118 ★ ふたりの想い ★ 春希&宇喜多
苦しい。苦しい。胸が痛い。
こんなにつらいとは思わなかった。こんなに悲しいなんて。
宇喜多さんの気持ちを知らなければ良かった。知らないままでいれば、こんな思いをしないで済んだはず。
でも、聞いてしまった……。
もちろん嬉しい。光栄に思う。でも、その分余計につらい。
わたしだって好きなのに。それは言えない。知られちゃいけない。
自分の気持ちを素直に伝えられないことが、こんなにつらいとは思わなかった。でも、このまま隠し通すしかない。宇喜多さんとずっと仲良しでいるためには。
だって、知られてしまったらどんどん進んでしまう。そして、いつか全部を話さなくちゃならなくなる。そうしたら……嫌われる。おしまいだ。
宇喜多さんの気持ちが変わらなくても、きっとわたしが宇喜多さんの重荷になってしまう。そんなの嫌だ。
だけど……。
話している途中で気が付いた。
ずっとこのままの関係でいるってことは、宇喜多さんがいつか誰かと幸せになるのを見るってことだ。宇喜多さんに彼女ができて、そのひとと結婚して幸せになるのを。
もちろん、そうなってほしい。宇喜多さんは幸せをつかむ資格のあるひとだから。
だけど……とてもつらい。自分の気持ちを隠して、見ていることしかできないなんて。
宇喜多さんが結婚したら、今みたいな状態は続けられない。宇喜多さんの気持ちは奥さんや家族に向いて、わたしのことは……たまに思い出してもらえればいい程度で。
わたしは……。
わたしには普通の幸せなんか来ない。こんなわたしには。
そうだよ。仕方ない。そして、わたしの人生は続いて行く。
宇喜多さんがいなくても、わたしはちゃんと暮らしていける。
仕事をしてお給料がもらえて、貧乏じゃなくて。周りは良いひとばかりで、楽しいこともあって。これで十分。大学の勉強だってしてる。とっても充実してる。
きちんと仕事をすれば優秀だって認められて、職場で必要としてもらえる。女性でも管理職になれる道も開けている。お給料が上がれば海外旅行にだって行けるに違いない。定年まで働けば年金もちゃんともらえるから、生涯安心して暮らせる。
しかも、今は好きなひとと毎日お話しできて、親切にしてもらえてる。なんて贅沢!
せっかく宇喜多さんが「好き」って言ってくれたけど……。
それはたぶん、今だから。就職して心細いときに近くにいたのがわたしだったから。同じ高校出身で、年下で、こんな未熟な先輩がいるってことにほっとしたから。
きっとこれから、葵先輩みたいなかわいらしくて素敵なひとが現れるはず。だって、宇喜多さんはとってもやさしくて、真面目で良いひとだから。
わたしは宇喜多さんが幸せになれるように応援する。大事なひとが幸せになってくれることが、わたしにとって一番うれしいこと。
つまり、わたしが我慢すれば済むってこと。自分の気持ちを隠し通せば。
だけど……。
だけど……。
わたしはずっとひとりぼっち。みんなが幸せになるのを見ていることしかできない。
そう思うと……淋しいよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(いったい何を恐れているんだろう。)
夜道を歩きながらぼんやりと考える。
(あんなに必死になるなんて。)
俺との関係が進むとダメになってしまうものとはいったい何なのだろう。そして俺たちの間に立ちはだかるものとは。
(せっかく蒼井さんの気持ちが分かったのに……。)
混乱したやりとりのあと、彼女を送りながら自然に答えは出た。蒼井さんの気持ちは俺に向いている、と。
俺を好きになれないのかと尋ねたとき、蒼井さんは違うと答えた。「そうじゃない」と。けれど、ダメになってしまうから今のままでいたい、と言ったのだ。俺のためにもそれが一番良いのだと。自分はそれで大丈夫だから……と。
あれは俺の想いに対する返事でもあったのだ。蒼井さんは俺を想ってくれている。無意識だったのだろうけれど、彼女の言葉はそういう意味だ。
そのことだけは確信を持った。これは、自分に都合の良い解釈をしてるわけじゃない。あの瞬間の彼女の反応が、彼女の心を正直に表していた。
でも、何かを恐れて、蒼井さんは今のままでいたいと思っている。
(ダメになるものがある……。)
それはいったい何だろう。彼女の感情にブレーキをかけるもの。可能性としてはいろいろありそうだけれど。
たとえば人間関係。たとえば仕事。自分の将来設計も。どれも影響を受ける可能性はある。
けれど、だからといって「ダメになる」と決まっているわけじゃない。いくらまだ半人前の俺が彼氏になったからと言っても、蒼井さんが自分で築き上げた周囲からの信頼がそのせいで崩れ去るなんてことはないはずだ。
ほかには……たとえば俺たちの関係?
確かに、彼氏と彼女になってお互いを深く知るようになれば、相手の嫌なところが見えてくることもあるだろう。その結果、別れてしまうこともある。世間でもよくあることだ。
蒼井さんはそれを「可能性」ではなく「確実」だと思っているのだろうか。そして、それと同時に友人でもいられなくなると。
そういうことも、当然有り得る。彼女がそんなことまで想定して「今のままで」と望んでいるとしたら……、要するに俺を失いたくないということでもあるわけで、それはまあ、ちょっと嬉しい。でも、むなしい。
じゃあ、確実に破局を迎える原因とは何?
まったく想像もつかない。
今までも、彼女は学歴とか実家が貧しいこととか、親御さんが離婚したこととか、過去の悲しかったことを自分の汚点のように考えていた。でも、それは考えすぎだし、そういうことはすでに俺は承知している。だから、それが原因で別れるなんてことはない。
と言うことは、それらよりも深刻なことなのだろうか。まさか、あの蒼井さんが二股をかけているとか、犯罪絡みの問題を抱えているなんていうことは無いだろうし……。
(……そうだよ。)
蒼井さんが俺や周囲の信頼を裏切るようなことをするなんてこと、あるわけがない。
俺は蒼井さんを信じている。彼女の心とおこないの正しさ……と言うか、正しく有ろうとする信念を。他人を傷つけたくないという思いを。だから彼女に惹かれるのだ。
蒼井さんが話したくないなら、俺は知らないままでいい。隠し事があっても、裏切られたとは思わない。話せないのは、それが彼女にとって話すのがつらいことなのだと思うから。
俺には彼女のどんなことでも一緒に背負って行く覚悟がある。だって俺は、彼女の背景も何もかも含めて、今の蒼井さんという存在すべてを大切に思っているのだから。
(大切に……愛している。)
そうだ。愛している。
「好き」なんていう言葉では足りない。心のすべてを賭けて愛している。一生そばにいて、守り、なぐさめ、支えたい。
蒼井さんのために健康を維持し、長生きする。犯罪を犯さず、他人に恨まれるようなことをせず、借金もしない。職を失うようなこともしない。道路は横断歩道を渡り、電車に駆け込み乗車もしない。蒼井さんが不安になるようなことや、蒼井さんに危険が及ぶようなことには近付かない。
そう。蒼井さんのために正しく生きる。
覚悟がある。だから、あきらめない。
(うん。あきらめない。)
樫森くんとも約束した。蒼井さんを幸せにするって。
あのときの樫森くんの真剣な様子が印象に残っている。もしかしたら彼は蒼井さんが「イエス」と言わないということを予想していたのだろうか。そのうえで、彼女を幸せにできるのは俺しかいないと伝えてくれたのかも……?
(大丈夫。あきらめないから。)
絶対にあきらめない。だって、蒼井さんも俺と一緒にいたいと思ってくれているのだから。今みたいに、これからも。
(そう。今みたいに。)
「くふ。」
思わず笑いがもれてしまった。だって、「今のまま」なんだから。
それはつまり、デートをしたり、手をつないだり、ときどき抱きしめたりする関係ということだ。そこまでは行き着いている。
彼女は間違いなく「このままで」と言った。だから俺は、「今」の権利を手放すつもりは無い。控えるのはそこから先だ。
(それでもいいさ。)
俺は蒼井さんが納得するまで待てる。彼女が俺と一緒にいると楽しいと思ってくれている限り。すでに彼女は俺の気持ちを知ってしまったわけだし。
(あ、そうか! このことだったんだ!)
相河が言っていた「友だち以上、恋人未満」。どっちとも言えない宙ぶらりんの状態。まさに今の俺たちのことだ。今までよりも、確実に「友だち以上」だ!
(ようやく実感として分かったよ……。)
これが維持できている間は大丈夫だ。これからまだ時間がかかりそうなことも、恋愛音痴の俺にはちょうど良いかも知れない。
(うん。そうだな。)
なんだかすごくすっきりしている。新しいスタートに立った気分だ。
まずは明日からもいつもどおりに。さっき、蒼井さんにもそう伝えたのだから。
(俺は大丈夫だ。)
不思議なほど落ち着いている。彼女に隠す必要が無くなったおかげなのか、自然体でいられる自信がある。
急ぐ必要は無い。俺たちには時間はまだたくさんあるのだから。
読みに来てくださっている皆さま、お気に入り登録をしてくださっている皆さま、評価ポイントを入れてくださった皆さま、いつも本当にありがとうございます。
お礼を申し上げる機会がなかなか無いのですが、日々、心から感謝しております。
第七章「進め! 進め! 止まれ?」はここまでです。
やっと想いを伝えるところまで進みました!
次から第八章「恋人まであと…?」に入ります。
引き続きお付き合いくださいませ。




