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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第八章 恋人まであと…?
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125 ◇ 現実はやっぱり甘くなかった ◇


団地の入り口にあるスーパーの前で宇喜多さんに降ろしてもらった。手土産に和菓子でも買うつもりで。


帰りも同じ場所に迎えに来てもらうことにした。ここなら駐車場があるし、お母さんに買い物をすると言い訳することができる。紙山さんが一緒に帰ると言っても断ることができる。


(紙山さん……、来てるよね……)


思わずため息が出た。来ていないとしても、いるという前提でお菓子を買っていかなくちゃ。和菓子コーナーで、憂うつな気持ちを噛みしめた。


(悪い人じゃないんだけど……)


紙山さんはおじさんだ。おじさんと言っても親戚ではない。外見は中肉中背の普通のおじさん、年齢は五十代半ばくらいだろうか。


親が離婚したあとに引っ越したアパートに、半年くらい経ったころからときどき来るようになった。たぶん、お母さんの限りなく彼氏に近い相手だ。向こうの家族事情はよく知らない。


親切なひとではある。わたしに大学の通信教育課程を薦めてくれたのは紙山さんだし、誕生日にはプレゼントをくれたり、たまにわたしたちみんなを食事に連れて行ってくれたりする。お母さんに言わせると、わたしと弟の史也を自分の子どものように思ってくれているらしい。


弟はすぐに馴染んだ。もともと人見知りをしない子なのだ。わたしもお母さんの気持ちを考えて愛想良く接してはいる。冗談を言い合ったりして親しいふりもしている。


でも、やっぱり他人だ。


父親みたいな顔をされるのは嫌だし、本当のことを言えば、あまり近付きたくない。わたしにとっては単なる「よく知らないおじさん」なのだ。なのに、実家に行くと、たいてい紙山さんが来ている……。


(なんだかなあ……。)


紙山さんもお母さんも、普通のおじさんとおばさんなのに。美男美女なら……というわけじゃないけど、自分の母親の恋愛を簡単に受け入れることができないでいる。こんな家庭状況を他人に知られるのも嫌だ。


(そうなんだよね……。)


自分の親のことが恥ずかしい。そして、親のことを恥ずかしいと思ってしまう自分も嫌だ。


さらに不安なのは、お母さんに対してこんなふうに思っている自分は情が薄いのではないかということ。愛情のある温かい家庭を築くことができないのではないかと……。


両親が離婚したときだって、将来の不安よりも大きく感じたのは安堵だった。


毎日のように繰り返されていた両親のケンカとお母さんの愚痴、それが終わるのだと思ってどれほどほっとしたか。家にお金が無いことはすでに知っていたから、その点は覚悟ができていた。


実際には、お母さんの愚痴はその後も次々と対象を変えて続き、一人暮らしを始めたことによってようやく解放された。それ以来、一人暮らしで淋しさを感じることは無かったし、ホームシックにもなったことは無い。今はその気楽さと心地良さで、実家に足が向かなくなっている。


こうした経過で気付いたのは、わたしが家族よりも自分が楽になることを優先する人間だということ。両親の離婚にほっとしたのも、実家に来たくないことも、そんなわがままの現れだ。こんなわたしが家庭を持っても、家族を幸せにするのは無理なのではないだろうか。


(自己中の母親なんて可哀想だもんね……)


就職してからずっと、自分の子には、お金のために進学をあきらめることだけはさせない、と思って来た。そのときに備えて、絶対に仕事を辞めないつもりだ。でも、お金のこととは別に、ちゃんと子どもを愛してあげられるだろうか? 子どもがこの家の子で良かったと思えるような家庭を築けるだろうか?


未来の自分を考えると、そんな不安にも行き着いてしまう。





「こんにちはー。来たよー」

「はーい、どうぞ」


和菓子を買って実家に着くと、特に機嫌の悪く無さそうな声が返ってきてほっとした。団地仕様の狭い玄関には男物の革靴もある。予想どおり、紙山さんが来ているのだ。


(大丈夫。たった四時間ちょっと。終わったら宇喜多さんが迎えに来てくれる)


これではまるで、宇喜多さんに助けに来てもらうみたい。


「おじゃましまーす」と声を掛けながら、密かに覚悟を決めて。


「紙山さん、お久しぶりです」

「こんにちは。久しぶりだね、春希ちゃん」


座卓に座った紙山さんにお茶を出していたお母さんが「もっと早い時間に来ると思ったのに」と嫌味を言ったのは聞こえなかったことにした。史也は部活でいないらしい。


ここの団地は2Kの間取り。玄関の右手が小さな台所で、その次に四畳半と六畳。四畳半が居間兼お母さんの部屋、六畳がタンスや本棚置き場と弟の部屋だ。広く使うためにベッドの生活ではない。


「水ようかん買って来たよ。今、食べる?」

「そうだね。あんたもお茶にする?」

「暑いから麦茶もらう。自分でやるからいいよ」


荷物を置かせてもらい台所へ。手を洗って水ようかんと麦茶を用意して部屋に戻ると、紙山さんがにこにこして言った。


「年が明けたら、春希ちゃんも成人式だねえ」


(うわ、その話題)


咄嗟にマズいと思った。答えようと口を開いたけれど、わたしより早くお母さんが答えた。


「行かないって言ってるんだよ。振袖のお金は用意してあるって言ったのに」


たちまち不機嫌な顔をされて、一気に憂うつになった。この件ではすでに何度も文句を言われているのだ。


ここでもう一度、この話を蒸し返したくない。窓口用のさり気ない笑顔と明るい声で武装する。


「買ったって着る機会は無いし、べつに式典に参加したいとも思わないからいいんだよ。お母さん、使ってよ。史也用に取っておいてもいいし」

「せっかく人並みのことをしてやろうと思ったのに、親の気も知らないで」

「有り難く思ってるよ。でももったいないよ。気持ちだけで十分」


成人式の振袖を買うお金を用意してあると言われたときはびっくりした。心の中で、「それなら大学に行かせてほしかったよ!」と叫んだ。でも、お母さんの心遣いは理解できたし、どちらにしても、もう遅い。


式典には行かないから振袖もいらないと言うと、お母さんは「親の気持ちを無下にするのか」と怒った。最終的に、怒った勢いで「買ってやらない」と言われて決着がついた。


わたしは本当に振袖なんか欲しくない。着る機会は無いし、保管場所も無い。それに、もうお給料をもらって独立している。お母さんのお金など当てにしていない。


「じゃあ、結婚資金だなあ」


その場を和ませようとしたのか、お母さんの不機嫌に気付かないのか、紙山さんが楽しそうに言った。すかさずお母さんが言い返す。


「こんな子をもらってくれる人なんていないんじゃないかねぇ。気が利かなくて、可愛げが無いから」

「そんなことないよ。案外、玉の輿に乗るかも知れないよ?」

「無理無理! うちみたいな家庭で育った子じゃあ、玉の輿なんて不幸になるだけだよ。身の程をわきまえない結婚は苦労するんだから。ホント、浮かれて結婚なんかするもんじゃないよ、春希」

「わかってるよ」


言われなくてもわかってる。自分がほかの子たちとは違うって。


「相手はどんな人だろうなあ? 春希ちゃんの花嫁姿、楽しみだなあ」

「あはは、待ってても無駄かも知れませんよ」


(やっぱり結婚式に来るつもりなんだ……)


絶望的な気分になった。


お母さんは呼んで当然と思っているとは思っていた。今、本人もそうだと分かった。でも、じゃあ、いったいどういう位置付けで? お母さんの彼氏? まさか父親代わりとか?


(そんなの嫌だ)


わけのわからない関係の人が親戚の中にいるなんて。それに、相手の家族にこんな関係、話せない。普通と違うもの!


それでも宇喜多さんは受け入れてくれるかも知れない。やさしいから。


でも、だからこそ話せない。宇喜多さんにこんなことを背負わせちゃいけない。


(やっぱりダメだ……)


花澤さんに勇気をもらって、実家に送ってもらうお願いという小さな賭けを試してみた。そうしたら宇喜多さんがあんなに喜んでくれて、少しだけ希望を持とうかと思った。鈴穂と話したことでも、自分も勇気を出してみようかと思った。でも、やっぱりダメだ。


家族の状況を甘く見ていた。しばらく会っていなかったから記憶が薄れていたに違いない。こんな状態を打ち明けるなんて絶対に無理!


「まあ、長く勤められるから公務員になったんだし、今のところは希望者もいないから」


話を終わらせるためだけじゃなく、あきらめたいという思いも込めた。


「そうそう。せっかく公務員になったんだから辞めるんじゃないよ。春希は勉強だけはできて良かったよね? 就職がちゃんとできたから。それ以外は取り柄が無いからねぇ。口は達者だけど何をやらせても遅いし、せっかく習わせてやったピアノだってちっとも上手くならなかったしねぇ」

「うん、そうだね」


ピアノが上達しなかったのは練習をきちんとしなかったせいだ。小学生の時、練習中に外を通りかかった同級生に大きな声で囃し立てられて、それ以来、家で弾くのが嫌になってしまったから。


その程度のことを気に掛ける必要は無かったのだろう。でも、当時のわたしには開き直るだけの気概が無かった。もちろん、お母さんにそれを説明することなど論外だった。意気地が無いと怒られることは分かりきっていたから。その代わり、練習しないことを怒られたけど。たぶん、わたしのピアノに対する情熱も足りなかったのだろう。


「お母さん、今日の夕飯は何? 買い物があるなら行ってくるけど?」


とにかく当たり障りのない話題に持って行くことにする。手伝う態度を見せながら家から出られる方法を思い付いたのは、我ながらあっぱれだ。


「あ、買い忘れたものがあるんだ。ちょうど良かった」


(やっぱり疲れるなあ……)


お母さんにも紙山さんにも気を遣ってしまう。久しぶりだから余計に。


実家に来てこんなに気を遣うって普通なのかな? 高品さんはときどき「実家でゆっくりする」って言ってるよね? ドラマでも見たことあるけど……。


「じゃあ、買うもの言うよ」

「あ、メモするね」


こういうときのお母さんは普通だし、こういう会話も普通だと思う。だけど、どこで機嫌が悪くなるか分からないし、昔のことであてこすりを言われたりすると本当に嫌だ。


(あーあ……)


やっぱり実家は気が重い。







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