根性叩き直してやる
「……よし、次の一本で決めよっか。」
体育館の空気は少し湿っている。
照明が床に反射して、ワックスの照りがまぶしい。
朝方の自主練習。女バスの先輩が隣にいると見ていたら、1on1で勝負しようと誘われた。
誰もいないコートに、ボールの弾む音だけが響く。
優花先輩が笑って、腰に手を当てた。
バスケ部二年。ポニーテールの髪が、少し汗で頬に貼りついている。
いつものように、勝負の前に軽くストレッチをしながら、こちらを見上げる。
「ビビってんの? 顔、ちょっと引きつってるけど?大丈夫だって、罰ゲームっていってもさ。命までは取らないから」
ドリブルを刻む音。
彼女の動きは軽い。
ほんの少し踏み込むたび、床が低く鳴る。
「男子バスケ部のくせに、私に負けたらどうする?」
唇の端が上がる。
冗談じゃなく、本気で挑発してくる目。
けれどその奥に、楽しそうな光があった。
「じゃ、いくよ――!」
風が切れる。
一瞬のフェイント。左にステップを踏んだかと思えば、もう右に抜けている。
ボールが床を叩く乾いた音。
一歩、遅れる。指先が空を切る。
「はい、また抜けたー!」
ゴールネットが軽やかに揺れ、ボールが落ちていく。
優花先輩が、ふっと息を吐いた。
「ふふっ、弱っ。ほんとに男子? うそでしょ?」
笑いながらボールを拾い上げ、こちらに放ってくる。
「ねぇ、あんた、ホント根性足りないよ。
フォームは悪くないけど、最後の勝負どころで迷うんだよね。」
そのままボールを指で軽く回す。
「はい、罰ゲーム決定。スパルタ個人練、つきあってもらうから。」
言葉は軽いが、目は笑っていない。
その瞬間、背筋がピンと伸びた。
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翌朝、まだ人の少ない体育館。
時計の針は七時を指している。
優花先輩はすでにアップを終え、額に汗を光らせていた。
「おそーい。ほら、ダッシュ十本追加ね。」
容赦ない声。
軽く笑いながら、ストップウォッチを構えている。
「そんな顔すんなって。根性ってのは、最初の一本で決まるんだよ。」
手の合図で走り出す。
コートを往復するたび、息が荒くなる。
心臓が胸を叩き、足が重くなっていく。
「ほら、まだいける! 膝、抜くなっ!」
優花先輩の声が響く。
その声が、妙に遠く感じた。
けれど、止まりたくなかった。
「……よし、最後の一本!」
ダッシュを終え、床に手をついた瞬間、優花先輩がペットボトルを投げてきた。
「おつかれ。ま、今日はこのへんで勘弁してあげる。」
軽く笑うその顔に、少しだけ優しさが見えた。
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それから数日。
優花先輩の朝のスパルタ練は続いた。
「そこ違う! もっと腰低くっ!」
「視線! ボールじゃなくて前っ!」
彼女の声がリズムのように体育館を支配する。
レイアップ、ドリブル、ディフェンス。
動きが少しずつ変わっていくのが、自分でも分かった。
ある日、練習の合間。
優花先輩がボールを拾い上げて、笑う。
「あれ? ちょっと上手くなってない?」
「ウケる~。罰ゲームで上手になって、どうすんのさ。」
優花先輩はボールを軽く突いて、また目を細めた。
「でも、まだまだだね。じゃ、恒例の1on1行こっか。早く私に勝って、罰ゲームのスパルタ練習から抜けれるといいね。」
再び勝負。
汗の音、呼吸の音。
全力でぶつかっても、やっぱり勝てなかった。
「はい、また私の勝ち~! 罰ゲーム続行!」
タオルで顔を拭きながら、彼女が笑う。
そして少し声のトーンを落とした。
「ねぇ……もしかしてさ、あんた、いじめられて喜んでない?」
「もしかして、変態なんじゃないの? だって、毎回負けるのに、ちゃんとやるし」
にやっと笑って、目だけが鋭く光る。
心臓が、ほんの少しだけ跳ねた。
「……冗談、冗談。でも、ちょっとだけ根性ついてきたんじゃない?」
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「今日はね、フリースロー対決にしよっか。」
朝練終わり。
朝日が窓から差し込み、床に長い影を落としていた。
「私に勝ったら、そうだなー。ふふっ。じゃあ、ごはん奢ってあげるってのはどうかな。」
真剣な表情に変わり、ゴール前に立つ。
シュッ。
1本目、ネットを通過。
2本目もきれいに決まる。
3本目で外した。
「やばっ、3本で外しちゃった……。さ、交代。」
今度はこちらの番。
ゴールを見上げ、ボールを放つ。
1本、2本、3本……。リズムに乗る。
「……うそ、私より入ってる!?
マジか、負けた!? うっわ、これは悔しい!」
優花先輩が額を押さえて笑い出した。
「やるじゃん。ディフェンスがついてないフリースローなら割と入るよね。」
「でも、私お金ないんだよね。だからさ、私の作るごはんで許して。
ハンバーグかカレー作る予定だったけど、どっちがいい?」
軽く首をかしげ、タオルを肩にかける。
「え、女子の家にくるのに抵抗があるの。ははっ!そんな心配そうな顔しないで。大丈夫だって。」
「なにかされたら、ボコボコに殴るだけだから。」
笑いながら、ボールを胸の前で抱える。
「信用してるからさ。……それに、あんたが女子に何かする根性、あるわけないでしょ?」
少しだけ、頬が赤い。
けれどすぐに、いつもの調子に戻る。
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体育館を出ると、優花先輩の家まで案内してくれた。優花先輩が上目遣いで話かけてくる。
「ねぇ、明日はどうする? 1on1とフリースロー、どっちがいい?」
少し考えてから、彼女は自分で答えを出したように笑う。
「でも、1on1でしょ。
女子に負けたままなんて、プライドが許さないもんね。」
風がポニーテールを揺らす。
その笑顔は、どこか挑戦的で、どこか優しかった。
「ま、たまには私のご飯が食べたいときはフリースローでもいいよ。アメとムチって大事だから。」
拳を軽く突き出し、にっこり笑う。
「じゃ、ここが私の家。覚えた?部活終わったら、ちゃんと来てね。」
「明日も。覚悟しといて。根性、叩き直してやるから!」
その声が遠ざかっても、胸の奥で何度も響いていた。




