた一枚のカード。書いてあるのは悪魔の絵だ。
「あ! 二度見した! ジョーカー引いたな!」
「うわあ、今回、ババの回りが速いよ〜」
上の空だったせいでポーカーフェイスが崩れてしまった。急いで修正だ。
「え? 違いますよ。ねえ、北尾さん?」
「うふふふ、……ですよねえ、宇喜多さん?」
北尾さんとうなずき合って、今度は反対側を向く。蒼井さんは宗屋と話していて、俺のことなど見ていない。
(我慢我慢!)
蒼井さんに淋しがってもらうにはそれなりに時間が必要なはずだ。
「杏奈ちゃん、どう?」
カードを引かれると同時に、すぐそばで声がした。
「え? あ、前下さん! ええと、こんな感じで……」
いつの間にか、後ろに前下さんがいた。北尾さんのカードを肩越しにのぞき込んでいる。
「どうぞ」と声をかけてスペースを空けると前下さんは「悪いね」と笑って北尾さんの隣に座り、すぐに場にとけ込んだ。
(もしかして、北尾さんの作戦が……?)
効果があったのだろうか。ほんの二分前には粟森さんと話していたのに。
(粟森さんは……?)
ほかの集団に入って行くところ。ということは、前下さんが先に席を立ったということか。
(すごい)
さすが北尾さんだ。思ったとおりになるなんて。しかも、肩を寄せ合ってひそひそとかなり楽しそうだ。
(そう言えば)
今日の昼間もだ。北尾さんが俺と話しているときに前下さんが現れた。もしかしたらこれは、前下さんの不安の表れでは……?
(よし。俺もやってみよう)
誰か女性と仲良くするのはちょっと無理だけど、少なくとも明日一日は蒼井さんから離れていることにしよう。夜になったら蒼井さんが淋しくなって……。
何かがあるかも知れない!




