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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第七章 進め! 進め! 止まれ?
114/156

114 ◇ 他人には言えない ◇


(今日は忙しかったー……。)


月曜日の窓口当番はあっという間に過ぎてしまった。市県民税の納期限だったから。


でも、五時を過ぎるとお客様はほとんど来ない。役所の窓口は一般的に「九時から五時まで」という言葉が浸透しているらしいので。葉空市は夕方は五時十五分までが受付時間なのだけど。


(疲れた……。)


気持ちがぐったりしてる。でも、忙しかったおかげで余計なことを考えなくて済んで良かったな。


(この土日は本当にいろいろあったから。)


予定では土曜日に宇喜多さんとお出かけして、日曜日は思い出にひたりながら勉強したり部屋の片付けをしたりするつもりだった。のんびりと。


ところが土曜日のお出かけのあと、夜に樫森くんから電話が来て、それで落ち着かなくなってしまった。


日曜日には樫森くんと会って、しかも告白されて、それを乗り切ったと思ったら今度はいきなり宇喜多さんと会って。


(あれは恥ずかしかった……。)


さんざん宇喜多さんの自慢話をしたあとだったから。樫森くんがまだ一緒にいるときに本人に会うなんて、なんて間が悪いんだろう! 本っ当に恥ずかしかった!


きちんとごあいさつもしないで逃げちゃったみたいになったから、宇喜多さんが気を悪くしていないか心配だったけど、今日もいつもと変わりがなくてほっとした。しかも、樫森くんと二人で飲みに行ったなんて言うし。


聞いたときはびっくりした。そんなに意気投合するなんて。


確かに九重の先輩後輩だし、二人とも良いひとだ。でも、初対面なのに。まあ、それでも楽しかったそうだから、よっぽど馬が合うんだね。


(それに、樫森くんは約束を守ってくれたみたいだしね。)


宇喜多さんの態度が変わりないということは、そういうことだろう。樫森くんはちゃんとわたしの気持ちを秘密にしてくれたのだ。


(そんなことよりも。)


そう。「そんなことよりも」だ。


疲れている原因は夕方の出来事だ。宇喜多さんや樫森くんよりも、ずっとずっと重いこと。


それはお母さんからの電話。わたしがめったに顔を出さないので、怒って電話してきたのだ。


顔を出さないと言っても、ボーナスのときにはお金を振り込んでいるし、そのときに電話もかけた。音沙汰無しというわけではない。けれど、お母さんにしてみれば、それでは全然足りないということ。


でも、休日には掃除やテニスや勉強など、やらなくちゃいけないことがある。けっこう忙しい。それが顔を出せない第一の理由。第二の理由は電車とバスを乗り継いで一時間くらいかかるということ。市内とは言え、仕事帰りに寄るのは、帰りを考えるとけっこう厳しい。お母さんに文句を言われたときはこういう言い訳をする。


言い訳。……そう。これらは事実だけど、建て前としての言い訳だ。


休日だってゴロゴロしているだけの日もある。平日だって、仕事の都合を付けて休暇を取ることは可能だ。でも、積極的にお母さんのところに行こうとは思えない。もっと正直に言えば、本心ではあまり行きたくない。


べつに、お母さんを嫌いなわけじゃない。ただ、会うととても疲れてしまうのだ。電話でも。愚痴やお小言ばかり聞かされるから。


それは仕方がないのかも知れない。お母さんは離婚する前からずっと苦労していたから。


うちが貧乏だったのは、単に父が商売が下手だったせいだ。お母さんのせいじゃないし、それどころか苦しい家計からわたしの進学費用を貯めてくれていた。そのお金は父がお母さんに内緒で借金の返済に使ってしまった。


離婚することになったとき、知り合いの中には、わたしを高校を辞めさせて働かせろと言った人もいた。けれどお母さんは「高校は絶対に卒業しなさい」とわたしを守ってくれた。働きながら母子家庭の制度も利用して、家族三人の生活を支えてくれた。そういうことは本当に感謝している。


だからわたしもアルバイトと奨学金で、修学旅行代や教科書、学用品、それに洋服代なども自分で賄った。離婚したあとはお母さんにお金を出してもらったことは無い。


でも。


お母さんにとって、わたしはダメな子どもでしかない。


例えば小学生のころ、お小遣いで買ってきた母の日や誕生日のプレゼントはどれも気に入ってもらえなかったし、手伝いも食事も常に遅いと怒られた。夏休みの自由研究はお母さんの案以外はすべて「無理に決まってる」と却下され、お母さんの考えたとおりにやらなくちゃならなかった。そして、よその人に「手伝ってあげないと何もできない」と言うのだ。学校の楽しかったことを報告していても、「しゃべってばかりいる」と怒られた。


わたしの人見知りもお母さんをイライラさせる原因だった。人見知りなど無いお母さんには、わたしが知らない人と話すのを尻込みすることが理解できないから。


とにかくわたしの何もかもが気に入らない。お母さんの理想の娘じゃないから、怒られない日などほとんど無かった。


怒り出すと何年も前のことまで遡って言われるし、謝っても機嫌が直らない。言い返したり、悔しくて涙が出てしまったりすると、もっとひどくなる。だからとにかく謝って、お母さんの怒りが収まるのを待つしか方法が無かった。


わたしが感情をあまり表に出さないのは、たぶん、この影響が大きいのではないかと思う。他人の機嫌を損ねるのが怖いから、意見を言うのも苦手だ。でもこれは、花澤さんと一人暮らしのお陰でかなり改善したと思うけれど。


もちろん、厳しく育てられたことで良かったこともある。


周囲からは礼儀正しくてしっかりしているといつも褒められてきたし、家事一般には困らない。自立心もついた。就職がすんなりできたのもそのお陰だと思う。要するに、今の生活の根っこの部分はお母さんの教育の賜物なのだ。だから有り難いと思っている。


けれど。


どうしても、気持ちが。


会ったり話したりするたびに愚痴やお小言を言われると思うと、どうしても気が進まない。わたしから連絡するのも最低限になってしまう。


お母さんはそれが気に入らない。きのうは電話の最初から嫌味を言われた。「親のことなんか忘れてるんだろうけど」って。「お盆も来なかった」って……公務員にはお盆休みなんか無いし、お盆の行事をやるわけでもないのに。


わたしのことを心配してるのかも知れないけれど、その言い方が問題だ。「よその家では娘がもっと顔を見せに来ている」なんてちくちく言われると、要するに、ご近所や友だちに対して自分の体裁が悪いことが問題なんでしょ、と言いたくなる。


……とは言っても、春以来行ってないのは確かに親不孝のような気もするので、今度の土曜日に行くことにした。


(でもなあ……。)


行きたくない理由はもう一つある。


(紙山さんも来るんだろうなあ……。)


紙山さんのことはあまり考えたくない。ますます憂うつになるから。


(あーあ……。)


この辺の家族事情は知られたくないなあ。それに、親に対してこんなふうに思っている自分も嫌だ。もちろん、普通のお友だちには話す必要の無いことだ。でも、結婚を考えるとなったらやっぱり……。


「はぁ……。」


わたしにはどうしてこんなに他人に知られたくないことばかりあるんだろう?


「あのう……。」

「あ、はい。」


ため息なんてついてちゃいけなかった! まだ仕事中なのに。


(ん?)


カウンターの向こうに立つ若い男性――。


「え、かし……え?」

「ごめん、驚かせて。」


声をひそめて謝ってる。ってことは、やっぱり。


「樫森くん……、どうしたの……?」


思わず廊下に人がいないことを確認した。樫森くんは白いポロシャツにジーンズ姿で気まずそうに頭を掻いた。


「ええと、かもめ区役所の税金のところって聞いてたから探して来たんだけど……。」

「何か用事……?」


これからも会ったりしようとは言ったけど、まさか翌日にって……?


「ええと、宇喜多先輩にちょっと……。」

「宇喜多さんに?」


わたしじゃなく、きのう会ったばかりの宇喜多さんに用事?


「実はさあ、きのう、飲みに行ったんだけど……」

「ああ、それは聞いたよ。」

「俺、おごってもらっちゃって……」

「え。」


それは聞いてなかった! きっと、わたしが気にすると思って言わなかったんだ。


「それだけじゃなくて……」

「まだあるの?」


初対面の相手におごってもらっただけでも申し訳ないのに。


「俺、飲み過ぎて気持ち悪くなっちゃって……」

「うそ……。」


なんだか胸がきりきりしてきた。


「先輩がタクシーで送ってくれたんだ……。」

「信じられないっ。何やってんの?!」


思わず小声で叱ってしまった。


「ごめん。蒼井から話聞いててどんな人か知りたかったし、ちょっとカッコつけてみたかったんだよ……。」


呆れて言葉の無いわたしの前で樫森くんが小さくなる。


「で、お詫びに……。」

「……ちょっと待ってて。」


静かに言ったつもりがドスの効いた声が出た。立ち上がると同時に窓口終了のチャイムと案内が流れた。


(なんでそんなことになっちゃったのよ?!)


二人で飲みに行ったことだって驚いたのに、おごってもらって気持ち悪くなるほど飲むなんて!


もう……、男の子って意味が分からない!







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