一章 ep1 勇者に敗北は許されない
用語解説1
・ドレイク種…人並みサイズの小型のドラゴン。基本的にどの個体、種族も力強く、一般人では太刀打ちできないとされている。ドレイクを狩ることができれば、一人前の冒険者として認められることが多い。
森の中の少し切り払われた土地。
そこに建つ少し小さな木で出来た小屋。
その中で男女が、一つのベッドで一緒に眠っている。
男の方が、目を覚ます。
「ふわぁぁ……ん、朝か…おーい起きろ…」
「…んん…?ふぁぁ…おはよう…兄さん…」
兄さんと呼ばれた男、名をノアーズという。
ノアーズはいつも通りの朝のルーティンを行う。
ベッド脇に雑に放られた髪留めで長く伸びた蒼い髪を纏め、家を出てすぐ側の小河へ向かい、顔を洗う。そして近くの散らばった細身の薪を拾い、井戸から水を汲み、それらを持って家に戻る。
消えかけの薪ストーブに火をくべ、汲んできた水に火をかけ、部屋の本棚から一冊の本を取り出して椅子に座り読み始める。
これがいつもと何ら変わらない、彼の一日の始まり。
「ノイエル、まだセブの葉は残ってるか?」
セブの葉というのはこの辺りでよく飲まれるセブ茶を抽出するのに使う茶葉だ。
クセのない、可もなく不可もない味わいだが、心を落ち着かせる効果と、魔力を効率的に身体に巡らせる効果があり、更には栽培のしやすさと収穫ペースの早さもありここら一帯の土地に住む人間なら、誰もが自分たちで栽培している。
「ん、あと2日分ってところかな。まだ家のは収穫する時期じゃないし…今日買ってくるよ」
「悪いな、あーあと、新しいナイフも頼むよ。今使ってるのもそろそろ限界だからさ。」
「今回は1年半くらいは持った?前のは2カ月で壊れたのに。ナイフの扱い方上手になったね。」
「そりゃ毎日のように獣を捌けば、嫌でも上手くなる。」
もう一人の女の方、ノイエルは手際よく調理をしていき、簡単なスープ、サラダ、パンをテーブルの上に乗せていく。
最後にセブ茶を淹れ、食事の準備が整う。
ノアーズは本を読む手を止め、2人が食卓についた。
食事の前の挨拶なんてものは無い。
各々が自分のペースで食べ始める。
2人の食事はいつも静かで、周りの音がよく聞こえる。
野菜を咀嚼する音、スープを啜る音、鳥の鳴く声、川のせせらぎ、風で揺れる木の葉の音、
生きるということを感覚で感じながら、今までの自分とこれからの自分に向き合う時間。
この2人の朝食には、いつものように、人の言葉は生まれなかった。
「それじゃ行ってくるよ、兄さん。」
「あぁ、気を付けてな。」
ノイエルが月に一度の買い出しに出掛けた。
少し遠くの港町、ポートマスに往復3日かけて向かう。
そこで自給自足で賄えない道具や調味料、本や衣服等を調達する。
ずっと森の中で過ごすのはノアーズにとっては苦ではないが、ノイエルは一人でいるとき、時々退屈そうな表情を見せている。
そんな彼女にとっても良い気分転換になるだろう。
森の中を進んでいく彼女を見送る。
長い翠色の髪が、木々の隙間から差し込む光に照らされて鮮やかに彩られる。
ノイエルを見送るこの時間は、毎回時の流れの早さを実感させる。
兄にべったりだった小さな妹は、今では背丈は兄に迫るほど、守るべき対象だったそれは、一人でも生きていける強さを持っている。
ノイエルが一人立ちしないのは、俺のせいだ。
ノイエルは余りにも優しい。俺が生きている限り、ノイエルは縛られ続ける。
俺が死んだとしても、ノイエルが完全に解放されるわけじゃない。
だから、こんな生活が、ずっと続いてしまうんだ。
今日は一人で食料を調達しなければならない。
ノイエルなら得意の魔法を使って、完璧な狩りを行い、食材を家に運び、3日程度なら保存もすることができるが、ノアーズにはそんな力は無い。
彼は魔法を一切扱うことが出来ない。そのため、獣を自分の武器で狩り、その場で調理して食らう野生のスタイルでやるしかない。
案外本人はその食事を気に入っていたりもする。
ノアーズは弓と矢を背負い、ナイフと火打石、水筒が入ったポーチを腰に提げ、家を出る。
獣肉を求めるなら、南にあるヴォズ山まで向かう必要がある。
半日ほどかかるが、無性に肉を食らいたい気分だ。多少の移動は我慢する。
今回の目当ては成人程の大きさの中型魔獣、ハングドドレイクだ。
山の洞窟や樹海に生息する魔獣で、普段は洞窟内の天井に張り付いていたり、木々の上で隠れながら獲物が下を通るのをひたすらに待ち伏せる。
そして狩りの瞬間、強靭に発達した尻尾で体を支えながら力強い前脚で獲物を空中に引っ張り上げる。
ドレイク種でありながら飛行能力を持たないこの魔獣は、その背中の翼を空中での体の姿勢制御に用いる。
そして引っ張り上げた獲物を締め上げながら、そのまま捕食する。
アマチュアの探検家、冒険者を何人も吊るしあげてきた凶暴な魔獣で、ノアーズがまだ冒険者だった頃にも何度か痛い目にあった。その時やっとの思いで討伐した個体を食らったときから、ハングドドレイクの肉は彼のお気に入りの食材のひとつとなっていた。
ヴォズ山にあるひとつの洞窟にたどり着く。
胸ポケットに取り出しやすいようナイフを忍ばせる。
あの頃から欠かさず行ってきた。
ランタンを携え、洞窟に入っていく。
洞窟に生息するハングドドレイクにはいくつかの特徴がある。
まずひとつに、鱗が岩石模様になっており、天井に擬態されればランタンの明かり程度では全くと言っていいほど認識ができない。
そして狩りの瞬間、近くの天井や壁の岩の隙間に尻尾を差し込み固定する際少し、場合によっては大きな岩の削れる音が鳴る。
狩場は地面から天井まで高さが4~5mほどの場所に限定される。
最後にこの魔獣は、ほぼ確実に生物の首を狙って締め上げてくる。
それらを逆手に取った人間の狩りを、ノアーズは今から行おうとしていた。
ハングドドレイクの潜んでいそうな空間は慎重に進んでいき、その間ただひたすらに耳を澄ませ音を聞く。
昔はこんな危険地帯だとしても、パーティ内では世間話が絶えなかったな。
あの時もそうだ。暗闇を怖がるノイエルを俺とアデレがからかいすぎて、限界を迎えたノイエルが帰ろうとしたときに、俺がハングドドレイクに吊るされた。
ノイエルがパニックだったのが功を奏した。ためらいなく俺ごと氷魔法で凍らせなければ、俺の命は無かったかもしれない。
こんな懐かしい話を思い出だしながらでも、今なら周囲を警戒することができる。
そしてその時はきた。
カツンッ
音がしたと同時に、ノアーズは胸ポケットのナイフを取り出し、首の位置に身体とは垂直に構える。
直後、上から岩のような鱗で覆われた筋肉質な腕がノアーズの首を覆う。
その腕が首を絞めようと強い力が入ったとき、グサリとナイフが深く刺さる。
突き刺さる痛みでハングドドレイクは力を緩めた。
その瞬間、ノアーズは構え、深く刺さったナイフを力の限り振りかぶった。
岩の天井に差し込んだ尻尾は抜け、ハングドドレイクは大きな衝撃音と共に前方の床に叩きつけられた。
「この狩りは本当に、笑えるくらい上手くいくな…」
ハングドドレイクがこんな生態をしている理由の一つに、衝撃に対する脆弱性があった。
彼らは強靭に発達した腕と尻尾があるが、身体は脆く、強い衝撃を受けるとそれだけで気絶してしまう体質を持っている。
そのため、いくらでも衝撃を逃がせる空中で狩りを行っているのだ。
ノアーズは気絶したハングドドレイクを洞窟の外まで引き摺り出す。
今回のはかなりの大物だ。ハングドドレイクで美味な部分は前腕と尻尾の根元付近の肉だけだが、それだけでも充分に腹を満たすことができる。
手際よく肉を捌き、焚き火で焼いていく。
近頃はどうもノスタルジーな気分になることが多い。
こんな少しの待ち時間で、いつも過去の事を思い返す。
皆からの期待や、仲間との信頼。
いろんな発見をして喜んで、いろんな喧嘩をして仲違いして、いろんな窮地から命懸けで抜け出して、いろんな恋を経験して、いろんな挫折を味わって。
感じる全ての感情が爆発していたような、そんな過去。
もう二度と、あの自分には戻れない。
勇者と呼ばれていた、あの頃には
9/10 ep2 必ず更新予定