第11話:君の鼓動が、こんなに近くで聞こえるなんて
「なにか変わった気がするんだよ、昨日から」
翌朝の教室。
ホームルーム前のざわついた時間。
俺は、ふと窓の外を見ながらそう呟いた。
「変わった、ってなにが?」
隣に座る千歳が、ノートを閉じて首をかしげる。
「なんていうか……千歳が“他人”じゃない感じ」
本音を言ったら、彼女は少し目を見開いて、照れたように俯いた。
「……そういうの、不意に言うのやめて。心臓に悪い」
静かに笑いながらも、その耳はほんのり赤く染まっていた。
放課後。
俺たちは再び図書室に向かっていた。
昨日の資料ファイルを持って。
「この名前──“相楽修吾”。父が事故当時、教育委員の中で一番異議を唱えていた人物だと思う」
千歳が指差したのは、旧校舎火災の対応会議録に何度も登場する名前だった。
「でも今は、都の教育行政の上層にいる。動かすには証拠が必要だ」
「その証拠、どこで探すんだろうな……」
俺が漏らすと、千歳は考え込むように言った。
「……たぶん、父のパソコン。まだ家にあるけど、起動パスワードが分からなくて……」
「そのパソコン、見せてくれない?」
思わず言ってしまった。
すると千歳は、少しだけ黙って──小さく頷いた。
「……うん。来る? 今日、うち……」
*
夕方、千歳の家。
初めて訪れたその部屋は、思っていたよりもずっと静かだった。
一面に並んだ本棚、壁に貼られた天文カレンダー。
彼女の“孤独な時間”が詰まっている空間だった。
「はい、これが……父の残したパソコン」
彼女が押入れの奥から出してきたのは、年季の入ったノートPC。
埃を払って、電源を入れる。
──パスワード入力画面。
「ヒントもない。何度か試したけど、全部ダメで……」
「家族の誕生日とか?」
「もう全部入れてみた。私の、母の……それでも開かなかったの」
俺は、彼女の父親なら、どんな言葉を最後に残すか考えた。
「ちょっと、試していい?」
俺はキーボードに指を置き、ある単語を入力した。
Chitose
──パスワードが解除された。
「……!」
画面が開いた瞬間、千歳の息が止まったようだった。
「まさか……私の名前……」
「それだけ、大事だったんじゃない?」
千歳は唇を噛んだ。そして、ぽつりと呟く。
「私……何も言えなかったんだ。父が辞めさせられたときも、悔しそうにしてたのに。ずっと逃げてた」
「でも今、君は逃げてない。俺と一緒に、真実を見つけに来てる」
モニターに映し出されたのは、非公開ファイル群。
そこには「事故報告書・修正案」「証拠写真」「関係者メモ」などのファイル名が並んでいた。
千歳は、震える手でそのひとつを開いた。
──そこに写っていたのは、ガス配管をいじっている作業員の後ろ姿。
その胸元の名札には、確かにこう書かれていた。
Sagara Co.(相楽工業)
俺たちは、ひとつの線が繋がった音を聞いた気がした。
「……やっぱり、あの事故は“仕組まれてた”んだ」
千歳がそう呟いた瞬間──
部屋の窓の外で、パシャリと何かが光った。
俺が振り返ると、誰かの影が、家の前を素早く離れていくのが見えた。
「誰か、見てた……?」
急に部屋の温度が下がったような気がした。
真実に近づくほど、誰かの目が、こちらを見ている。
でもその時、千歳が俺の手を握った。
「ねえ……もう、怖がってなんていられないよね」
「うん。俺たちはもう、巻き戻せないところまで来た」
部屋の片隅に置かれた小さな写真立て。
そこに写っている千歳の幼い笑顔と、優しそうな父の顔が、今も彼女を見守っているようだった。
──真実はもう、目の前だった。