111 迷った末の奇妙な展開
(来ちゃったけど……。)
JRの改札口を出たところでハタと立ち止まった。具体的なことを何も考えていなかった。
(もうすぐ三時か……。)
電話が来てから三十分弱。とにかく横崎に行かなくちゃ、とひたすら思ってここまで来た。でも、それ以上の計画はまったく無い。自分では落ち着いていると思っていたけれど、やっぱり動転していたらしい。
(店を覗きに行くのもなあ……。)
相河たちが蒼井さんを見たのは、二人でときどき利用するカフェだそうだ。今日も寄ろうと思ったら、入り口に近い席に蒼井さんと若い男が二人でいたのであわてて引き返したと言っていた。
(弟さんの可能性もあるよな……。)
目立たないように、待ち合わせの人たちがぼんやりと立っているあたりに紛れ込みながら考える。
弟さんは中学三年生だ。でも、葵も相河も、相手は中高生には見えなかったと言っていた。そして、とても親し気で楽しそうだった、と。
(……誰なんだろう?)
彼女が気兼ねなく一対一でいられる男はそれほど多くないはずだ。それは普段の会話でわかる。だとすると。
(宗屋か……花澤さんあたり?)
偶然会って、おやつでも……という流れになったとか。蒼井さんが何か相談したくて誘ったという可能性も、認めたくないけれど認めよう。でも、そのどちらかが呼び出したというのは無いはずだ。有ってほしくない。
(でも……。)
花澤さんを相河たちが「若い男」と表現するだろうか。それに、宗屋がカフェなんかに入るだろうか。蒼井さんだって、きのう、俺と出かけたばかりなのに、ほかの男と二人で出かけるなんて……。
(いや、そんなことより!)
俺はどこに行くつもりなんだ?
この中央通路を右に行くと東口方面、教えてもらったカフェが入っているビルがある。
だけど、そこで二人を見たとして、俺はどうしたいんだろう? 中に入って問い質す? 見ないふりをする?
(確かめたいのか? 知りたくないのか?)
そもそも見たいのか?
自分の気持ちがよくわからない。居ても立ってもいられなくて、こうやって来てしまったのに。もしもその相手が蒼井さんの本命だとしたら?
(……店にはもういないかも知れない。)
浮かんだ言葉に促されるように、足が反対方向に向いた。
(決めた。向こうへは行かない。)
店を覗いたりしない。いるかどうかわからないし、そんなの、まるで彼女を見張っているみたいだ。万が一、蒼井さんと目が合ってしまったりしたら、それこそ言い訳のしようがない。
だとすると、残る選択肢は……待ち伏せ?
(それもなあ……。)
このまま行けば西川線の改札口には行ける。二つあるうちの片方を見張ることはできるけれど。
(見ちゃったらどうするんだ?)
やっぱりわからない。
このまま帰って、何も知らないことにしようか。もしかしたら、蒼井さんから話してくれるかも知れないし。
だけど、俺はそれを信じられるだろうか。彼女の説明を素直に受け入れられるだろうか。それに、そもそも彼女が話してくれなかったら?
「あの日は何をしていたの?」と、尋ねてみるのか? そのとき、彼女はどう答える? 出かけなかったと言ったら? そしてもし、俺よりも今日の相手の方が好きだとしたら……?
(ああ! だめだ!)
何も決まらないまま、人の波と一緒にくねくねと歩いた。たどり着いたエスカレーターに乗り、地下から一階、一階から二階へと進む。うじうじ悩んでいる自分にイライラする。
(このまま行くと西川線だ。)
べつに待ち伏せするつもりはない。ただ通るだけ。通り過ぎる同じタイミングで蒼井さんが来るなんて偶然は奇跡に近い。
靴のつま先を見ながらエスカレーターから通路へ踏み出す。左右へ行き交う人の間を縫うように進む。速足で。
(俺は探しに来たんじゃない。だから見回したりしない。用事があって通りかかっただけなんだ。)
「わ、すみません。」
柱の陰から出て来た女性が、ぶつかる寸前でトトン、と軽く足をそろえて止まった。その小柄な姿が視界の隅に引っかかり、思わず顔を上げた。
「蒼井さん……。」
見慣れたポニーテールに今日はワンピースだ。溌剌として、いかにも若い女の子という雰囲気で……。
「宇喜多さん……?」
目を丸くした蒼井さんが俺の名を口にした。
(会えた……。)
探し求めていた蒼井さん。
そうなのだ。やっぱり探し求めていた。信じたくて。
けれど、その隣には俺の知らない男が立ち止まっている……。
蒼井さんの連れの男が気を遣うように周囲を見回した。彼女も気付いて動き出し、三人で邪魔にならない場所に移動する。そのあいだにさり気なく男を観察しようとしたら、目が合って会釈された。さわやかな好青年という印象に、ほっとしたような、残念なような、複雑な気分だ。
「あ、あの、びっくりしました。こんなところで会うなんて。」
「うん……、本当だね。」
俺より彼女の方が驚きが大きかったらしい。頬が赤くなっている。
「ええと、」
蒼井さんが俺と隣の男をそわそわと見比べる。それから「うん、そうだよね」と小さくうなずくと俺を見上げた。
「ええと、このひとは、高校のときのお友だち……」
そこで問いかけるように男を見上げ、そいつが微笑んでうなずいた。そんな些細なやり取りに嫉妬が湧き上がる。
「お友だちで、樫森くんです。」
自分に言い聞かせるみたいにうなずきながら説明してくれた。まるで「お友だち」であることに自信がないみたいだ。友だちじゃないとしたら何? それ以上の関係?
「で、こちらが宇喜多さん。同じ職場で、あたしたちの先輩の……。」
蒼井さんの声がだんだん小さくなって下を向いてしまった。俺についての簡単明瞭な説明が悔しい。俺はそれ以下でもそれ以上でも無いのだ。
下を向いた彼女の耳と首が真っ赤に染まっている。ふたりで一緒にいるところを見られたことが、そんなに恥ずかしいのだろうか?
「こんにちは。」
連れの男があいさつしてくれた。
「……どうも。」
俺は愛想良くできているのか?
「あ、あの……。」
蒼井さんがまたおろおろと俺たち二人を見比べる。今や頬だけじゃなく、顔全部が真っ赤だ。困った様子で拳を口許に当て、さらになぜか涙目になっている。そこで突然、背筋を伸ばすと。
「すみません。もう帰るので。お疲れさまでした。」
「あ……。」
彼女は深々と頭を下げ、あっという間に小走りに行ってしまった。西川線の改札口はすぐそこ。俺は彼女の背中をぼんやりと見送るしかなかった。
「逃げたな……。」
隣からつぶやきが聞こえた。そちらに目を向けると、そいつもこちらを見て微笑んだ。
「宇喜多先輩でしたよね? 樫森です。よろしくお願いします。」
「こちらこそ……よろしく。」
いったい何を? と、思う。さわやかな笑顔は俺への挑戦か?
「先輩って、S大のテニス部の……ですよね?」
(S大のテニス部?)
そう言えば蒼井さんが、クラス会で俺の話題が出たと言っていた。海で会ったS大の後輩から広まったウワサだ。
「キミもあのウワサを聞いてるの?」
「はい。でもあれは」
「本当だから。」
彼の言葉を遮った。
「蒼井さんは否定したかも知れないけど、あれは本当だから。」
キミの出番など無いんだよ、だから邪魔しないでくれ、という思いを込めた。そんな俺の視線を受け止めると彼は少し驚き、それから……微笑んだ。
「やっぱりそうですよね。」
「え?」
戸惑う俺に、彼はさらに笑顔になって言った。
「違うって言いながら、先輩の自慢話ばっかりするんです。」
(俺の自慢……?)
蒼井さんが俺のことを……?
「少しお話しできませんか?」
「え?」
「お近付きのしるしに一杯とか……?」
(どういうことだ?)
何か企みがあるのだろうか。まあ、俺としても、彼と蒼井さんの関係は気になるわけだし……。
(でも。)
「いいけど、キミはもう二十歳になってるの?」
そう。未成年に酒は飲ませられない。法を犯す手伝いなんて絶対にしない。
「あ、はい。七月に二十歳になりました。」
「そう。それならいいけど。」
「ありがとうございます!」
「いや、それほどのことは……。」
さわやかさと礼儀正しさに押され気味だ。彼が悪い子じゃないことは容易に察することができる。そもそも蒼井さんが仲良くできる相手なのだし。だけど。
……気に入りたくなんかない。




