ep.60 勇者の矢
クロは自慢の脚力を使い、そこから繰り出した爪による斬撃が空を切り、驚愕の表情を浮かべた。
「今…どうやって俺の攻撃を…」
「あん?お前も人間かよ。ったくどいつもこいつも、魔族化すんのが流行ってんのか?」
もう一度…クロは後ろに大きく飛び退くと、再び辺りを駆け回り始めた。音を置き去りにし、移動の余波ですら空気を揺らす。
「この身体…少しはマシになったな。これいらねぇや」
「ああ!!僕の雷切…」
楓は手に持つ神器をぞんざいに手放すと、上着を脱ぎ捨てた。肩と首を軽く回し、準備体操のような動きを始めると不敵に笑った。
「スピード自慢の魔族か…おもしれぇ」
「あれ?…うわ!?」
突如、北条の視界から楓の姿が消えた。少しの間を置いてからその場に土煙が上がり、空気を押しのけるように突風が吹き荒れる。
「あいつ…どこ行きやがった!?」
超速で動き回るクロも楓を見失った。しかし、速度を緩める事はない。駆けながら目まぐるしく辺りを見渡し、標的を探す。すると、クロは左肩になにやら暖かさを感じた。
「捕まえた」
「は!?」
振り向くと、探していたはずの楓の姿。状況から察するに、動き回るクロに背後から追いついたと思われる。それも…神器すら使用していない生身の身体で。
「んな…バカな」
「まぁまぁだったぞ。ま、俺様ほどじゃないってこった」
「くそっ離せ!!」
クロは捕まれた肩を振りほどこうとするが、その握力から逃れられない。慌てて肩の肉ごと断ち切り、再び脚を使い駆け回る。
「あり得ない…俺より速いなんて…」
「じゃあ、次はお前の番だな」
突然、楓はゆっくりとその場に座り、腕を組んで目を閉じた。
「お前…なにを」
「早く来いよ」
「…てめぇ…ナメてんじゃねぇぞ!」
激昂したクロは目一杯脚に力を込めると、地面に胡座をかく楓に容赦無く襲いかかった。自慢の爪を何度も振るうと地面は抉れ、空気の裂ける音がビュンビュンと耳を突く。しかし—
「くそっ!なんで当たらねぇんだ」
目を瞑り地面に座ったままの楓に、どれも当たる気配はない。爪の攻撃のみに集中しようか迷い始めた矢先、標的がゆっくり立ち上がるのを察知すると、クロは猫のように大きく飛び退いた。
「…飽きた。もう追いかけっこには付き合わねぇ。これからは狩りの時間だ」
クロは再び辺りを走り回る。楓は辺りをキョロキョロと見渡しながら、頭を数度人差し指で搔いた。その最中クロは何度も彼と目線が合い、背筋に氷を詰められているような感覚に陥る。
そして逃走の二文字がクロの脳裏を掠めた瞬間、楓の手の甲から赤い光が漏れ出し、光は一羽の鳥の形に姿を変えた。
鳥は翼を広げると姿を消し、無の空間から赤い弓と矢が出現した。
—勇者の矢 熾天の弓
「やばいやばいやばい」
クロの直感は大音量で悲鳴を上げ、即座に楓と真逆の方向へ駆け出した。
楓が弓を絞るにつれ、空気が割れ、大地も呼応するかのように激しく揺れ出す。
そして矢が指を離れた途端
辺りは嘘のように静寂に包まれる。
ひゅん
北条が瞬きした後、既にその場にはクロの姿は無く
白い羽毛だけがふわふわと散っていた。
「井上くん…?今のは…」
「あん?身体の名前か。ちょっと加護を使っちまったからすぐ戻るだろ」
彼が言ってる事の意味が分からず北条は困惑した
「それより、女」
「…へ?」
「寝るから膝枕しろ」
「な、なにを」
「早く」
「…はい」
北条は言われるがままその場に正座し、両の大腿を貸し出す。楓は図々しくも仰向けに頭を乗せると、すぐに寝息をたて始めた。
「さっきのは技は…?それに…」
「井上くん…いつから僕が女だと気づいてたんだろ…」
「クロがやられただと?」
「!?」
北条は声に反応し、即座に顔を上げると二人の男達がこちらを見据えていた。状況から察するに新手だと思われる。
「こんなガキ共に!?くそっ」
二人の男は武器を取り出し始め、錠剤を口に入れると肌が黒く染まっていく。
「不味い…!井上くん!!井上くん起きて」
顔を数度叩いても楓が目覚を覚ます気配はない。
「死ねぇ」
変化を終えた二人の敵はこちらへ接近すると、容赦無く武器を振り被った。北条は逃れる事は不可と判断し、目を瞑ってしまった。
「やめろ」
知っている女性の声。北条が恐る恐る目を開くとそこに居たのは、橙色の髪をした一人の少女…ミアの姿だった。
「ミア…さん?」




