第39話 優しさに包まれた日常と不器用な愛情
※こちらは全年齢向けに甘さ多めで改稿した作品です。
以前の作品を読まれている方は、内容が重複する部分がありますのでご注意ください。
基本糖分高めで甘やかされます♡
ある日、アレクはそわそわしていた。
奥様――セレナ様から、こっそり呼び出しがあったのだ。
場所は、執務室に隣接する備品室。
普段、アレクがひとり静かに過ごす、いわば隠れ家のような空間だ。
(……一体、なんの御用だろう)
心なしか胸がざわつく。
気を引き締めて、二人して備品室へ入った。
ふわりと微笑んだセレナ様が、こちらを振り返る。
「急に呼んでごめんね。……これ、アレクさんに渡したくて」
差し出されたのは、美しく包まれた小さな袋。
中には、丈夫そうな革製の手袋が収められていた。
「……ささやかだけど、感謝の気持ちなの。お休みの日は剣の稽古をするって聞いてたから」
思いがけない、あたたかい贈り物。
奥様は、少し照れたように笑った。
「また、みんなで……お出かけしたいね」
胸の奥が、じんとあたたかくなる。
誰かから真っすぐな気持ちを向けられるのは、久しぶりだった。
「……奥様、ありがとうございます」
深く頭を下げると、セレナ様は小さく首を横に振る。
「ねえ……できたら、“名前”で呼んでくれたら嬉しいな。奥様って、なんだか距離を感じちゃって」
胸の奥が、ほっとするようなあたたかさで満たされる。
少し戸惑いつつも、自然と口が動いた。
「……セレナ様」
その名を呼ぶと、セレナ様はぱっと花が咲いたように笑った。
「……セレナ様にも、“アレク”って呼んでいただけたら、嬉しいです」
「ふふっ……ありがとう、アレク」
ただ名前を呼び合うだけで、心の距離が縮まる。
セレナ様は、頬を少し赤らめて目を伏せながら言葉を続けた。
「……いつも助けられてるって思ってるの。それに……レオンから、アレクのこと兄みたいに慕ってるって聞いてたから」
優しく笑いながら、続ける。
「だから、私も……勝手に、お兄さんみたいに思っちゃってるかも」
頬を染めてそう言われ、アレクは思わず言葉を失った。
(……こんなにも、信頼されている)
公爵の配慮により、セレナ様に関わる使用人は限られていた。
アレクも、そのうちの一人。
剣術に長け、もしもの時に備えて―― 公爵直々に、「何かあったら頼む」と任されていた。
(けれど、もう命令ではない)
アレクは静かに、セレナ様を見つめる。
かつては影のように儚かった少女が、今では――
柔らかい笑みを浮かべ、まわりに光を届けている。
(公爵様もずいぶんと表情が豊かになられたが……)
それ以上に、セレナ様自身が―― まるで別人のように、明るくなった。
アレクは胸の奥で、密かに、けれど力強く誓った。
(お二人を、必ず守ろう)
どんな困難が訪れても。
どんな未来が待っていようとも。
その誓いを胸に、アレクはセレナ様へ静かに頭を下げた。
◆
セレナはアレク別れ、自室に戻った。
リナがぱたぱたと駆け寄ってきて、ベルも続くように小走りで出迎えてくれる。
「アレク様に、お土産渡せましたか?」
「うん! すごく喜んでくれたよ」
「私とベルにも、お土産ありがとうございましたっ!」
「もう、リナったら。何度お礼を言うの?」
午前中に渡したばかりなのに、何度も頭を下げるリナと笑い合い、私は机の前に腰を下ろした。
「じゃあ、リナ。お願いね」
「はいっ! お任せください!」
こうして私は、文字の勉強を始めることにした。
家庭教師を雇うほどではなく、まずはリナに手ほどきしてもらうことにしたのだ。
「はいっ、セレナ様。まずはこの単語から!」
元気いっぱいに差し出された紙には、大きく簡単な単語が書かれていた。 少し恥ずかしくなって、私はそっと呟く。
「……実はね、昔、文字を読む機会って、ほとんどなかったの」
リナが手を止め、私はぽつぽつと語り出す。
「情報源は、使用人たちの噂話だったり、たまに流れてくる新聞の切れ端とか……それをこっそり見て、ちょっとだけ文字を覚えたりしてたの。でも……」
ペン先を見つめる。
「難しい文字は、全然わからなくて。……もどかしいと思うけど、付き合ってくれたら嬉しいな」
小さく肩をすくめると――
次の瞬間、リナは顔を真っ赤にして、怒りの声を上げた。
「……っ、そんな目に合わせた伯爵家の連中、ひねりつぶしてやりたいわ!」
拳を振り回すリナに、私は思わず吹き出す。
「もう、リナったら……」
「だって、セレナ様みたいな優しい方を、どうしてそんなふうに……っ」
笑いながら、私はリナの手をそっと握る。
「もう過去のことだから。気にしてないよ。今はリナが教えてくれるから」
穏やかに、でもしっかりと伝える。
リナは唇をきゅっと噛み、目に涙をためながら私を見つめた。
やがて、ふわりと笑い返し、そっと手を握り返してくれる。
(今は、私を大切に思ってくれる人がいる)
そう思うだけで、胸が温かくなる。
机の上には紙とインク。
隣には、かけがえのない人たち。
(ここから、また新しい一歩が始まるんだ)
焦らなくてもいい。
少しずつ、確かに前に進んでいこう。
「じゃあ次は……公爵様のお名前、書いてみますか!」
リナがにっこりと提案し、私は顔を赤らめながらペンを取った。
(レオン……L……e……)
一文字ずつ、心を込めて。
震える手で、紙に"Leon"と書きつけた。
「わぁ、すごい! お上手ですよ!」
リナが手を叩いて喜んでくれた、そのとき――
――コン、コン。
扉をノックする音。
そっと扉が開き、銀色の髪が顔を覗かせる。
「……どうしてるかなと思って」
どこか落ち着かない様子で部屋に入ってきたレオン。
私は慌てて紙を隠そうとしたが、彼の目はすでに手元に注がれていた。
「……それ、見てもいい?」
そう言われ顔が熱くなる。
震える手で、私は紙を差し出した。
レオンは、大切な宝物を扱うように紙を受け取り、じっと見つめた。
「……セレナが、俺の名前を……」
その声が、わずかに震えていた。
「……がんばって、書いたの」
私がそう言うと、しばし無言のまま紙を見つめ続けるレオン。
やがて。
「これ、額に入れて飾ろう」
真剣な表情でそう言われて、私は慌てて首を振った。
「だ、だめっ! 恥ずかしいから、やめて……!」
だが、レオンは一歩も引かなかった。
「絶対、飾る」
「れ、レオン……っ」
なおも止めようとした私の声を遮って、レオンは紙を大切に抱えて足早に出ていった。
ぱたん。
扉の閉まる音だけが残された。
呆然とその場に立ち尽くしていると――
「……アレク様の仕事、また増えますね」
ぽつりと、リナが呟いた。
「……ぷっ」
その一言に、私は吹き出し、リナと笑い合った。
◆
その夜。
レオンとゆっくり夕食を終えたあと、私はいつものように寝室へ。
扉を開けると、あたたかなランプの光に包まれた部屋のなか――
ふと、目に飛び込んできたのは。
壁のよく見える場所に飾られた、装飾の美しい額縁。
その中には――
私がたどたどしく書いた「Leon」の文字。
(……っ)
震えたペン先。
いびつな形。
けれど、その文字は額に収められて、まるで宝石のように輝いて見えた。
(……ありがとう、レオン)
私は、額縁のガラス越しにその文字へ指を添えた。
レオンの想いに、そっと触れるように。
静かな夜の空気の中―― 私は、やわらかく微笑んだ。
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