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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第八章 恋人まであと…?
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135 ◇ 変わっていくわたし ◇


白瀬さんの退職の話にはとても驚いた。たった半年で辞める、ということに。


たとえばうちがブラック企業と言われるような職場なら、心身の健康を守るために短期間で辞めるのは理解できる。でも、白瀬さんの場合はそうじゃない。


やりがいが無いから。


たった半年なのに? まだ十分に仕事が分かったとは言えないのではないかと思うけど。


それに。


それを言うなら、わたしは?


わたしは今の仕事をやりたかったわけじゃない。市役所のしくみも、法律も制度も、税金の種類さえも初めて知ったほどだ。


そもそも、まだ働きたかったわけじゃない。でも、生きて行かなくちゃいけないから働いている。


なのに、白瀬さんは。


大学に入るときに福祉の勉強を選んだ。それを仕事としても選んだ。なのに、たった半年でそれを捨ててしまう。「やりいがいが無いから」と。お金も時間もかかっているのに。


そんな白瀬さんがうらやましい。うらやましくて……悔しい。その恵まれた考え方が甘いと思う。


――これは嫉妬だ。


同じケース―ワーカーの彩也香さんの話では、白瀬さんの退職は職場への――言葉は悪いけれど――仕返しの意味もあるのではないかと言われているそうだ。自分よりも杏奈さんが人気があることや業務のミスを指摘されるのが不満で、わざと欠員が出るような行動をとったのではないかと。


彩也香さんは白瀬さんを困ったひとだと思いながらも、気に掛けてはいたらしい。夏に花火見物に誘ったのも彩也香さんだったそうだ。白瀬さんはその心遣いに気付けなかったのだろうか。……もしかしたら、彩也香さんが杏奈さんと仲が良いことが気に入らなかったのかな。


白瀬さんは新人でまだ担当は少なめだったそうだけど、それをほかの職員で分担しなくてはならない。訪問の効率を考えて地区割りも見直すらしい。相談者についての引き継ぎも急いで必要だ。


チューターだった鮫川さんにとっては、白瀬さんのために割いた時間や助言が役に立たなかったことになる。それに、後輩職員をきちんと育てられなかったということで責められたり責任を感じたりするかも知れない。


職場の先輩たちにそんな迷惑をかけても、白瀬さんは平気なのだろうか。退職するとしても、せめてあと半年、頑張れなかったのだろうか。今から予告しておけば、欠員にはならずに済むのに。


そんなことを考えると、また、うらやましいと思う。そこまで思い切れることが。


そして、わがままだと思う。


けれど、その一方で、人間関係が上手く行かなかったのはつらかっただろうな、とも思う。仕返しと思われるような行動を起こさずにはいられないほど精神的に余裕が無くなっていたのかも知れない、とも。


だけど……。


辞めることを簡単に選択できる白瀬さんは、やっぱり恵まれていると思う……。


白瀬さんの退職の話は、何日か、わたしの頭の中でぐるぐるしていた。お金があるか無いかで人生も考え方も、チャンスの数さえも違うのだという実例を見せられたようで気分が塞いだ。


けれど。


お休みの日に勉強をしていてふと思った。


わたし、頑張ってる――。


そう。間違いなく頑張ってる。


仕事をしながらでも勉強を続けているし、その学費は自分で払ってる。


嫌だった就職だけど、努力して、職場にも市民にも迷惑がかからないようにやっている。


何も投げ出していない。ちゃんと続けてる。


それは誇りに思っても良いのではない?


それに、楽しい仕事ではないけれど、新しいことを知るのは意外に面白いものだと気付いた。手続きの一つひとつをきちんと処理できると気持ちが良い。忙しさのあとには達成感もある。


そして、みんなが親切にしてくれる。それは、わたしが努力していることを分かってくれているからだと思う。


そんな今を、わたしは自分でつかみ取ったのだ。もちろん、花澤さんや周りの人に助けられてだけど。


これは、自分を褒めても良いのではない?


そう思ったら、急に目の前が開けたような気がした。わたしにも可能性があるような気がして。


今までも、同じようなことを何度も自分に言い聞かせてきた。希望の進路を選べなかった自分をなぐさめるために。高卒というコンプレックスを追い払うために。


でも、どうしてもむなしさが消えなかった。将来への希望を本心から持つことができなかった。


けれど、今回は少し違う。


自分を誇っても良いような気がする。続けている、という事実を。投げ出さない自分を。


今までは、自分の人生はもう決まりきったものだと思っていた。今の自分のまま一生を過ごすのだと思っていた。


でも、そうじゃないんだ。


職業は決まっているかも知れないけれど、わたしは変わっていく。いろいろな経験がわたしを変えていく。


だって、今のわたしは就職した当時のわたしとは違うと感じるから。


中でも自分で一番驚いている変化は、職場で「元気な子」と思われていることだ。


べつに無理をしているわけじゃなく、自然に笑ったり意見を言ったりできるようになった。学校時代はいつも隅っこに引っ込んでいたけれど、今は周りの人たちが怖くない。


それはきっと、一人暮らしや仕事や勉強や新しい人間関係を通して、高校生のころとは違う視点を持てるようになったからだと思う。それに、お金のある人には経験できないことや、知ることのできない思いを、わたしは自分の中にたくさん貯めこんでいる。


そういうものがわたしの心の根っこを広げてくれて、この世界の中でしっかりと立っていられるようになったのではないかな……。


これからもずっと、わたしはいろいろな経験や思いを積み重ねていく。


さまざまな人と話すこと、ニュースに本、遊びやおしゃれだって、少しずつわたしに新しい何かを付け加えてくれるはず。そうやってわたしは変わっていく。その変化が人として成長する方向であったらいいなと思う。


たとえば三年後、今の白瀬さんと同じ年齢になったとき、自分が他人から「困ったひと」と見られない存在でいたいと思う。


いいえ、困られないだけじゃなくて、花澤さんみたいに職場で頼りにされて、異動するときに惜しまれるような人材になっていたい。


大学も、今のペースでは卒業まで時間がかかるだろうけど、絶対に卒業証書を手に入れる。これは大卒への憧れでもあるし、意地でもある。それに、途中でやめたらそれまで払った授業料が無駄になってしまう。そんなもったいないことできない!


それから、もっと日々の生活も楽しもう。


気持ち良く過ごすことやちょっとした気分転換もして、たまには自分を甘やかしたりしよう。自分のやりたいことをやってみよう。


もう、この生活に「追いやられた」とは思わない。これからは「何ができるか」に目を向けていきたい。


こんなことをぼんやり考えていると、やってみたいことがたくさん湧いてきて楽しくなる。でも、宇喜多さんとのことは……。


やっぱり簡単には決断ができない。自分ひとりのことでは済まないから。


宇喜多さんはわたしが話しづらいことは知らないままでもかまわないと言ってくれた。でも、それは無理だ。お母さんや紙山さんのことはいつか話さなくちゃならないこと。隠し通せるものではないから。


だとしたら、それは今の段階じゃないと。家族の恥を隠したままお付き合いするなんて、そんなのずるい。


宇喜多さんが一時的な遊びの気持ちでわたしを選んだのなら言わなくてもいいかも知れないけど……、いや、そうだったら、わたしは悩まないで断ってるな。遊びでお付き合いできるような性格じゃないもの。宇喜多さんもたぶん同じ。


だから話さなくちゃならない。これからのことを考えたら。


……話す決心がつくだろうか。わたしだって宇喜多さんと幸せになりたいけれど……。


(あーあ……)


もっと気楽に考えられたらいいのに。この慎重で融通が利かない性格、どうにかならないかな?


いい気でいるお母さんと紙山さんを恨みたくなってくる。二人とも、わたしがこんなに悩んでいるなんて思ってもみないんだろうな……。







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