ep.87 上司
ラグナは白い団服に身を包み、街中を一人で歩いていた。金色に輝く髪、日本人離れした目鼻立ち、その格好からも異国風の雰囲気が漂っており、すれ違う人々は皆振り返る。
勿論、彼は他者からの好奇な視線など気にしない。殺気があれば反応するだろうが、平和なこの国でそんな状況に陥るのは稀だ。
もうこの街に来て半年は経過しているが、ヴィクトリアの人間と二度と対峙した以外は、邪種との遭遇すらない。いくら毎日修行しているとはいえ、勘が訛って仕方がないと、ラグナは少し焦りを感じていた。
こうして街を見回っても特に異常は見当たらない。休憩がてら近場のカフェにでも入ろうか悩んでいると、真っ白なコート姿の銀色に輝く瞳をした、一人の女性をラグナは視界に捉えた。
「アリス…隊長!?」
「久方ぶりだな。ラグナ」
彼女の名は アリス・テラ・イーファス。オーフィス騎士団 三番隊 隊長 つまり、ラグナの直属の上司にあたる女性だ。青みがかった髪を後頭部で一つに結び、褐色の肌、銀色の瞳。見間違えるはずもない。
「なぜ…あなたがこのような場所に」
「なに、少し休暇を貰ってな。仕事中だったらすまない。お前の邪魔をするつもりは無かった」
「いえ、そんな事はありません」
ラグナはアリスに敬礼をした後、
上司を今から入ろうと考えていたカフェへ案内した。
彼女の歩き方は常に力強く、全く隙きが見当たらない。久しぶりに見た隊長の姿にラグナは感心する。
頼んだ品はカフェラテが二つとチョコパイ二つ。ラグナはまだ未成年で味覚が敏感な為、ブラックの苦味は受け入れられなかった。そもそも成人であってもブラックコーヒーは好みが分かれるところだ。
カフェラテを選択肢したのは最低限の安全策といったところか。チョコパイは彼がこの街で食し、感動した程の逸品だ。これであればきっとアリスも満足してくれるだろうとラグナも満足げだ。
珈琲を乗せたトレイを手に取り、外の席へと戻ると、鋭い眼差しで街を眺めるアリスの姿に、ラグナはつい目を奪われた。歳は一回り離れているが、魅力的であることに年齢差は無い。だが、これは恋愛感情では無く、あくまで尊敬の現れだ。
「ああ。ありがとうラグナ」
「いえ、この程度はなんでもありませんから」
「それで?なかなかの活躍っぷりじゃないか」
「はぁ…それは…」
「ヴィクトリア二名を破り、憎魔ノ肉塊…サンプルの確保。そして幹部と戦闘し生還。敵の情報を持ち帰る…と。充分すぎるよ。私が隊長に推薦してやろうか?」
「いえ、ぼく…私はまだアリス隊長の下で学ぶことがたくさんあります」
「ほほー!嬉しいことを言ってくれるじゃないか!」
アリスは機嫌が良さそうに自身の膝を叩くと、目の前に置かれたチョコパイに目をやった。それを興味深そうに指でつつきながらラグナへ問う。
「これは…菓子か?」
「はい。中にチョコレートが入っております」
「ほー!」
アリスはパイを乱暴に手で鷲掴みにすると、豪快に口の中へと放り込んだ。その瞬間、口内で熱いチョコレートがとろけだしたせいか、咄嗟に口元を抑える。しかし、徐々に彼女の銀色の瞳に光が宿り、驚愕の表情へと変わった。
「なんだこの菓子は…」
「もし気に入ったのであれば、もう一つ如何ですか?私は毎日食してますので」
「本当か!?」
ラグナから差し出されたパイを、今度は丁寧に三分の一程噛む。サクリと音がした後、アリスは再び口元を抑えウルウルとした瞳をラグナへと向けた。
「こんな物を毎日も…お前、元の生活に戻れるのか?」
「問題ございません!」
とはいったものの、食生活に関してはこの街が恋しくなるだろう。悪魔の川での任務に当たっている際は、味気ない携帯食料しか口に出来ないのだから。
「あの…副隊長である私とアリス隊長が抜けて、部隊は平気なのでしょうか?」
当然の心配だった。管理職の二人が抜けているのだ。
「ほほー。一丁前に心配か。ラグナ、やっぱり隊長になるか?」
「いえ、そんなつもりでは…」
「冗談だよ。休暇だと言ったはずだ。もちろん他の隊の隊長クラスが私の役目を引き継いでくれてるさ」
心配するラグナを他所に、アリスはチョコパイを平らげると、物寂しそうに皿を撫でた。ラグナは彼女の感情を読み取り即座に行動に移す。
「もう一つ注文してきましょうか?」
「本当か!?じゃあ、あと三つほど頼む!」
「はぁ…すごい食欲ですね。お腹が空いてるなら、食事でも食べに行かれます?」
「いや、私は菓子でいい」
アリスはチョコパイが気に入ったようだ。ラグナも溜息を吐いたものの、まんざらでもない顔をしていた。何気ないことでも、尊敬している人間から認めて貰えるというのは嬉しいものだ。
〜
カフェラテを飲み終え、余韻に浸っていると、アリスが突然姿勢を正し真剣な表情へと変わった。ラグナも何かを察し背筋を伸ばす。
「私がこの街に来た理由がわかるか?」
休暇とはいったものの、隊長クラスが現場を離れるなど余程のことだ。対峙したヴィクトリアの情報収集の為か、それとも…
「…私の為でしょうか?」
「ふふふ。ラグナは本当に可愛いやつだな!まぁそれもあるが…」
「では、いったい何の御用で?」
「私の可愛い部下を泣かせたという新人に興味があってな」
ラグナの脳裏に一人の男の姿が浮かぶ。認めたくないが、泣かされたのは事実だ。無様であっても隠すのはプライドが許さない。
「イノウエ…カエデですか…」
「ああ、そうだ。優秀だと言うなら先にツバをつけておこうと思ってな。居場所は知っているか?」
「…はい。ご案内します」
アリスがこの街に来た理由に納得がいった。楓の神器の能力を消し去る力。彼女の性格なら直接確かめねば気が済まぬだろうと。それに個人的に興味もあった。
(カエデの力…隊長クラスにも通用すんのか?)
二人は片付けを済ませ、楓の自宅へと向かう。
彼女が楓をどこまで試すのかは不明だが、少なくとも話だけでは済まないだろうと、ラグナは気を引き締めた。
〜
楓の家に到着した二人を玄関で迎えたのは、寝間着姿で欠伸をし、目を擦るカリサだった。しかし、ラグナの隣にいる人物を視界に捉えると、彼女の細めていた目が大きく開かれる。
「ア、アリス隊長!?どうして…」
「カリサ・ツィングラー、また昼まで寝ていたのか」
ラグナは呆れたといった態度で、肩をすくめた。これまでも何度かこの家を訪問する機会があったが、カリサは決まって昼過ぎまで寝ている。彼にとってこれは、既に見慣れた光景だった。
「ほー、調査隊の者か。私の事を知ってるとは、勉強熱心なんだな」
「とんでもございません!アリス隊長のお噂は我々末端隊員にも知れ渡っていますから…」
「あはは、そうかそうか!私は有名か!」
アリスは機嫌が良さそうにお腹を抱え笑い出す。クールな風貌には似合わない、響き渡るほどの声量だ。
「カエデはいるのか?」
「いいえ。恐らくだけどグレアさんと修行に行ってるはずだわ」
その言葉を聞いたアリスは先程とは一変、鋭い眼差しを彼女に向けた。銀色に輝く瞳を向けられたカリサは、覇気に圧され思わず身を震わせる。
「ほー…グレアとは、ボスが手出し無用と指令を出した、グレア・モルペンデルの事か?」
「は、はい!その通りです」
「イノウエ カエデか…ますます興味がわくな。案内できるか?」
「かしこまりました!!」
「その前に、その格好をどうにかしろ」
「あ…」
ラグナに促され、
カリサは慌てて家の中へと戻っていった。
〜
「1008…1009…」
グレアは自身で考案したトレーニングメニューを熟す楓を、遠目で腕を組みながら見守っていた。今行っているのは60kgの鉄の棒を使った素振り。実戦形式の手合わせは週に一回。その他の日は体力作りだ。
(カエデさんの才能か、加護の影響なのかは定かではありませんが、ここまで成長が早いなんて…そろそろ対魔法訓練を加えても良さそうですね)
1200の所で声をかけ、楓を呼び出す。汗は流しているものの、呼吸には一切の乱れがない。もはや常人とは思えぬほどの体力を獲得しているようで、その成長にグレアも笑みを浮かべた。
「カエデさん、お疲れ様です!」
「もういいんですか?いつもは5000まで…」
「楓さんの様子を見るに、素振りはもう時間の無駄です」
「本当ですか!」
グレアの言葉に、楓の顔は晴れやかなものへと変化する。地道な鍛錬というのは体力的にもメンタル的にも辛いものがある。そこから解放されるというのは、喜ばしいものだ。
「あ、私と居るときは…って意味ですよ?自主的に毎日続けてくださいね!」
「えッ!?」
グレアからの絶望的な言葉に楓は項垂れた。友を救うためとはいえ、修行は自分の成長に合わせ、日々激しさを増すばかり。そこには達成感を感じる余裕も楽しさも全くないのだ。
「はぁ。わかりましたよ…庭で毎日やります」
「よろしい。ではこれまでの素振りの時間を、精神力トレーニングへ変更します」
「精神?」
「精神に直接作用する魔法…アンディも私も得意ではありませんが、並の人間なら無防備に近い。必ず一度は試す筈です」
「確かに…たとえ俺が能力を使わなくても、精神攻撃に対抗手段が無いのは致命的ですね。どんなトレーニングを…」
「慣れですね」
「はい?」
「恐怖の克服、他に何かあると?」
「…つまりは?」
「私の恐怖の呪言を耐え続ける。ということです」
「ひー!」
グレアの恐怖の呪言。楓を長い間悩ませたトラウマの魔法だ。一度克服したとはいえ二度と味わいたくないのは当然だろう。これならばいっその事体力訓練を続けた方がマシだとさえ思える。
頭を抱えしゃがみ込む楓の肩を優しく叩くと、
グレアはゆっくりと立ち上がらせた。
「あら?…どちら様でしょうか?」
グレアの視線の先には、カリサとラグナ。そしてもう一人、見知らぬ褐色の肌をした女性。服装を見るにロイヤルの人間である事は容易に想像出来る。
「お、ラグナじゃん!」
「馴れ馴れしくするなゴミ。そして態度を弁えろ。組織の中ではお前より上の立場だぞ」
「そんな事より…」
視線の先にはラグナが連れてきた女性。
楓はそこまで敏感な方では無いが、それでも戦闘力の高さを感じさせる程のオーラが、彼女から放たれていた。
「この御方はオーフィス騎士団 三番隊 隊長 アリス・テラ・イーファス様だ」
「た、隊長!?」
楓が驚くのも無理はない。目の前にする女性の見た目は、自分達とそこまで変わらないほど若く見える。隊長と聞けば歴戦の猛者、以前で会ったようなアーガスのような屈強な中年男性を思い起こすものだ。
「君が噂の新人か。私はアリスでいい。よろしくな」
差し出された手は細かな傷が目立つものの、シワ一つない若い女性の手だ。握手を交わすと柔らかさと若さ特有の肌の水分量を感じる。
「あ、どうも。井上 楓です」
楓との挨拶を終えると、アリスの視線はその横に立つグレアへと向けられた。
「して…そちらの御仁は?」
「アリス隊長。あちらが例の…」
「ほー!やはりか。一目見た時から只者ではないと思ったが」
「ロイヤルの隊長さんが、どんな御用でしょうか?」
「いや、新人を見に来ただけさ。だが、グレア・モルペンデルだな?そちらにも興味はある」
刹那、グレアの前に立つアリスの身体に纏う空気が変化する。楓の錯覚だろうが、周囲の空気がねじ曲がっているかのように見えた。
「初対面の…ただの一般人に当てていい殺気じゃありませんね。アンディは何を教えてるのかしら?」
グレアはわざとらしく溜息をつくと、やれやれと首を左右に振った。勿論、本人にそのつもりは無いが、効果は絶大だったようで、アリスの顔つきは瞬時に凍りついた。
「アンディ…?それは私達のボス、アンディ様の事を言っているのか?」
「他に誰がいるのでしょう?では伝えておいてくださいますか、部下の教育がなってないと」
「…キサマ」
アリスが発するピリピリと纏わりつくような殺気に、楓含めた他の三人は身構えた。空気が薄く感じ呼吸も思わず浅くなる。
すると、グレアは前のめりになるアリスに対し、制するように右手を前に出した。
「はぁ、いいでしょう。私が代わりに教えて差し上げます。礼儀というものを」




