67 もしもの話
馬車に乗ると、リラが溶けた。
「はあ……無事に済んでよかった」
向かいの座席に完全に上半身を横たえてしまった。
「おじい様は、あまり詳しく教えてくださらなかったですけど、蛙準男爵が呼ばれていることや、犯罪の立証……よく間に合いましたね」
「ああ……少し前から調査を始めていたのが幸いしました。それに、リラ殿を捕まえた捜査官をシーモア卿は昔から気に食わなかったそうです。彼の元部下が尽力したのと、公爵家の権力を全力で使って間に合わせました」
少し乱れた髪で見上げてくるので、目のやり場に困る。足元に目を移せば、ドレスのスカートが少し捲れて、膝が、ぎりぎり見えそうになっている。リラの、すらりと長い脚からパンプスまでのラインに唾を飲む。足が暇を持て余す様に揺れ、足首の動きに目が行ってしまう。
「証言者の言葉が、どれだけ信用できないかを印象付けるためとはいえ、あのような下劣な言葉をリラ殿に聞かせてしまった事は、申し訳ありませんでした」
小さく咳払いをしてから謝罪する。
「私が、弄ばれていた可能性は考慮されませんの?」
「……私が好いているのは今のあなたです」
試すような言葉を問われ、見ていないのだから、あれの言葉が事実でないと証明ができないではないかと頭によぎってしまった。
「まあ、実際手は出されてませんから安心してください。あ、でも、別の……案外まともだと思っていた婚約者とは口づけはしたことがありましたね」
「……それは、私以外ということですか」
威圧になりそうになるのを必死にこらえ、微笑んで返そうとしたが、引き攣ってしまう。
「残念ながらそうです。なので、前回許可なくキスをしたことは、許そうと思います」
「それは、とてもありがたいですが……少なくとも、他の婚約者よりも多く口づけを許していただきたいものです」
リラが、頬杖をつくと、蠱惑的な目でこちらを見る。
明るい緑の瞳はキラキラしていて、とてもきれいだ。
「もし、捜査官がもう少しやり手で、私がライラック男爵領に幽閉されることになったら、どうされていましたか?」
ぞっとするような未来の話をされる。
リラとリリアン様の関係が悪く、王妃様から疎まれていたら、結果は大きく変わっていただろう。
王妃様がリラの身の潔白を証明してくれず、リリアン様が再度婚約することの後押しをしてくれていなかったら……。
リラは多くの婚約者に弄ばれたというレッテルを貼られ、貴族社会ではまともに生きられず、無論モリンガ男爵夫人と考えたドレスもイメージが悪くなり売れなくなり収入もなくなったろう。
婚約が出来なければ、カーディナリス公爵が俺と娘の婚約を無理に進めようとしたかもしれない。それに、リラはただの準男爵か平民になり、汚点を消すためにカーディナリス公爵家に消されていた可能性が高い。
最悪は、リラが生家への幽閉されることだ。
どのような扱いになるか、アルフレッド・ライラックがリラにしようとしたことを思えば、考えるのもおぞましい。
「……リラが、そんな目に合っていれば、爵位を捨ててでも助けに行くか、判決の時点で耐えられずに魔力暴走を起こしていたかもしれません」
馬車の中で膝をつく。
「ここにいることを確かめたいです……抱きしめることを、許してはくれませんか」
懇願すると、リラが一度視線を下げ、上半身を起こして座りなおす。
「……」
無言で、受け入れると手を開いたリラを包み込むように抱きしめた。
首筋に顔をうずめる。とても落ち着く香りがした。
抱きしめるだけで心地がいい。ずっとこうしていたい。
リラは、俺に運命の女性が現れると未だに思っているのだろうか。少なくとも、ロベリア嬢をその相手ではと思わなくなっただけでも成長したと思う。それでもまだ。リラ自身がそうだと思えないならば、努力しなければならないだろう。
「あ、あの……まだ、続けますか」
リラの鼓動が速いのか、俺の鼓動が速いのかわからない。
「まだ、このままでいさせてください。どれだけ……どれだけ心配したか」
怖かった。
切り裂かれた服に怯えたリラの顔。守れなかった自分が、憎くてたまらなかった。
リラに不当な罪を着せようとする全てが憎かった。
「………もう、婚約破棄などと、言わないでください」
絞り出すように、不安が漏れ出た。リラは、抱きしめ返してはくれたが、言葉は返してくれなかった。




