59 捜査官
一瞬だけ、レオンの周りの空気が熱くなる。
感情が高ぶって、炎の魔力が熱として漏れたのだろう。
酷い服の状況をみて、乱暴をされたと解釈したのだろう。私は運がよかった。でなければ今も嬲られていたかもしれない。
「まあ、そういうわけですから……もう」
そう言った時、唇を塞がれた。
今まで、レオンは約束を守ってくれていた。無論、口づけを今まで許可したことはない。
なのに許可なく塞がれた唇が離れる。傷物ならば気遣う必要もないと考えたのだろう。
唇が離れ、見下ろす目は、蔑みではなく、泣きそうなものだった。
いっそ、蔑みだったらよかったのに。
「………契約、違反です」
最後に、一筋だけ涙が流れると、止まらず溢れた涙が止まった。それと同時に、溢れて止まらなかった魔力が止まるのを感じた。枯渇までは行っていないが、かなりの魔力を使ってしまった。
「リラ、俺はっ……」
「婚約破棄を、してください。私は、やっぱりレオンには、相応しくないわ」
目を見て話せば、また泣いてしまいそうで、視線を落とす。手足には、まだ拘束に使われたベルトが巻かれたままだ。
「いやだ。絶対に婚約破棄はしない」
レオンの言葉は途中から足音で聞こえにくくなった。
何人もの制服姿の男たちが入ってくる。あれは、捜査機関の制服だ。
「リラ・ライラック準男爵。魔力暴走によって街に損害を与えた罪で拘束する」
「何を言っている!」
絶望したような顔をしていたレオンが、その言葉を聞いて、また一瞬だけ魔力を漏らした。温度差の関係で少しだけ彼の周りが揺らいで見える。
確かに、彼の魔法は危険だ。
水浸しの床は水位が減って今はクズも水から顔が出ている。魔力暴走が止まって、人が上がれるようになったので上に来たのだろう。
「……」
確かに、この量の水が街に流れ出ていたら、市民は迷惑をこうむっただろう。
自分で作った水は魔力が通りやすいので操作が簡単だ。残っていた水を消し去り大気へ戻す。
部屋の中はもちろん、外に流れ出た水も全てがきれいさっぱりなくなる。
「なっ、証拠隠滅を図っても、街中に証言者がいる!」
「損害とおっしゃったので、その元が残っていては被害が続くではないですか。被害を少しでも減らそうとしただけです」
証拠隠滅とは失礼な、だが確かに私が出したという証拠はあるのだろうか。いや、私だけど。
「生きています」
近くでこんな声がした。
クズは死んでもいいと思ったが、私がクズのゴミ処理をしてやる義理はない。ゴミはゴミを作った人に処理してもらうべきだ。
「ライラック家は、水魔法ですから、もしかしたらそちらが魔力暴走を起こして魔力枯渇で気を失った可能性は考慮なされないのですか? なぜ、私がここにいて、私が原因だと入ってすぐに断言されたのですか?」
捜査官に問いかける。
まあ、私がやったのだが、どうしてここに私がいると知っていたのだろう。まあ、水源を辿ればここにたどり着くだろうが、私だとはすぐに言えまい。
「そっ、それは、目撃情報があったからだ! 犯人であることはわかっている。拘束し、牢へ連れていけ!」
あ、彼らもグルだ。
何故か、だがはっきりとそう思った。
王宮へ行くのにふさわしい馬車。誘拐。そしてこの逮捕劇。全てを兄が仕組んだとは思えない。彼はそれほど根回しがよくない。
「私はレオン・ソレイユ。公爵家の者だ。リラは私の婚約者だ。勝手は許可できない」
「たとえ、公爵家であっても、犯罪は犯罪です」
そこは、屈していろよ。どうせどこかの権力に屈した捜査官だろうに。
目端に、不自然に壁際へ進む制服の男が見えた。さっとしゃがんで何かを回収した。視線はほとんどこちらに向いているので、誰もそれを気にしていない。
「あなた。私に付けられた魔力封じの首枷を拾われたようですけど、証拠物は普通、専門の方が入って調査するので、ここで拾っては証拠として使えなくなってしまいますよ」
「何のお話ですかっ」
動揺している。これは、私がクズとただならぬ関係で、婚約者の目を盗んで密会、クズが関係を終わりにしようといい、私がキレて魔力暴走を起こしたとかの設定なのだろうか。
いやいや、まさか。
「それは……っ、はーっ、聞き捨てならないです、な」
誰かが階段を上る音は聞こえたが、息を切らしたおじいさま、シーモア卿だった。
「なぜ貴様がここにいる?」
私の質問を代表らしき捜査官が代わりに問うてくれた。
「元職員でしたので、証拠がなければ犯罪が立証できないことは承知していますよ」
中に入ると、私が指さす相手の右の内ポケットに迷わず手を突っ込んだ。
シーモア卿が何の魔法かは知らないが、隠したものを探すのが異常にうまい。
「これはなんだ!」
「そ、それは……」
言い淀み真っ青になると、この隊の指揮官だろう男へ一瞥をくれた。それだけで命じられたのだと理解した。それをシーモア卿に伝える必要はないだろう。
「リラ準男爵が魔力暴走を起こした疑いがあるのであれば、鑑識が到着し、こちらを引き渡してから私が同行しましょう」
「何を言っている。また魔力暴走を起こしたらどうするつもりだ!」
怒鳴るしか能がない男は無能だと相場が決まっている。
「ここにいる全員の名前と家門を伺ってもよろしいですか?」
レオンが落ち着いた声で問いかける。
「それは、捜査機関への脅しととるぞ!」
「まさか。なぜそのように? 私が家門に圧力や不利益を与えるような男だと言うのですか? 全く、それこそ侮辱で訴えたい。ただ、大事な婚約者を一時でも預ける相手だ。名前も聞かずに渡せるとお考えですか」
公爵家に権力で勝てるのは王族と聖女のリリアン様くらいだ。
誰の差し金かは知らないが、公爵家相手に守ってもらえるか。計算するもの、離反するものも出るだろう。こんな姿の婚約者を見れば、普通は見捨てると思ったのだろうが、お優しい侯爵令息は、そうしなかった。
「さぁ、どれほどで鑑識がついてくれるか。まさか、ここまで根回し良く逮捕しに来たと言うのに、呼んでいないことはないでしょうな。いや、急を要しただろう。呼んでいないならすぐに呼んでくるといい」
寒さで震えている私を一瞥したあと、シーモア卿がさらに言う。




