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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第七章 進め! 進め! 止まれ?
103/156

103 ◇ 宇喜多さんのこだわり ◇


(ああ、びっくりした……。)


宇喜多さん、急に髪にさわるんだもの。まだドキドキしてる。くすぐったかったし。


(平常心、平常心。)


気付かれないように深呼吸。酸素が体中に行き渡れば鼓動はもとに戻るはず。理論上は。


(ストーミィを抱いていよう。)


動揺をごまかすものが必要だ。


(やっと落ち着いたところだったのに……。)


宇喜多さんを待っているあいだにどんどん緊張が高まってきていて。お弁当を作っているときは平気だったのに。


だって、仕方ない。


今日はちょっとだけ違うから。ううん、「ちょっと」じゃなくて「たくさん」だね。わたしにとっては、だけど。


そう。わたしにとっては特別なお出かけ。何かのために行くのではなくて、出かけることそのものが目的だというところが今までとは違う。だから、とても緊張している。いいえ、緊張していた。


その緊張は、宇喜多さんとあいさつを交わしたらふわりと消えた。いつもと変わらない宇喜多さんだったから。


宇喜多さんは今日のお出かけを何とも思っていない。それがわかったからもう大丈夫。わたしの気持ちも無いことにして行ける、と思った。なのに。


(急に髪にさわるなんて。)


宇喜多さんに触れられると、本当に困ってしまう。恥ずかしいし、ドキドキするし、それに……くっつきたくなってしまう。


もちろん、そんなこと、「どうぞ」って言われても無理だけど。恥ずかしくて。


「蒼井さん? 何してるの?」

「この子が乗っかるかと思って。」

「くくっ、ストーミィを? 頭の上に?」

「はい。……あ、落ちちゃう。」


(笑われてるけど……。)


こんなことでもして気をそらさないと、余計なことばかり考えてしまう。


「揺れるから無理だと思うな。」

「そうですか? できると思うんですけど。」

「そう? じゃあ、賭けようか。十秒間。」

「十秒は無理ですよ。五秒間。」

「よし、五秒ね。手を離してからだよ?」

「はい。」


よし。とりあえず、しばらくはこれで大丈夫。





「そう言えば、宇喜多さん。」


山が近くなってきたころ、ふと思い出して声を掛けた。ストーミィで遊んだお陰で照れくさい気持ちは消えて、今は安心して座っていられる。


「宇喜多さんはどうして葉空市役所に就職したんですか?」

「んー、地元だったからかな。」

「ああ、そうじゃなくて、あの、大学生のときに大企業からたくさんお誘いがあったって聞いたので……。」

「あはは、そんなにたくさんじゃないよ。ウワサだから大袈裟になってるだけだよ。」

「そうかも知れないけど、でもあったんですよね? 大企業の方が絶対にお給料高いですよ? いろんな手当も充実してるって聞いてるし。」


職場の先輩たちから聞いた話では、家賃の補助があるとか、ボーナスが多いとか、社員食堂があるとか、会社の経費で食事代が出ることがあるとか、タクシー券が簡単に使えるとか、いろいろあった。


葉空市役所は育児休暇や介護休暇など、雇用条件面では整備されている。でも、それは率先して法律を実行して普及させる立場だからだ。お金の面ではものすごく渋い。


税金が収入源だからそれは当然だけれど、他の都市に比べても厳しいらしい。大都市だから住民の目も厳しいのだと花澤さんは言っていた。景気が良くてもお給料やボーナスが上がらないのも公務員の特徴なのだそうだ。


だから、大きな企業で働いた方が得なはずだ。わざわざ声がかかるようなひとなら、すぐにエリートコースに乗るのだろうし。そうなったら市役所の職員なんかとはあっという間に収入に差がつくし、最終的には年金の額だって違ってくる。


「うーん、そうだなあ……。」


考え込む穏やかな横顔。遊びに行く日なのに少々真面目過ぎる質問にもきちんと答えてくれようとしている。こういうところも、わたしが安心して話ができる理由だ。


「生活しているひとの近くで働きたかったから、かな。」

「生活しているひと?」

「うん、そう。」


ちらりとわたしに微笑んで、宇喜多さんが続ける。


「俺がいた研究室は経済とか金融系の調査や分析をやっていてね、俺も先生の手伝いでいくつかの企業と接点があったんだ。インターンシップに参加させてもらったりもしたんだよ。」

「そうなんですか……。」

「そういう仕事は面白かったよ。予想が当たったり、企画を褒められたり、新しいことがわかったりすると、すごく手応えがあって。」

「そうですよね……。」


確かにそれは面白そう。自分の力を発揮できて、結果がはっきりわかるわけだから。


「でもね、そういう仕事って数字しか見てないなって、突然思ってね。」

「数字しか?」

「うん。世の中に流れているお金って、本来は『人』があってのものでしょう? 誰かが働いて得たお金があって、そのひとの生活の中で使われていく。企業間の取引にしたって、もとは誰かがどこかで使ったお金のはずだよね?」


ええと……。


「つまり、A社がB社に払うお金は、A社が商品とかサービスを売って、誰かから得たお金……ってことですか?」

「そう。まあ、直接じゃないケースも多いけどね。」


(つまり……?)


そう言えば、通信販売が安いのは店を構えたり店員を雇ったりする必要がないからだと聞いたことがある。それって、わたしたちが何かを買うときには、その商品を売るためにかかっている経費にもお金を払っているということだ。作った人や運んだ人、それを開発した人や宣伝した人、ほかにもたくさんあるはずだ。で、その商品に使われたお金は、ばらばらの流れになってそれぞれの会社に流れて行く……。


「なるほど……。」

「あはは、そんなに真剣に考えなくてもいいんだけど。」

「はい。」

「大学でやっていたのは個人の生活の特徴や傾向を調べたり分析たりして、その結果を利用していくようなことだったんだけど、そこには個人が存在しないみたいな気がだんだんしてきてね。」

「個人の生活を調べているのに、ですか?」

「うん。何て言うか……ただのデータになっちゃってるって言うのかな。そのひとがどんな思いでそこにお金を使ったのか、そいうことが気になりはじめて。」


つまり、個人の心ってこと……?


「それで、『生活しているひとの近くで』って……。」

「うん、そう。世の中にはいろいろな思いを抱えたひとがいるはずでしょ? それをグループ分けして見るのは……ちょっとさびしいなって思って。で、いろんなひとたちの思いを受け止めながら働けるところって考えたら市役所かなって。」

「だから県庁でも国家公務員でもないんですね?」

「まあね。」


そこで宇喜多さんは、なぜか楽しそうにくすくす笑った。


「っていうのは建前でね。」


笑顔のままわたしをちらりと見て、肩をすくめた。


「本当はコンプレックスなんだよね。」

「コンプレックス? 宇喜多さんがですか?」


それは驚きだ。コンプレックスを持つ必要なんてどこにも無いのに!


「そうなんだよね。実はさあ、見た目が……。」

「え?!」


ますます驚きだ!


「いやあ、話を聞きに行った企業の人たち、みんな格好良くてさあ……。」

「そ、そうなんですか?」

「スーツも髪型も靴もセンス良く決まってるんだよね。志望してる学生だってそうなんだよ。肩身が狭くてさあ……。」

「そんなこと無いと思いますけど。宇喜多さん、いつもきちんとしているじゃないですか。」

「きちんとはしてるけどね、どこか違うんだよ。それで、市役所ならそれほどでもないかと思ったんだけど、同期はみんな格好良くてさあ……。」


ため息ついてる。真面目な話なんだ。


「まあ、仕事始まってからは気にする余裕も無くなったけど、今でもときどきね……。」


コンプレックス継続中ってこと……?


(なんてこと。)


宇喜多さんが見た目を気にしていたなんて。それも、就職先に影響が出るほど。


(あ、でも、それは違うかな。)


就職先を選んだのは、やっぱりコンプレックスだけが理由じゃないよね? そこにはちゃんと宇喜多さんのこだわりがあったはずだ。だって、「仕事」は人生の大きな時間を費やすものだもの。理解できないことやつまらないと思うことに、自分の時間をかけたいと思うだろうか。特に、宇喜多さんのように生真面目なひとが。


(うん、そうだよ。成り行きで決まったわたしとは違うはずだ。)


宇喜多さんが、自分で納得できないことを仕事として選ぶとは思えない。たぶん、建前だと言ったことが、やっぱり本当の理由なんだ。そうじゃなきゃ、あんなふうに話せないはずだ。もちろん、見た目の話も本心ではあるのだろうけれど。


「わたし、宇喜多さんがセンスが悪いとか、思ったことありませんよ?」

「……そう?」

「まあ、わたしの意見じゃ当てにならないかも知れませんけど……、でも、わたしは宇喜多さんくらいが良いと思います。」

「そう…かな?」

「そうですよ。だって、あんまりお洒落だと胡散臭くないですか?」

「え、胡散臭い?」

「そうです。宇喜多さんは安心で信用できる感じでちょうど良いです。わたしも安心してお話しできますから。」

「ふっ、くく…、そう?」


笑ってくれた。そう。宇喜多さんにはコンプレックスなんて必要ないんだもの。


「はい。絶対に。」







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