第2話:観察者のくれたキャンディ
次の日の朝、教室に入ると、昨日と同じ席に彼女がいた。
「おはよう、相原くん」
それだけの言葉なのに、心臓がどこかざわつく。
昨日、彼女と交わした会話は、どれも異質だった。誰よりも論理的で、でもどこか感情に訴えるような、奇妙な温度を持っていた。
(……ただの変人、だよな?)
そう思い込もうとしたけれど、否定しきれない。
彼女は確かに変わってる。だけど、他人を気にしない“ズレ”じゃない。むしろ、他人の些細な変化に、誰よりも敏感だ。観察という名の視線の下で、俺の心は少しずつ、ざらつき始めていた。
朝のHRが終わった直後だった。何の前触れもなく、ひよりが小さな包みを差し出してきた。
「はい、これ」
「……飴?」
「うん。昨日のあなた、ちょっとだけ“甘いものが欲しい顔”してたから」
「……え、そんな顔ある?」
「あるよ。口角の下がり方、目の焦点、あと頬の緊張感。あなた、ストレスたまると右眉がちょっと下がるのね。面白い」
「……全部怖いんだけど」
だけど、その手渡された包みは、ほんのりと指先が温かくて、素直に受け取れなかった。
「……ありがと。もらうけど」
「うん。飴ってね、気持ちのバッファになるの。科学的にも」
「へえ、なんか理系っぽい」
「でもね、ほんとはそれだけじゃない。誰かに何かを“もらう”って、気持ちが動くんだよ。物質じゃなくて、感情のやりとりだから」
「……難しいこと言うなあ」
「難しいのは、感情じゃなくて、それを伝える行為のほう。だから私は、見て、考えて、渡す」
彼女はそう言って、机に肘をついたまま、斜めに俺を見た。
「……それで? 飴、どうだった?」
「え、食べてないけど……」
「じゃあ、今、食べて。今の顔、ちゃんと記録したいから」
「……観察って、そういうことなの?」
「そういうことだよ」
仕方なく、包みを破り、飴を口に入れる。レモン味。ちょっと酸っぱくて、でもすぐに優しい甘さが追ってきた。
……なんか、落ち着く。
「味も、キミに合ってると思った」
「どういう意味?」
「酸味があって、でも根は甘い。自分のことを“普通”だと思ってるけど、本当は少し、人と違う部分を自覚してる。なのに、それを誤魔化して、静かに過ごしてる。……そういう人、私は好きだよ」
「……」
言葉が出なかった。
からかわれているわけじゃない。むしろ彼女は、真面目すぎるくらい真剣だった。
それが、困る。
今まで通り“何者でもない”自分でいようと思ってたのに、となりの席の彼女は、無遠慮に踏み込んでくる。
「……ねえ、相原くん」
「なに?」
「あなたって、誰かに好きって言われたことある?」
「ぶっ……な、なにいきなり」
「ないって顔した。やっぱり」
「……言われたことないわけじゃないけど」
「けど?」
「……本気じゃなかったと思う。なんか、ノリっていうか、罰ゲームっていうか……」
そんなこと、誰にも話したことなかった。
けれど、彼女の前では、妙に言葉がこぼれる。
ひよりは、それを黙って聞いていた。
「……ふーん。じゃあ、次に言われたときは、信じてみたら?」
「……できるかな」
「うん。できるよ。私が、そういう顔にしてあげる」
それは、告白でもなんでもない。ただの“宣言”のような言葉だった。
けれど、胸の奥が、小さく鳴った。
飴が、口の中で溶けていく。
となりの席の彼女は、今日もまた、俺の知らなかった自分を、少しずつ見つけていく。