12 高校の友人たち
ゴールデンウィークも後半に入った五月三日の夜、高校時代の友人たちの集まりがあった。
同じ男子バレー部の仲間同士、都合がついたのは四人。尾野と相河と俺の男三人はこの春に就職したところ。そして、マネージャーだった藍川葵という女子は、高校三年生の秋にいきなり文系から理系へと志望を変更して一年浪人したため、今でも大学生だ。相河と葵は名字の音がかぶるので、あとから知り合いになった葵が名前で呼ばれている。
横崎駅近くのお好み焼屋で久しぶりに顔を合わせた俺たちは、それぞれの無事と今後の活躍を祈って乾杯した。
お互いが元気そうであることを確認すると、話題は仕事のことに移った。そもそも今日の集まりは、新社会人としてスタートを切った俺たちを心配して葵が企画してくれたものだ。慣れない仕事や人間関係の疲れを癒せるようにと。
「俺、営業ってやっぱり向いてるみたいだよ。」
鉄板の上のお好み焼を切り分けながら相河が楽しげに言った。
「新しいひとに会うのって、緊張するけど楽しみなんだよな〜。会った瞬間に勝負かけるみたいなワクワク感っていうのかな。わかる?」
「相河くんは人見知りしないからねー。」
葵がくすくす笑い、相河に自分の取り皿を差し出した。
「俺、それしか無いもん。」
そう言って笑いながら、相河は差し出された皿にお好み焼を乗せてやる。それを見ながら尾野が口を開いた。
「いやいや、相河にはマメっていうのもあるだろ。」
「あ〜、そうそう。相河くんって本当によく気が付くの。」
葵がおっとりと微笑んで同意した。相河はそれには無言でニヤリとする。この二人は高校生のころからずっと付き合っているのだ。尾野の言うとおり、マネージャーだった葵よりも、相河の方が細かいことに目が行き届くのは間違いない。
高校時代、俺は……、俺たち三人は、みんな葵のことが好きだった。それをお互いに知っていた。
そして葵は相河を選んだ。俺はその前に告白してふられた。尾野は冗談だと思われたままだった。不思議だけれど、それが今の俺たちの絆になっている。
あのころのことを思い出すと、今でも笑ってしまう。葵に断られたことは、意外なことにあまりショックではなかった。それはたぶん、葵が俺に寄せてくれていた信頼が失われることが無かったからだ。
相河という彼氏ができてからも、葵は俺に相談を持ちかけてくる。ときには相河に対する愚痴も。相河もそれは承知しているし、喧嘩の仲裁を頼んできたりもする。まあ、相河はやきもち焼きだから、少しは心配もしているのかも知れない。でも、俺は葵のことについては何もやましいことは無い。
「俺なんか毎日、データ、データ、データだよ。」
疲れた様子で尾野が話し出す。第一希望のスポーツ用品メーカーに決まって喜んでいたのに。
「新製品とかモデルチェンジとかで使うデータ集めばっかり。歩いてる姿勢とか、走ってるフォームとか、体の角度とか負荷のかかり具合とかもう数えきれないくらい。一日中、パソコン見てる日もある。」
思い出したのか、両手でこめかみを押さえた。そんなポーズも決まっている。尾野はあのころから変わらずに顔も体型もモデルのようだ。
ただ、そのかっこよさは、葵には効果が無かった。結果的に、葵の友だちが今では尾野の彼女だ。彼女の方もきれいなひとで、二人が並んでいると、まるで雑誌に載せるカップルの見本のようだ。
「宇喜多さんはどう? 職場はどんな感じ?」
聞きなれているはずの「宇喜多さん」という呼びかけに、ふと蒼井さんを思い出して微笑んでしまった。同学年の葵が俺を「くん」ではなく「さん」付けで呼ぶのは出会った当初からだ。俺が気難しい顔をしていたので、彼女は気安く「宇喜多くん」とは言えなかったのだ。
「覚えなきゃいけないことが多くて必死だよ。でも、先輩たちはみんな親切でいいひとだよ。」
「ああ、市役所のひとって親切そうなイメージあるよね。」
「そうか? 俺は『自分の仕事以外はかかわりません』っていうイメージだけどな。」
「あ〜、そうそう、それでさ、腕にほら、黒いカバーとかしてて。」
「おお! 宇喜多、似合いそう!」
三人とも、ニュースやドラマから受けたイメージが大きいらしい。
「そんな職員、うちにはいないよ。見た目は普通の企業と同じだし。」
今ではその一員となったからには、悪いイメージはできるだけ払拭したい。
「よく、役所は不親切みたいに言われるだろ? でも、俺が見ている限りでは、そんなのは無いよ。忙しくてもきちんと話を聞くし、よくわからないときには案内する前に内線で確認するし、込み入った話のときは一緒に窓口までついて行ってあげる職員もいるよ。そもそも相手の立場に立って考えたら、いい加減な案内なんかできるはずがないだろう?」
一階に案内のひとがいるのに、そこを通り越して何故か四階で迷っている人もいるのだ。窓口案内は区役所職員の基本の一つだということが配属になってからわかった。
「さすが宇喜多。その真面目さがいかにも公務員っぽいな。」
「宇喜多さん、きちんとしてるし真面目そうだから、お客さんも話しかけやすいよね、きっと。」
「でも、愛想笑いとかできないだろ。」
葵が俺を褒めたことに嫉妬して、相河が茶々を入れた。
「練習してるよ、ちゃんと。」
練習という言葉で思い出した。
「それより相河、あの歌なんだよ?」
「おう、あれか! 盛り上がっただろう?」
その笑い顔は結果をわかっていた顔だ。あの歌を俺が歌ったら笑いを誘うとわかっていて勧めたのだ。俺は相河を信用して相談したのに!
「歌ってなあに?」
「う、いや……、ちょっと。」
あんな恥ずかしい体験は二度と思い出したくない。この前の歓送迎会は、二次会がカラオケじゃなくて助かった。
「それよりさあ、葵ちゃん、聞いてくれよ〜。」
尾野が甘ったれた声を出す。これも高校生のころから変わらない。
「どうしたの?」
「うちの先輩、超スパルタなんだよ〜。」
「あ〜、うちもだよ〜。」
尾野と相河が争うように職場での苦労話を披露し始めた。それらは当然と思われるものもあり、いくつかは嫌がらせとしか思えないようなものもあった。でも、そういうことを経験して、二人とも企業人として成長していくのだろうとも思った。
(あれ? じゃあ、俺は?)
うちの職場はまったくスパルタではない。先輩たちは仕事だけじゃなく精神面も、とてもよく面倒をみてくれている。じゃあ、俺は成長できないのだろうか?
(いや、そんなことないな。)
蒼井さんを思い出して思う。
今の彼女が去年と同じ彼女のはずがない。原さんが言っていたし、彼女の努力の跡を俺は日々、見ている。
今の蒼井さんは、市役所の職員として成長した蒼井さんなのだ。その蒼井さんを育てたのは花澤さんとあの職場だ。花澤さんは蒼井さんを厳しく指導したわけではない。つまり、成長はスパルタかどうかには関係ないということだ。成長するかしないかは本人の自覚と努力次第。
「宇喜多さん、何考えてるの?」
「え? あ。」
いつの間にかぼんやりしていたらしい。尾野と相河が「相変わらずだな」と苦笑している。
「い、いや、ちょっと、うちの先輩のこと……。」
「どんな先輩?」
「ええと、先輩って言うか、後輩って言うか……。」
説明しようとしたら、意味がわかりにくくなってしまった。
「先輩なのか後輩なのかわかんないのかよ?」
「それって同期っていうんじゃないのか?」
相河と尾野がからかう。
「いや、そうじゃなくて、先輩なんだけど後輩なんだ。九重の。」
「九重の後輩?」
「うん、そうなんだ。去年、高卒で入ったひとで。」
「高卒で? じゃあ、今、いくつだ?」
「あ、十九歳だって。」
「十九歳? 三つも年下?」
「うん。でも、すごくしっかりしてて、仕事ができるんだよ。」
説明しているうちに、蒼井さんの笑顔を思い出した。少し幼い、やさしい笑顔を。
「ねえ、それ、女の子?」
「え? うん、そうだけど……。」
どうしてわかったんだろう? それに、葵の表情が……?
「十九歳の女子か。」
「ヤバいな。未成年だろ。」
「いや、十八歳以上なら問題は――」
こそこそとささやき合う声が耳に入った。
「おかしなこと言うなよ! 蒼井さんはそういう――」
「あおい、さん?」
「葵と同じ名前?」
「もう名前で呼んでるの?」
三人が一斉に目を丸くして俺を見た。
「ち、違う! 蒼井さんは、み、名字だよ。」
説明しながら、顔が熱くなってきたことに気付いた。俺は酒ではこんなことにならない。つまりこれは。
(なんで照れてるんだよ〜〜〜〜〜〜!!)
信じられない! 彼女は尊敬する先輩なのに!
「おお! 宇喜多の赤面なんて何年振りだ?」
「俺は高校以来、見た記憶がないな。」
「う、うるさい!」
落ち着こう。顔が赤くなったくらいのことで騒ぐ必要なんかないはずだ。
「どんなひと?」
葵からは冷やかしは感じられない。
「そうだな、ええと、頑張り屋で、真面目で――」
「かわいいのか?」
「えぇっ!?」
相河の質問で、今度は首から頭のてっぺんまで熱くなった。
「なあ、かわいいのか?」
「さ、さあ? 幼い感じっていうか……。」
「幼い……。」
相河と尾野が意味ありげに視線を交わし合う。それを見たら、思わず手で顔をあおいでしまった。どうしてこんなにうろたえているのか訳がわからない!
「ねえ、宇喜多さん。今度、その蒼井さん、連れてきて?」
葵がにこやかに頼んでくる。
「う、え、え、なんで……?」
「あたし、女の子の後輩がいなかったから、会ってみたいなーと思って。」
確かにそうだ。うちのバレー部には、葵のあとにマネージャーは現れなかった。
「俺たちも会ってみたい! 女子の後輩、いなかったし!」
「宇喜多が世話になってるお礼も言わなきゃ、だろ?」
「ねっ? お願い、宇喜多さん!」
葵の理由は信じてもいいのかも知れない。でも、相河と尾野のあの表情は……。
絶対に俺を肴にして盛り上がりたいだけだと思う!




