プロローグ ボクと姉さん
朝、目が覚める。
少し眠気の残る頭を軽く振って、時計を見てみれば時刻は六時二十分。
いつもよりもちょっとだけ早い起床時間。
「んー、なんだか得した気分になるね」
そう言いつつ、ボクはベッドから降り、階下の洗面所へと向かう。
ボクの起床時間はたいてい朝の六時半だ。
特定の職業についてるわけでもなく、学生でもないボクがこんなに早起きなのには理由がある。
それはずばり、ボクが主夫と言う奴だからだ。
そんな主夫であるボクが目覚めて最初にやる事は、洗面所で顔を洗う前に洗濯機を回すこと。
主夫であるボクの私見として、洗濯機って凄くいいものだと思うんだよね。
天使が遣わした救世主のように光り輝く漂白剤。
あらゆるものを柔らかく包み込む柔軟剤。
スイッチを入れて運転を開始した洗濯機を覗き込めば、中では洗濯物が生き生きと跳ね回っている。
洗濯機は我が家の稼ぎ頭である姉さんの収入があった時に頼み込んで買い替えてもらったドラム式の洗濯機で、洗濯中も中が覗けるようになってる。
さらには小型で省スペース、低振動・低騒音で深夜でも使えて、節水・節電にも優れるハイテク洗濯機だ。
けど、そんなものはぜんぶ些細なことだ。
一番重要なのは、そう、洗浄力。
ボクがこの洗濯機に出会って感じた驚きは、アメリカ大陸を発見したコロンブスにも劣らないだろう。
この洗濯機の洗浄力は、全ての洗濯機を過去のものとするほどに素晴らしい……。
加えて、この洗濯機にはイオン洗浄とプラズマクラスターとかいう機能がある!
イオン洗浄にプラズマクラスター……よくわからないけど、何か凄そうだ。
プラズマクラスターって名前を聞いたときは、クラスター爆弾が降り注ぐ大地のような衝撃を感じたねっ。
何とはなしに、積み重ねてあるバスタオルに顔を埋めると、ふかふかと柔らかい感触。
昨日に干したバスタオルたちは、太陽の光をたっぷりと浴びて柔らかな感触と香りを演出している。
うん……素晴らしい。実に素晴らしいね。
「買ってよかった、洗濯機」
うんうん、と頷きながら、運転を続けている洗濯機の音を効果音に顔を洗う。
顔を洗い終えて、ボクがピッカピカに磨き上げてる鏡を見れば、そこにはいつも通りの自分。
顔色も悪くないし、洗濯機を買い替える代価に姉さんに言われて伸ばしてる髪の毛も乱れ一つ無い。
うん、完璧だ。
さて、洗濯をしている間に朝ごはんの支度をしなくちゃならない。
朝ごはんは何時もと同じように手早く作れるもの。
トーストに目玉焼き、カリカリに焼いたベーコン、皮がパリッとしてるソーセージ。
全部焼くだけで済ませられる簡単な朝食だ。
そして、コーヒーメーカーに豆をセットして抽出を開始したら、一番の大仕事が待ってる。
それはずばり、ボクの姉さんを起こすこと。
キッチンを出て姉さんの部屋へと向かう。
姉さんの部屋はボクの部屋の隣。要は二階にある。
一軒家だから他にも部屋があるのに、なんでボクの隣の部屋なのかは分からないけどね。
さて、姉さんの部屋の前に辿りつくと、ボクはノックせずに部屋のドアを開けた。どうせ寝てるんだから、ノックする意味は無いし。
そしてボクの予想通り、姉さんはまだ寝ていた。
部屋の隅に設置されたソファベッドで、何故かゴザに包まれて寝ている。
どうしてこんなところにゴザがあるのとか、なんでゴザに包まっているのかって言う突っ込みはたぶん無意味だ。
姉さんに尋ねても、わけのわからない返事が返ってくるだけだろう。
そういうわけで、ボクは姉さんがゴザに包まれている事は気にせず姉さんに声をかける。
「姉さーん、朝だよー。起きてー」
ボクの声に姉さんはピクリと少しだけ反応する。けど、起きる事は無い。
まぁ、いつものことだとは思いつつも、ため息が出るのは仕方ない事だと思う。
なにしろ、そうなったら実力行使で起こすしかないんだから。
「起きろー!」
そういって、姉さんが包まっているゴザの端を掴んで、思いっ切り引っ張る。
勢いよくゴザが引っ張られたことで姉さんはベッドの上で転がる。
この衝撃で目覚めないなんてことは……。
「あうー……ねむぃー……」
あった。
「おーきーろー! 朝ごはんが冷めるってば!」
ガクガクと揺すぶってみるが、眉を顰めるだけで起きようとはしない。
我が姉ながら、なんて寝汚いんだろうか! ボクは自力で毎日同じ時間に目覚めてるのに!
「いい加減にしないと姉さんの朝ごはん捨てるよ!」
「んゆー……いいもん、お姉ちゃんにはコンビニって言う偉大な味方がいるもん……」
「姉さんの財布没収!」
「へそくりという強力な味方もいるもん」
何が何でも寝続けるつもりらしい。
ボクはため息をつくと、姉さんの机に設置されているパソコンに歩み寄る。
そして、指でも外せるネジを外し、スライド式のケースを外す。
ぎっしりと機械部品が詰まっているパソコンの中身。その部品の一つに、一万円札が貼り付けてある。
それを回収。
「へそくりは回収しましたー。じゃあ、姉さんの分の朝ごはんはボクが食べておくね」
「待って! 待って待って! お姉ちゃんのへそくり返してよう!」
「ちゃんと朝ごはんを食べたら返してあげます」
「あうー……」
恨めし気に睨んでくるけど、ぜんぜん怖くない。
ボクは姉さんの恨めしそうな視線を無視してキッチンへと向かう。
背後から足音がついてきているので、姉さんもちゃんとついてきている。
そして、キッチンに入るとコーヒーの香ばしい香りが漂っている。
姉さんを起こすには時間がかかるから、コーヒーの抽出なんてばっちり終わってしまうのだ。
「んー、いい匂い」
コーヒーの香ばしい香りは好きだ。味は余り好きじゃないんだけどね。
そう思いつつ、マグカップにコーヒーを半分注ぎ、そこに同じ量のミルクを注ぐ。
そして、出来上がったカフェオレをリビングで転がっている姉さんに差し出す。
「ほら、カフェオレだよ」
「お砂糖いれた?」
「入れてないよ」
砂糖を入れると姉さんは文句を言う。
それは既に学習済みなのでわざわざ砂糖を入れたりはしない。
「ん、八十点」
「うーん……牛乳を入れるだけのカフェオレに点数をつけられても……というか、残りの二十点は?」
「お姉ちゃんが自然に目覚めるまで待っててくれて、目覚めた時にさっとカフェオレを差し出してくれたら百点だったかなー」
「わがまま言わない」
そんなのどこのお嬢様さって感じだよ。
そんな事をしてくれる人が欲しいなら、メイドさんでも執事さんでも雇えばいいのに。
この現代日本にそんなの居るかは知らないけど。
「はっ、そうだ。私すごいことを思いついた。天才かもしれない」
「そう、凄いね」
唐突に変な事を言い出した姉さんを放置してキッチンに戻る。
姉さんの話に付き合ってると疲れるのは長く姉弟をやってるから了解済みなのだ。
そういうわけで、お皿に盛ってあった朝食を手にリビングに戻ると、姉さんはテーブルに突っ伏していじけていた。
「ひどい……ひどい……みずきちゃんは私のことどうでもいいって思ってるんだ……」
「はぁ……わかったわかった。それで、すごいことって何を思いついたのさ」
「うん、聞いて聞いて」
テーブルの上に朝ごはんを置きつつしぶしぶ尋ねると、今までいじけていたのが嘘のように立ち直り、目を輝かせて話し始める。
「さっきの百点満点のカフェオレを呑む方法を思いついた。これは実に簡単な方法」
「うんうん」
「まず、みずきちゃんがロンドンの執事養成学校に入学してね」
「うんうん……」
なんだかすごく高難易度のような気がするけど……まぁ、突っ込んでも仕方ないか……。
「そして執事になったら私にメイドさんとして雇われるの」
「……うん」
「それで、朝にはさっき言った百点満点のカフェオレをいれてくれるようにお願いするの。どう?」
「そうだね……姉さんは相変わらず姉さんだね、うん……」
うん、相変わらず発想の仕方が色々とおかしい。
「やった、褒められた」
「別に褒めちゃいないけどね……」
まぁ、それがボクの姉さん……霧島咲綾なんだけどね。
「それで、やってくれる?」
「しないよ……なんでわざわざ執事養成学校に行かなくちゃいけないのさ……」
「私にカフェオレをいれてくれるため?」
「八十点のカフェオレで我慢しなさい。そもそも、ボクがロンドンの学校に行ったら姉さんの世話は誰がするのさ?」
「あ……そっか。みずきちゃん、天才?」
姉さんがヌケてるだけだと思うけどね。
「本当に、姉さんはボクが居ないとダメなんだから」
「む。そんなことは無い。私だってがんばれば自活できる」
「じゃあ一週間くらい友達の家に泊まりに行っていい?」
「あうー。みずきちゃんがお姉ちゃんを兵糧攻めにするー」
やっぱりボクが居ないとダメなんじゃないか。
まぁ、そんなわけで。これは色々とダメな姉さんと、主夫なボクが繰り広げるゆるい日常のお話。
体調を崩してたので、筆休めにちょろっと書いたもの。
連載してる方を書けよと思われた方にはごめんなさい。
でも書きたかったんです……! のし上がるの方は明日中には更新します。