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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第七章 進め! 進め! 止まれ?
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117 今だ!


(もう少し長く困らせるつもりだったけど……。)


傍らを歩く蒼井さんの小さな手の感触を確かめながら、成り行きを振り返る。


(こっちの方がずっといいな。)


こうやって仲良く手をつないで歩く方が。


予定では機嫌の悪い俺に蒼井さんがおろおろし、最後に機嫌を直す代わりに何かをしてもらうはずだった。「何か」って例えば……おやすみのキスとか。


けれど、彼女は俺の安易な予想の範囲に収まるような女の子じゃなかった。


素直で前向きで、そして強い。俺の不機嫌に正面からぶつかってきた。さすが、俺が尊敬するひとだ。


それだけじゃない。あれは俺への信頼の証だ。


(そして、信頼は愛情につながる……。)


ダメだ。口許が緩んでしまう。


でも、お陰で目が覚めた。嫉妬のあまり彼女を傷付けようとするなんて、子どもじみていて間違ったことだった。彼女には悪意など微塵も無かったというのに。


(だからって、公道で抱きしめてあやまるっていうのはやり過ぎだよな、たぶん。)


気障すぎて俺らしくない。だけど、チャンスだったんだから。


こういう場合のために今日は飲酒のペースを上げた……っていうほどではないけれど、まあちょっとはそういうつもりもあったのだ。


あれでかなり満たされた。心残りなのは、あのままキスをしなかったことだ。


(まあ……、そこまでは酔ってないからなあ……。)


それでもいつもより積極的だったのは間違いない。それでオーケーとしよう。こうやって手もつなげたし。


(ね?)


つないだ手にきゅっと力を込めると、彼女が驚いたようにこちらを見た。目をぱちぱちさせている様子がかわいくて、思わずそっと肩をぶつけてみた。


(ああ、楽しい!)


おとといは照れくさくて、手をつないだままではいられなかった。でも、今はずっとつなぎっぱなしだ。これは明らかに意味が違う。いくら蒼井さんが鈍いと言っても、この違いは分かってくれるはずだ。


おととい、こま切れでも何度か挑戦したのが良かった。スムーズに手を握れたのは、あれで感覚がつかめていたからに違いない。練習は裏切らないというのはどんな場合でも真実なのだ。


(あとは蒼井さんの気持ちを確かめれば……だけど。)


ちらりと隣をうかがってみるけれど、その横顔からは何もうかがい知ることができない。でも、手を引っ込めようとする気配は無い。


(と言うことは。)


このまま行くべきじゃないだろうか。


あれこれ計画を立てても、予定どおりに進む保証はない。それに、早ければ早いほど、仲良くできる時間が増えるわけだし。例えば今日これからだって。


黙っていたら、あと半月、ただの同僚関係が続くだけだ。そんなのもったいない。


(うん。そうだよな。)


すでに手をつないで歩いている。これはもう、「ただの友だち」の範囲は超えているはずだ。彼女の表情が硬いのは、きっと戸惑いか緊張のせいだろう。


もうすぐ彼女の部屋に着く。その前に。


(うん、そうだ。よし。)


「蒼井さん。」


不思議なほど落ち着いている。夜の魔法が味方してくれているのだろうか。


「はい……?」

「さっきの……、その、俺が機嫌悪かった理由なんだけど……。」


どちらからともなく向かい合い、足を止めた。公園の住宅街側の端で、ここから先は家が並んでいるだけ。


「実はその……、俺、ヤキモチ妬いて。」


蒼井さんが尋ねるように眉をひそめた。


「ごめんね。俺、蒼井さんが樫森くんと楽しそうにしてるの見て、悔しくなっちゃったんだ。」


蒼井さんが目を見開いた。ぐ……、と、つないでいた彼女の手に力が入る。その手が逃げて行かないように握り返した。


「あ……、わたし、べつに樫森くんと特別仲がいいなんてことはないですよ?」


気がかりなど何も無いような明るい笑顔で彼女が言った。でも、言った途端から視線がさまよいだした。気配を察しているのかも。


「うん。そうかも知れないけど……、ねえ、蒼井さん、俺を蒼井さんの特別にしてほしいって言ったら、オーケーしてくれる?」


(え……?)


彼女の表情がおかしい。驚いたというよりも……。


(恐怖?)


「え、あの……」


彼女はすぐに笑顔を取り繕ったけれど。


「ええと……、宇喜多さんは……あの、葵先輩のことが好きなんですよね?」

「え? 葵? 違うよ!」


突然出てきた名前に驚いた。


「最初に違うって言ったよね? 葵にはちゃんと相河っていう彼氏が」

「それは知っていますけど。」


蒼井さんが俺を遮った。今度はまっすぐに俺を見て続ける。


「わたしはそうだと思います。葵先輩に彼氏がいても、宇喜多さんは想いつづけているんです。葵先輩のことを。」


(俺が葵を? 今でも?)


そう見えたってことはそうなのか?


(いやいやいやいや。)


そんなことはない。そんなことはないはずだ。葵のことはちゃんと吹っ切れてる。だって、今ではあまり思い出さないし、相河にヤキモチを妬くこともない。今、ヤキモチを妬く相手は樫森くんと宗屋だ。


それに、よく考えたら、俺は葵を好きだったことを蒼井さんに話した覚えは無い。葵だってそんなことを彼女に漏らすはずが無い。


(そうだ。)


これは蒼井さんの憶測だ。言い負かされちゃいけない。俺の気持ちは決まっている。


「蒼井さん、それは勘違いだよ。俺が好きなのは間違いなく蒼井さんだよ。」


どうして蒼井さんはあんな顔をするんだろう。追い詰められて、必死で逃げ場を探しているみたいな……。


「で、でも、葵先輩と話すとき、楽しそうでしたよ?」

「長い付き合いで、遠慮のない仲だからね。」

「だけど、葵先輩、とっても素敵だし、宇喜多さんにはあのくらいのひとじゃないと。」

「そう言ったって、お互いに気持ちが無いとダメでしょう?」

「だけど……、だけど……」


まだ反論するつもりらしい。いったいどうして?


「宇喜多さん、寝言で葵先輩の名前を呼びました。」

「寝言?」

「はい。海に行ったとき。」


確信をもってうなずかれた。寝ているあいだの出来事だと言われると、俺も自信が無い。


(海っていうと……。)


蒼井さんに寝言を聞かれたとすれば、二日目の朝しかない。


(目が覚めたとき、蒼井さんがいた。)


そうだ。リビングのソファーで寝てて。あのあと散歩に行ったんだ。あれはすごく楽しくて。


(それじゃない。その前の話だ。)


起きたとき。蒼井さんが目の前にいた。驚いた顔で。寝ていた俺の胸の上に。俺が………抱きしめたからだ。


(思い出した!)


夢を見ていたんだ。蒼井さんの夢を。幸せで、嬉しくて、そして手を伸ばしたら本人がいて。


「あれは蒼井さんだよ。」


彼女がまばたきをした。


「葵じゃなくて、蒼井さんだよ。蒼井さんの夢を見ていたんだよ。蒼井さん、俺が寝てる横で何かしゃべってたよね?」

「あ……、はい。」

「夢うつつでそれが聞こえてたんだ。だから間違えるはずがないんだよ。毎日聞いてる蒼井さんの声なんだから。」

「でも、あれは……。」

「蒼井さんの名前だよ。だってあのとき、俺はもう蒼井さんが好きだったんだから。」

「そんな……。」


うろたえる蒼井さんを見ながら希望がふくらむ。


「自分の名前だとは思わなかったの?」


今まで何をやっても無邪気な反応しか返さなかった彼女。それは、俺が葵を好きだと思い込んで、自分の気持ちを隠していたからだとしたら……。


「ねえ、蒼井さん、どうして分かってくれないの? こんなにいつも一緒にいるのに。」


握っていた手にそっと力を込めた。


「ねえ。俺は蒼井さんにとってどういう存在?」


そう。手をつなぐことを許してくれているこの俺は。二人で出かけることをオーケーしてくれるこの俺は。


「あ、あの、あの、お兄さんみたいな先輩、です。」

「それだけ?」

「ええええ……と、あの、宇喜多さんは……」


困り切った様子で空いている手を胸に当てる彼女。次に出てくる言葉を待つ間に期待で微笑んでしまう。


「毎日の生活に属しているひと……。」


(え……?)


予想外の真剣な表情とまっすぐな視線に不意打ちを食らった。


「一緒に通勤して、仕事をして、テニスをしたり、遊んだり、おしゃべりをしたり……。」


彼女との毎日が鮮明に浮かぶ。楽しくて充実した時間が。


「あのう……、このままじゃ…ダメですか?」

「……え? このままって……。」

「今の、こういう……。」


(こういう……関係?)


思わず、つないでいる手に視線が行った。彼女もつられてそれを見た。


「それは……、」


探るような声になった。声を小さくすればその可能性が小さくなる、というわけではないのに。


「俺のことは好きになれないってこと?」


ハッと彼女が顔を上げた。その表情が何かを訴えるような、懸命なものに変わる。


「違います。そうじゃなくて。」


苦しそうに目を閉じた。


「違います。でも、ダメなんです。ダメになっちゃうから。」

「ダメにって……どういうこと?」

「言えません。ダメなんです。」


答えながら首を振る。


(いったい何が?)


彼女が何を恐れているのか――そう、恐れているのだ――それが分からない。


「今のままじゃダメですか? それが一番いいんです。宇喜多さんのためにも、それが一番いいんです。」

「蒼井さん……。」


まるでふたりの仲が進んだら不幸になると確信しているみたいだ。


「わたしは今のままで大丈夫です。毎日、とても楽しいです。だから今のままで――」


突然、彼女が言葉を切った。何かに気付いたように目を見開き、息をのむ。そしてそっと顔をそむけた。


「蒼井さん……。」


手を離し、彼女の頭をそっと抱き寄せる。彼女は反射的に体を硬くしたけれど、すぐに力を抜いて、頭を肩にあずけてくれた。


「驚かせちゃったね、ごめん。」


彼女が深く息をついたのを感じた。


「ちょっと……お互いに混乱してるみたいだ。今日はこれで終わりにしよう。ね?」


肩の頭が小さくうなずいた。


「じゃあ、帰ろう。この話はまたいつか。明日はいつもどおり会おうね。いい?」


こくん、とまたうなずく。


ポンポンと軽くたたくと、蒼井さんが肩から離れた。手を取ると、彼女は素直に歩き出した。


別れのあいさつをするまで、俺たちはどちらも何も言わなかった。







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