68 初対面の挨拶
かなり長く抱きしめられて、ドキドキを超えて飽きたころ、屋敷が近くなって解放された。
「それにしても……あの場でお金のことを出すのは卑怯だったのではないですか」
忘れる前に、嫌味を言っておく。
正直言って、市民に払った迷惑料の額を考えたくない。濡れた家具を乾かせても、汚れた水がついたのならば、汚れは残る。悪徳貴族ならば爵位を振りかざして値を下げるが、レオンは素直に言い値を払っていそうで怖い。
「あれは、我ながら恰好が悪かったと思いますが、あれだけの貴族と王族を前にして、婚約の申し入れを断られた男の立場にも立ってください。場所が場所ですから攫うわけにもいきませんでしたし」
「……」
少し考えさせて欲しいと答えるのが正解だった。咄嗟に嫌だと言ってしまったから脅されてしまったのだ。
「私の事を嫌悪して婚約を断ったんですか」
レオンに問いかけられる。
「………嫌悪感を抱く相手と婚約はしても、抱き着くことは……許可しません」
あの糞蛙とも婚約をしたくらいだ。私に、選べる選択肢は多くはなかった。
公爵家に着くと、当たり前にエスコートされて馬車を下りた。
何人かの使用人が出迎えに出ている。その中で、私をみた一人が死人でも見たような顔をした。
誰だったか……。
「あ、あの時私を先に行かせた侍従ですか?」
同じ制服、中肉中背なので、確信が持てない。私が顔を覚えているはずもないが、あの時、私だけで王宮に向かわせたのは侍従の一人だった。そして、鎌をかけたら脱兎のごとく逃げ出した。
「捕まえて、牢へ」
レオンが短く命じる。命じる前から追いかけていたのでよく教育されている。
「……私が帰ってくるとは思わず、そのまま残っていたんでしょうね」
急に姿を消せば怪しいですと言っているようなものだ。私がいなければ証言するものもいない。今日も、私が悲惨な目に遭い、レオン一人で帰ってくると思っていたのだろう。雇い主が先に情報を教えていればよかったのに。可愛そうに報連相をしっかりしてくれない上司はこれだから困る。
「拘束後詳細は後でお話します。後……」
些細な問題はあったものの、屋敷の大きなドアが開かれる。ちなみに使用人用のドアは普通のサイズのものがある。
屋敷の大きなホールには、外で待っていた以上のメイドと侍従が待っていた。外の者はあぶれたものだろうか。
その中央には銀に近い金髪とこげ茶の瞳をした渋い顔立ちの男性が立っていた。腕を組み厳しい顔でこちらを見ている。
「……あちらは、私の父であるダンデリオン・ソレイユ公爵です」
説明を受けなくても血縁だと一目でわかる。レオンに歳をとらせて、怖い顔をさせればこうなるのかと思うほどだ。
「父上、彼女がお話したリラ・ライラック準男爵です」
「お初にお目にかかります、公爵様。リラ・ライラックと申します」
お辞儀をすると、僅かに鼻を鳴らすような音がした。
「妻たちから話は聞いている」
鋭い眼光で値踏みをされている。これで婚約破棄の場合は、私に金が入ってくるのだろうか……だが、あまりにすぐだとレオンはとんだ恥さらしになる。つい先ほど、多くの貴族や王族の前で婚約を宣言したのだ。
「正式な挨拶は後日に。父上、今日は色々とありましたので、リラ殿を休ませたいのです」
「ああ、いいだろう」
短く返すと、踵を返して階段を上っていく。これは、合格なのか不合格なのか。
レオンの父が戻っているとは馬車の中で聞いたが、正直出迎えがあるとは思っていなかったので驚いたが、あまりにも短い会話で去ってしまった。
「……父は、少し寡黙で素でいつもああですから」
「まあ、普通の家長は受け入れがたいと思いますよ」
大事な跡取り息子が、準男爵を連れてきたのだ。いい顔はできまい。
「今日は部屋に戻ってゆっくりした方がいいでしょう。拘置所では気が休まることもなかったでしょうから」
「貴族用でしたし、いいメイドがついていたのであまり困ることはありませんでしたよ」
エスコートをされたまま階段を上がる。
比べるものによっては全然いい生活だった。ごはんもあるし、入浴もできた。男爵の家の者だと本当はもっと格下の部屋なのかもしれないが、他の留置部屋を見ていないのでわからない。
「ああでも、湯あみをする時間になるとやたら看守が回ってくるのだけは困りましたね。まあ、自殺防止で仕方がないのでしょうけど」
「ほう……他に何かお困りごとはありませんでしたか?」
「たまに、食事が少ない時がありましたね。きっとおいしいものが出た時は誰かが着服していたのでしょう。それ以外で困ったこともなく、平和に過ごすことができましたわ」
「そうでしたか……。王宮にも感謝の言葉を出しておきます」
まあ、公爵のボンボンが聞くと不遇に見えるのかもしれない。食べるものがなさ過ぎて、自分で畑を耕したりしたものだ。畑や植物を育てるのは案外得意だった。何せ水魔法が使えるので、水やりが簡単だったのだ。
自室に到着すると視線を感じてその方を見上げた。
「……明日、昼食を一緒に取りましょう。朝はゆっくりしてください」
そっと、耳元を撫でられて、くすぐったい。
「その……今回は色々とご尽力いただいてありがとうございました。本来、先にお礼を言うべきでしたのに、色々と驚いてしまって、遅くなってしまいました」
今更、感謝の言葉を口にしていなかったことを思い出した。
気恥ずかしくて、視線を外す。
私とは、婚約者ですらなくなっていたのだから、私のために尽力する必要もなかった。無論、責任感があったからかもしれない。
レオンとシーモア卿が何もしなければ、私は誰かの計画通りに魔力暴走の責任を取らされて、クズの領地に連れていかれることになっただろう。
「……当たり前のことを行ったまでですが、リラ殿に感謝されるのは、思いのほか嬉しいですね。このままだと、口づけをしたくなってしまうので、また明日に……」
言うと、レオンがドアを開け、そっと背中を押して室内へ入るように促された。
ドアが止まるころには、クララが慌てて駆け寄ってきていた。
「リラお嬢様、おかえりなさいませ! あ、お加減が悪いのですか? お顔が赤くございますよ」
どもりもなく、流暢に問いかけられる。
顔が熱くなっているのは気づいていたが、指摘されるととても恥ずかしかった。




