ep.63 上の空
グレアは出発の準備を済ませると、ハーリィに家事の引き継ぎをしていた。すぐに戻る予定ではあるが相手が相手なので、油断は禁物。
主が目を覚まし挨拶を済ませてからと思ってはいたが、寝室に閉じこもってしまってから数日は経っている。呼び出された事の次第では一刻を争うので、グレアは独断で外出する事を決めた。
「いいですかハーリィ。これが1週間分の献立です。レシピはここに。登下校の際は徒歩で毎日送り迎えをお願いします。断られても必ずですよ?」
ハーリィは手渡された複数枚の紙に軽く目を通すと、頭を何度も縦に振った。
「お任せあれです!」
わからない箇所があれば今のうちに聞くべきだが、時間を取るわけにもいかない。ハーリィは親切丁寧にメモが書かれているのを確認し、問題ないと判断した。
「それから…自転車は不慣れなので求められても断るように。どうしてもと言われた際には、グレアが鍵を持ったまま行ってしまったと伝えてください」
「はいです!」
「ハーリィ…アナタが働き始めてからまだ数ヶ月です。早々に重荷を背負わせてしまって、心苦しくはあるのですが…」
「グレア姉様。家のお掃除もミア様のお世話も任せてくださいです。完璧にこなしてみせますです!」
「よろしい。では頼みましたよ。あ、それから…これも渡しておきますね」
グレアから手渡されたのは毛糸で編まれた赤い帽子。
「これには認識阻害の力が込められています。外を歩く際には身につけるように」
この様なアイテムがあるなら、ホーマインにも特定される事は無かっただろう。しかし、今まで使ってこなかっただけの理由がある。
「数日程度なら問題ないと思いますが、使い切りの物なので寄り道はしないように」
「了解です」
女神が姿を見せない現代では、このような古代のアイテムを再現する事は叶わない。かなりの貴重品だ。
「では行ってまいります」
「はい!いってらっしゃいませです」
ハーリィはグレアの背中を見送ると、両の頬を叩き気合を入れなおした。
〜
放課後、カリサは楓の部屋を訪れるとベッドで寝そべる彼の布団を豪快に引き剥がした。
「カエデ…ここ最近どうしたっていうのよ?」
「すまない」
楓はグレアとの一件から修行に顔を出せなくなっていた。単純にやる気が出ない等といった訳ではなく、身体と心が明確に拒否反応を起こしている。
(こんな事で…)
彼は本来この程度の事で臆するような性格ではないと自覚していた。しかし、グレイドを手に取ろうとすると震えが止まらず、力を行使する気にすらならない。
「もういいわ。でもあなたも組織の一員になったのだから、その自覚は持ってよね」
「ああ。わかってるよ」
カリサが楓の部屋を後にし、階段を降りる足音が響いた。下の階に到達したと思われてから、楓はゆっくりと身体を起こす。
—ぶっ殺す
「うわっ!」
聞こえるはずのない声に、全身の血の気が引いていく。
「どうしたってんだよ俺は…」
—ぶっ殺す
「くそっ!!」
俺はもう…戦えな…
〜
次の日、相変わらずミアは学校を欠席していた。昼休みの食堂で、楓はあの戦いの事を頭の中で振り返っていた。
「井上くん」
「んあ!?…なんだ?」
「いや、凄い顔してたから心配になっちゃって」
「ああ、ごめん」
目の前にいる北条の事は、すっかり頭から離れてしまっていた。ミアは休んでいるので昼食は彼と二人きりだ。
「ごめん。あの時の話、もう一度聞かせてくれるか?」
「また!?もー」
(最近、北条を見ていると何故だか変な気持ちになるな)
北条はただでさえ女性と見間違えてしまう程、整った容姿をしている。それらしい仕草を見せられると思わず脳が勘違いしてしまうのだ。
(俺に女っ気がなさ過ぎるせいだな。いや、近くには色々いるけど)
カリサ、エイタン、ミア。とても異性として…そういった対象として見ることは出来ない。
「それで…俺が弓と矢のようなものを召喚したと」
「うん。ものすごい迫力だったよ。あと…かっこよかった」
後半はよく聞き取れなかったが、楓の脳裏に過ぎるのは夢の中でアレスが剣を召喚した時のこと。
(もしかして…アレスが出来ることは俺も出来るのか?)
楓は自分の右手を見つめた。だが、少し意識を向けようとすると…
—ぶっ殺す
あの声が頭の中に響き渡り、身体中が震え出す
「井上くん寒いの?」
「いや、大丈夫だ。筋トレのし過ぎかな」
〜
放課後も北条と一緒だ。だが、毎日という訳ではなく今日で二回目。あの日以来だった。
(今日も修行は…出来そうもないな)
「井上くん。これからなんだけどさ」
「どうした?」
何やら北条はもじもじとしている様子だ。
「名前…カエデくんって呼んでもいいかな?」
「あ〜。そんな改まらなくても。好きに呼んでくれ」
「やった!」
まただ。楓は自分にそんな趣向は無いと自認しているが、北条を見ているとどうにも変な気持ちになる。
(よくないな。そういや…北条はミアの事が好きなんだっけ?お似合いだし、どうにかくっつけてあげたいが…)
楓は思考を必死に巡らせる。そもそも自分に経験が無いのに、他人にアドバイスなど出来ようもない。だが友達のため—
「いの…カエデくん。知っての通り僕は男のフリをしている。でもそうゆう趣味がある訳じゃないんだ」
「ああ」
「純正神器に適応しているとはいえ、僕の家系はまだ歴史が浅くてね。真城さんのお家のように女性当主は認められてないんだ」
「ほうほう」
「だから僕は…世間に男として認識してもらってる」
「そいつは大変だな」
「でも血縁は別。表面上妻となる人は用意されるだろうけど、秘密裏に僕が子供を産むんだ。そしてその子が次期当主になった時、神器も引き継いで、僕は本当の性別を…ようやく本来の人生を歩めるようになるんだ。そして結ばれた人…旦那さんと時間を共有して、手を繋いでデートして、子作りは関係なく夜も…」
「ほうほう」
「それでなんだけど…カエデくん!学校を卒業したら僕の相方に…僕との間に子供を作ってくれないかい?」
「あ〜そうゆうこと。考えとく」
「本当!?ありがと!あ、父さんから呼び出しだ!じゃあまた明日」
「おう!気をつけろよ〜」
…………
………
……
…
「え」




