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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第七章 進め! 進め! 止まれ?
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104 二つ目の目標?


葉空市を志望した本当の理由は言うつもりではなかった。表向きの格好良いことだけにしようと思った。


けれど、蒼井さんがあんまり真面目に受け止めてくれたので、それではずるいと思った。自分を実際以上に良く見せて、蒼井さんをだますことになると。だました状態で俺を選んでもらうのは不誠実だ。


そう思って本当の理由を話したのだけど、それだけでとても気が楽になった。蒼井さんが俺の外見をまったく気にしていないというのはお世辞かも知れない。でも、これでもう、服装に関しては今回ほど悩まずに済むのではないだろうか。もしかしたら、そのうち一緒に買いに行ってもらえるかも知れないし。


朝から曇っていた天気が、山の中に入ったら霧になってきた。視界が遮られるほどではないし、周囲にほかの車もいるので、怖いことはないけれど。


「すごい。不思議。」


蒼井さんは霧さえも楽しいらしい。さっきから窓に張り付くようにして外を見回している。


確かに両側の森に霧がかかっている景色はきれいだ。黒い木の幹と緑の草や葉に白い霧がふわふわとまとわりついている様は幻想的とも言えそうだし、緑の谷間を埋める霧のかたまりも幽玄な雰囲気をたたえている。


ダムに到着して車を降りると空気がひんやりした。街の中の蒸し暑さがウソみたいだ。


相変わらず霧は漂っていて、駐車場の隣にある公園は奥が見えない。その向こうにあるダムの壁は上の方がうっすら見えるだけ。それでもそこそこ車が入っていて、子どもの声や連れ立って歩いている姿もある。


「雨は降ってないですね。」

「うん。それだけはありがたいね。」

「それだけ、なんてことないですよ。」


蒼井さんは変わらず笑顔だ。


「霧の中に入るなんて普段はできないですから。きれいだし、なんだか面白い。」


俺が「蒼井さんはいいなあ」と思うのはこういうときだ。小さなことでも、一緒にいると楽しい気分になる。


「まずはダムに登ってみようか。」

「はい。」


霧が濃くなってきたら、手をつないで歩けるかも?





「わあ、すごい! 何にも見えない!」


手すりに駆け寄った蒼井さんが言った。


そのとおり。何にも見えない。コンクリート製の大きなダムの上まで来る一時間弱のあいだに霧が濃くなってきたのだ。


「見事に真っ白だね……。」


ダムの壁は本当に巨大だった。近付いて行くときは、逆に迫って来ているような錯覚におそわれた。


霧を通して見えていた壁は次第に霧の隙間にだけ見えるようになり、てっぺんにたどり着いたときには、手すりの下は真っ白になっていた。


左右の視界も十メートルくらいだろうか。周囲がわたあめみたいな霧に覆われていて、すれ違う人たちは白い幕の中から突然現れるように見える。まるで、違う世界からやってくるみたいに。


手すりをつかんだまま蒼井さんが振り返った。


「何にも無い世界にいるみたい。ここだけが実体があるバルコニーで。」

「ああ……、本当だね。」


彼女の隣で手すりにつかまると、本当に世界にふたりだけしかいないような気がした。ときどき聞こえる足音や話し声が現実に引き戻してくれる。


本来ならはるか下に流れ出す川とそれを囲む山の緑、そして運が良ければ山の隙間から俺たちが住んでいる葉空市のタワービルまで見えるらしい。でも、今は徹底的に何も見えない。遠くに水音がするだけだ。


(でも。)


蒼井さんの横顔を確認して思わず微笑む。彼女は大きく目を見開いて、この景色に夢中だ。


(やっぱり蒼井さんは違う。)


さっきすれ違った二人連れは、女性が文句たらたらだったのだ。疲れたのに何も見えない、と。そんな彼女を連れている男が気の毒になった。そもそもここにハイヒールで来てしまったことが間違いだと俺は思うのだけれど。それともサプライズ企画だったのだろうか。


(……あれ?)


しばらくほんやりしてから、ふと気付いて周囲を見回す。


(もしかして、これは……。)


手すりから乗り出して左右を見ても、やっぱり霧の中。


(密室状態……?)


さっきまでは足音や話し声が聞こえていたけれど、今は人の気配が無い。こんなに視界の悪い状態で景色を見ようと思う人は俺たち以外にいないらしい。


(と言うことは。)


誰にも見られていないということだ。


(俺が蒼井さんに何をしても。)


胃のあたりがなんとなく落ち着かない気分になってくる。


(いや、蒼井さん()、だな。)


「蒼井さんに」だと、何か犯罪を企んでいるみたいに聞こえる。俺はべつに蒼井さんをここから突き落とそうとか思っているわけじゃない。


(なんてことを考えてる場合じゃなくて。)


何をすべきか考えなくちゃ。たとえば。


「………。」


息を殺して半歩ほど横にずれてみた。肘が蒼井さんの腕にぶつかった。


そっと様子をうかがおうと思ったら、その途端に目が合った。


「あっ、ははっ、あの、なんだか怖いような気がして。」

「うん。本当に。」


言い訳をしてしまった自分が少し情けない。でも、蒼井さんがそこから動かないということは、腕が触れていても気にしないということか。


(じゃあ……、じゃあ……。)


次を試せと頭の中で声がする。


(後ろから抱きしめてみる……?)


彼女は手すりにしがみついているわけだから、それは簡単にできそうだ。()的にロマンティックな気がするし。


(そうしたら彼女はどうするだろう?)


驚いて固まる? 恥ずかしがってじっとしてる? そんな蒼井さんに「好きだよ」って囁くとか。


(うーん、素晴らしい……。)


完璧なシナリオだ。


それとも驚いて振り向くだろうか。だったら、ちょっと強引だけど、思い切ってキスっていうのがいいかも知れない。男っぽさのアピールにもなりそうだし。だけど……。


(びっくりしすぎて悲鳴をあげるかも。)


抱きしめた途端に悲鳴をあげられたら目も当てられない。しかも、これが一番可能性が高そうな気がする。


(じゃあ、正面か。)


彼女の両肩に手をかけてこちらを向かせて。


もちろん、彼女は驚いて俺を見るだろう。そこで。


(告白? キス?)


……迷うところだ。


俺としては男っぽく一気に行きたい。でも、やっぱり順序を守った方がいいような気がする。ちゃんと、「好きだからキスするんだよ」と理解してもらうのが筋ではないだろうか。そうじゃないと、俺がただ欲望のままに行動していると誤解されるかも知れない。いや、だけど、見つめ合った時点で緊張してどもっちゃったりしたら目的が果たせないし……。


(悩む。こういう場合は……。)


やっぱり後ろからだな。失敗の可能性が少ない方。驚かれないように、そうっと。


(よし決定。では。)


気付かれないようにゆっくり…いや、素早く? でも、慌てると不完全な角度になりそうだ。悲鳴の危険もあるし。


(いや、ちょっと待て。)


よく考えたら、こんなに密着して隣にいたら、気付かれないように動くのは無理だ。やっぱり素早く動くのが正しい。


(うん、そうだ。いざ。)


「宇喜多さん。」

「ひっ?!」


(気付かれた?!)


「あ、すみません、突然。」

「あはは、いや、大丈夫。ちょっと霧に見惚れてて。」


心臓がバクバクしてる。あやまられたってことは、彼女は疑ってるわけじゃない……?


「ああ、わかります。催眠術にかかりそう。」


取り繕った言い訳を彼女はそのまま受け入れた。こういうときに信頼がものを言う……のだけど。


(チャンスが消えた気がする……。)


落胆はかなり大きい。


「反対側も見に行きませんか?」


俺の気持ちを知らずに彼女が誘う。


「そうだね。」


後ろ側はダム湖になっている。広い湖面には遊覧船やカヌーが浮かぶ景色が見えるはずだ。今日は無理だろうけれど。


「後ろもすごい霧。」

「うん。」


彼女と一緒に向きを変える。さすがに大きなダムだけあって幅が広い。向こう側の手すりが霧の中で見えない。


とととと……っと走り出した蒼井さんがパタリと止まった。すぐに振り向いて、また、ととと…と戻ってきた。隣に並ぶと、俺を見上げて微笑む。その微笑みが……。


「どうしたの?」

「見えなくなったらちょっと怖いかなって。会えなくなりそう。」


(う、く……っ。)


胸にキーーーーンと来た!


甘えるような、心細そうな、恥ずかしそうな。


もう、かわいくてかわいくてかわいくてかわいくて……。


一瞬後、パッと彼女が俺を見上げた。目を大きく見開いて。それに微笑みを返す俺の心臓はめちゃくちゃに乱れていて、でもそれを必死で隠して……。


「迷子にならないように。」


彼女の左手は、俺の右手の中にある。







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