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第14話 恋だと気づいた夜――静かに溶け合う想い

昼下がりの中庭には、やわらかな風が吹いていた。

セレナは花壇のそばに膝をつき、小さな花のつぼみにそっと目を落としている。


「……私にできること、なにかあればいいのに」


ぽつりとこぼした声に、後ろから優しい声が重なる。


「もう十分すぎるくらい、奥様の存在は屋敷を明るくしてくださってますよ」


ふいに振り返ると、アレクがそこに立っていた。

優しく笑うその顔に、セレナも自然と表情をほころばせる。


「私は……まだ何も役に立てていないのに」


「いえ。最近、公爵様の表情がずいぶん和らいでおられます。きっと、奥様のおかげです」


「え……」


思わず顔が熱くなり、視線を落とす。

アレクは少し肩をすくめながら、目を細めた。


「おそらく、公爵様にとって一番の癒しは“奥様の笑顔”なんでしょうね」


その一言に、セレナは思わず小さく笑ってしまった。


(……そうだったら、嬉しい)


穏やかに笑い合う二人の姿を、そっと見つめる影がひとつ。



アーチの陰から中庭を眺めていたレオンは、不意に足を止めていた。

理由はわからない。ただ――


セレナが笑っていた。


その笑顔の先にいたのは、アレクだった。


(……あんな表情、見たことがない)


ふと、心の奥がざわついた。

思い出すのは、セレナが少し照れたように笑った横顔。


穏やかに会話を交わし合う様子。

その中に、自分の知らない彼女がいた。


(……どうして、そんなに気になる)


自分でも戸惑うほどの感情が、胸の中で渦を巻いていた。



執務室に戻っても、レオンの手元の書類はほとんど進まなかった。

ノックの音がして、アレクが入ってくる。


「公爵様、今日の報告書です」


机に書類を置いたあと、レオンの表情をちらと見て、小さく首を傾げる。


「……体調でも崩されましたか?」


「……何でもない」


間をおいて返されたその一言に、アレクはニヤリと笑った。


「なるほど。……中庭ではお声をかけてくださいませんでしたね。近くにいらしたの、気づいてましたよ」


レオンの手が止まる。


「……セレナと、何を話していた」


その声に、アレクは目を細めたまま、軽い調子で答えた。


「花のことですよ。奥様、素敵な笑顔をされていましたね」


レオンの手に力が入る。紙が少しだけ音を立ててしなる。

アレクは、それを見逃さない。


「……もしかして、公爵様。嫉妬、ですか?」


「余計なことを言うな。さっさと戻れ」


「ははっ、失礼。けれど――素直になるのも悪くありませんよ」



レオンは、夜の静寂に包まれた廊下を静かに歩き、セレナの部屋の前で立ち止まった。

いつものように控えめにノックすると、小さく「どうぞ」と返ってくる声に、扉をそっと開く。


ソファに座っていたセレナはレオンを見つけると、ふわりと笑みを浮かべて、やさしく手を差し伸べた。

その手を取る仕草は、今ではふたりにとって自然な日常になっていた。


――けれど、今夜はどこか違っていた。


何気ないふりで手を握った瞬間、セレナのぬくもりがじわじわと染み込むように広がって、レオンの中にあった“認めたくなかった感情”がゆっくりと崩れ落ちていく。


(……今日、笑っていたのは)


昼間の庭での光景が、ふと脳裏に甦る。

アレクと並んで笑い合っていたセレナ。

その表情は、自分の知らない顔だった。


(あの笑顔が……アレクに向いていたと思うと)


『嫉妬、ですか?』


アレクの言葉が思い返され、咄嗟に「違う」と心の中で否定する。

けれど打ち消せば打ち消すほど、その気持ちが浮かび上がってくるのだった。


誰に向けて笑っていようと、ただの“癒しの力を持つ存在”なら、気にするはずがない。

それだけのはずだったのに。


でも今、こうして手を繋ぎ、彼女の瞳をまっすぐ見つめた瞬間――


(……もう、隠せない)


この手に触れたいと思ったのは、力を得るためなんかじゃなかった。


あのとき無意識に彼女の唇に触れようとしたのは、

ーーただ、彼女に触れたくて、しかたなかったから。


「セレナ……」


その名を呼ぶ声は、少しかすれていた。

けれどセレナは、いつもと変わらずに、安心したような微笑みを向ける。


(……やっぱり、俺は――)


胸の奥でくすぶっていた感情が、ようやく言葉の形を持つ。

もう否定なんてできない。

触れて、見つめ合って、それだけで心がとろけてしまう――

それが恋でなくて何だというのか。


その瞬間、レオンははっきりと“恋に落ちていた”のだと気づいた。


一度気づいてしまえば、その想いはもう止めようもなく溢れ出してくる。


もっと触れたい。

もっと深く知りたい。

この柔らかな存在の奥にある、すべてに手を伸ばしたくなる。

彼女の息づかいも、声も、揺れる心までも、全部――


(……知りたい。手に入れたい。……全部、俺のものにしたい)



レオンは、静かにセレナの手を握り返した。


(……公爵様?)


目が合った瞬間、セレナの心が跳ねる。

その眼差しは、今まで以上に熱を帯びていた。


まるで――迷いながらも、どうしても触れたくて仕方ないような目だった。


それは、今までのただの“癒し”を求める儀式ではない。

手に重ねられた一指一指に、彼の感情が乗っているのを、セレナは確かに感じた。


思わず、息を整えるように瞬きをする。


そして、次の瞬間――


「……ただ君の力を借りたいだけじゃない」


レオンは一瞬だけ、ほんの少しだけ視線を伏せた。


「……そんな理由だけじゃ、もう足りない」


そのまま彼は、セレナの指先をそっと持ち上げる。

その手のひらに、まるで想いを捧げるように、唇を押し当てた。


ぬくもりとともに、レオンの想いがそっと染み込んでくる気がして――


「……っ」


セレナは、自分の心臓が一瞬止まったかのように感じた。

その直後、レオンの腕がそっと伸びてきて、彼女の身体をやさしく引き寄せる。


「……もっと、こうしていたいって、思ってしまう」


抱きしめられた胸元から伝わる、温かい鼓動。


甘く震える胸の奥。

このときめきは、もう癒しの力では説明できなかった。


(……呪いを解くため、だけじゃないの……?)


ふと湧き上がる疑問さえも、彼の鼓動がすべてを包み込むように打ち消していく。


(……もしかして、公爵様も)


(私と……同じ気持ち……?)


セレナの胸の奥に、またひとつ、やわらかな灯がともる。

重なり合う想いの中で、夜は静かに、ゆっくりと更けていった――

最後までお読みいただきありがとうございます♡

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