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58 水の先へ


 マリウス王太子の権限で、夕刻にはリラの捜索隊が出された。貴族令嬢、それも男爵家の娘の行方が数刻知れないだけだ。普通はそこまでの対応を取ることはないが、リリアン様に呼ばれた者が行方不明となったのだ。


 捜索が本格的に始まっても、一向に見つからない。リラの誘拐に使われたと思われる馬車らしきものは、街道を出て少しした場で燃えているのが発見されたが、人は乗っていなかった。


 王都から出た可能性も考慮し、二手に分かれて捜索している。


 王都内を捜索しているとき、足元に水が流れてきた。


「……」


 薄く雪が積もった石畳。その雪を流す様に、ゆっくりと、水が流れていく。雨は、一滴も降っていない。雪解けにしても、既に夜だ。


 どこかの家が水を流した可能性もあるが、街灯に照らされるそれは、やけにきらめいて見えた。それこそ、リラが貯水池に水を溜めていた時のように、僅かに発光しているようにも思えた。


「リラ……」


 緩やかな坂になっている。水の出どころを探るように、駆け出した。


「水源の先を見つけろ!」


 同じ隊の捜索班に命じて坂を駆け上がる。迷路のような路地は貧民街とまでは行かないが、貴族には縁のない平民のエリアだ。


 水が溢れる場所はさらに奥の、安っぽい建物が並ぶ場所にあった。


 建物の周りには、既に何人もの人がたむろしている。


「何があった」


 近くの男を捕まえて問いかける。


「え、ああ……あそこから、急に水が溢れてきたんですよ」


「男の人が流れてきたよ!」


「ぶあーーって」


 男はこちらの服から貴族のようだとすぐに気づき、慌てつつもすぐに説明をしてくれたが、近くの子供たちは口々に可笑しなものを見たと語った。


 ドアの近くには、ずぶ濡れの者が何人かいる。


「人が上がるとばーって、水が増えるの!」


「最初に流れてきたのは誰だった」


 問いかけると、子供たちが少し遠巻きに唖然としている男たちを指さした。


「あの人―」


 指さされたのに気づいた男たちが、慌てて逃げ出そうとした。


 制御された魔法に関しては、魔力暴走ほど咎めはない。そしてここは平民街だ。貴族に対して使うのと違い、咎められる心配はほぼない。


 魔法を使い、男たちの周りを炎で囲う。


「あれを捕らえておけ。まだ殺すな」


 捜索班に命じる。何人かがそちらに向かって十分近づいてから魔法を消した。子供たちがぽかんとした顔をしている。


「中に入る。許可するまで誰も入れるな」


 命じてから、建物の中に入った。すぐに階段が見つかる。


 階段には踝ほどの水が流れている。足を取られないように気を付けながら登る。


 窓が割れていたのは3階だった。


 二階を過ぎたころから、水量がさらに増えだした。まるで異物を洗い流す様だ。


「リラ! 俺です!」


 大きな声で呼びかけると、途端に水量が下がる。その間に階段を駆け上がると、開いたドアから、すぐにリラの姿が見えた。


 その姿に息を飲む。


 びしょ濡れの状態で震え、両手はベッドの足に繋がれ、首枷までされている。そして、服が切り裂かれ、あられもない姿をさらしていた。


「レオン……様」


 いつものリラの声とは違う、か細い震える声が耳に届く。


 何があったのか。頭をよぎっただけでわずかに魔力が漏れる感覚がした。一度目を瞑り、息をしてから剣を抜く。


「拘束具を切りますから、動かないでください」


 できるだけ、優しく、落ち着いた声を出そうとしたが、うまく行ったかはわからない。


 腕にはきつくベルトが絞められている。そこから伸びる革を断ち切る。手が自由になると、リラが両手で服をかき集め、露になっていた肌を隠した。こんな状況でなければ、少しは興奮しただろうが、こんな状況で肌を見たいわけではない。


 コートを脱ぎ、リラに着せる。濡れた上からでは防寒にはならないだろうが、切られてしまった服よりは、マシだろう。


「………リラっ……生きていて、よかった」


 未だに、涙を流すリラを、許可なく抱きしめる。


 殺されていた可能性もあった。それが最悪な状況だとすれば、今はどの段階と言えるのだろう。


 だが、生きていた。それだけで、最悪ではない。例え、リラから抱き返してくれることはなくとも。


 震える体を感じながら、耳元で、リラが小さな嗚咽を漏らす。どれだけ怖かったろう。そう考えただけで胸が締め付けられる。


「……少し、じっとしていてください」


 首枷がされていたのを思い出す。


 体を離し、喉を押さえるようにつけられたベルトを外す。留め金の形に赤くなってしまっていた。


「……え」


 リラが何かに驚いたような顔をした後、まるで何かから守るように抱き着いてきた。


 突飛な行動に呆然としていると、一瞬で部屋全体が水で埋まってしまう。反射的に息を止めたが、目は閉じ損ねた。不思議と目が痛くなることはなく、無色透明なはずの水がわずかに光っていた。抱き着かれているので顔は見えないが、リラもわずかに光って見えた。どうせなら顔が見たかった。そんなことを考えていると、窓やドアから、水が流れ落ちだして、水位が一気に下がった。


 だが、ドアから流れる水の量は登ってきた時よりもずっと多い。


「あの、リラ、殿。もう水を止めても大丈夫ですよ」


 リラから腕を離された。流れていかないように留めてくれていただけだったようだ。


 身を守るための策はもういらないと言うと、リラが呆然としている。


「……止められないんです。ずっと、止めようとしてるのに、止まらないんです」


 そういわれて、初めて、リラが魔力暴走を起こしていると気づいた。


「あと、そこに転がってるゴミ、死んだと保証がないので、溺死しないように座らせておいてください」


 淡々とリラが床に視線を落とす。そこでようやく転がっているのがリラの兄であるアルフレッド男爵であることに気づいた。



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