55 リラの行方
急ぎの書類を済ませ降りると、リラがいなかった。
大抵は先に待っている。今日はこちらがいつもより遅くなってしまったので一度部屋に戻ったのかもしれないと、メイドに確認を頼む。
リラは自然と婚約者を立てる行動をとってくれている。決して出しゃばらず、可能な限りこちらより先に待つようにしたり、人目のある場では丁寧に接してくる。公爵邸で、慣れたメイドしかついていない時は嫌な顔をしたり、言葉遣いが多少崩れることがあって、それはそれで好ましいが、公爵家と言う立場上、婚約者や伴侶が俺に対して外でも同じ態度では角が立つ。
弁えていると言えばとても上から目線だが、婚約者としては文句の付け所がない人だ。
特に格下から跡取りの婚約者をとる場合、家格に合うように教育をする必要は出る。その時に物覚えがあまりにも酷かったり品位が足りなければ婚約破棄もある。そうなった時のために、最近は婚約を大々的に公表しない家も多い。婚姻と違い、婚約は戸籍に乗らない。婚約に際して、互いに不利益がないように家同士で契約書を交わし、正式なものとはするが、婚約の段階ではバツはつかないのだ。
すべての家できっちりとした教育を受けたわけではないだろうが、リラは他家でまじめに教えを乞うた結果だとわかる。
今ではリリアン様の教育を手伝うほどに認められている。女性側の嫁入り修行にそれほど詳しくはないが、王妃様がリラを指名するからには、リラは俺が思っている以上に優秀なのだ。
「リラお嬢様は随分前にお部屋を出られました」
慌ててやってきたクララがそう報告する。
「差し出がましいのですが……少し前に、王宮からの迎えでご出発されるのを見ましたが……レオン様がご一緒だったのではなかったのですか」
別のメイドがクララとの会話を聞き、そう声をかけてきた。
「先に?」
「はい。リラ様に間違いなかったと」
待ちくたびれても、何も言わずに先に行くとは思えない。公爵邸に戻らなかった日を思い出す。
「王宮へ向かう。リラがこちらに残っていたり、戻ってきた場合は外に出さずにここに留まってもらうように。見つけたらこちらに連絡を寄こしてくれ」
外に出るといつもの馬車が待っていた。王宮に向かうには相応のもので行く必要がある。
「リラはどうした?」
「リラ様でしたら、王宮の迎えというものが来ていました」
公爵家の御者が言う。
王宮へ向かう時はリラと俺は一緒に向かう。リラがシーモア伯爵のところへ行く時は警護を少なくとも三人つけている。
今ここでおかしいと言ったところで始まらない。王宮へいるかの確認へ向かう。今日はできる限り急ぐように言っておく。
リラと行く時は、内密に、少し時間をかけるように言っていた。
二人きりで過ごす時間は少しでも長い方がいい。会話がない時でも、リラを眺めているだけで幸福感があるのだ。
リラの顔が好みだと言うのは間違いないが、惚れたのはリラがリリアン様に向ける慈愛に満ちた微笑みを見てからだろう。
婚約破棄は決まっていたが、リリアン様のために形式上の第二夫人にする可能性は否定できなかった。正式に婚約破棄された時、リラに手を差し伸べたからか、ライラック男爵は一番に俺へ婚約の話を持ち掛けた。
あの微笑みを自分だけのものにできるならばと、下卑た考えがあったのは否定しない。
リラはまだ納得していないが、俺はリラと結婚したいと思っている。だが、それはリラにとっては危険が伴う。だからこそ、母達は家格の違いを案じていた。
王宮へ着くと、出迎えの者に問う。
「リラ殿はこちらに到着しているか?」
「リラ様ですか? 少しお持ちください。確認をしてまいります」
その反応に、不安が増す。ただの取り越し苦労であれば、今後は報告をしっかりして欲しいと頼めば済む話だ。そうであってくれと願う自分がいた。
「あら、レオン様、お久しぶりですわね」
王宮のホールには他にも貴族がいる。声をかけてきたのは青い髪をしたロベリア・カーディナリス公爵令嬢だった。
「ご婚約をされたと伺いましたわ。わたくしはまだ婚約者も決まっていない状況で、行き遅れてしまいそうでお恥ずかしいですわ」
公爵家の娘らしく、品のある所作で祝いを言われる。だが、不思議と祝っているようには聞こえなかった。
「今日は、王宮の図書室に許可を頂いてまいりましたの。レオン様はお仕事で?」
「……ええ」
以前注文したカフスとまるで揃いのようなブローチをしているのが目に入る。いつもは無視しているが、眉を顰めそうになった。
「そちらのアメジストのブローチ、カーディナリス公爵令嬢には珍しいお色ですね」
「宝石商に勧められましたの。わたくし、値段よりも品質やデザインで決めておりますから」
「奇遇ですね。私も似た色のアメジストのカフスを以前に買ったのです。本来濃い色の方が価値は高いそうですが、薄紫が私の婚約者の髪色と似ていたので。本人には未だ気づかれていませんが」
どんな顔をするか、注意して観察する。
「まあ、そうでしたの……。レオン様にそこまで想われているなんて。わたくしもそのような殿方を見つけたいですわ」
「ご令嬢のような完璧な淑女であれば、御父上がよい縁談を探されるでしょう」
表情を微笑みから変えることはなかった。だが、一瞬、楽しそうな雰囲気を感じた。嫌悪ととったならばこちらの思い込みでそう見えた可能性はある。こちらに気があると言うのが勘違いだったのか。
「レオン様、ご案内いたします」
他に人がいるのを見て、確認に行っていた者が別へと案内する。それだけでよくない知らせだとわかる。
「ごきげんようレオン様。またのご機会に」
「ええ、また」
適当に挨拶を済ませて奥へ向かう。
王宮は王族の住まいと執務の場がある。一部の区画には貴族の出入りがあるが、奥へは許可された者しか入れない。
「リラは来ていないのだな」
「確認漏れがないとは言えませんが、案内係も見ていないとのことでしたので」
リリアン様の許へ連れていく前にはリラであっても確認をされる。それを通さずに直接入れることはない。
「マリウス王太子殿下より、聖女様のご友人であるリラ様については細心の注意を図るようにと申し使っておりました」
「御者が、王宮からの迎えが来ていたと言っていた」
「……本日は、そのようなお手配はなかったはずです」
王太子の執務室へ向かいながら、一度呼吸を整える。ここでまた魔力暴走を起こすわけにはいかない。今はそばにリラはいない。延焼を止めてくれる人はいない。
以前、リラが行方をくらましたとき、マリウス様はリリアン様にも伝えていなかったようだが場所の把握はされていた。慌てる様子もなく、暢気な態度だったのだ。もしかすれば、今回も……。
「どうした? 血相を変えて」
王太子に合う前の確認を終え、王太子の執務室へ入るとまだ何も知らされていいとわかる調子で問われた。
「リラが……リラ殿の行方が分からなくなっています。王宮へ向かうと言う馬車に乗ったはずですが、こちらにはついておりません」
「王宮からはそのような手配はなかったかと。もう一度調べてまいります」
こちらが口々に言うと、眉根を顰めた。
「そうか……必要ならば騎士団を出してもいい。リラはリリアンの……聖女様の友人だからな」
リラがモリンガ男爵夫人の邸宅にいた時には、リラにも考えがあるだろうから少し時間を与えてやった方がいいと返されていた。だから身の安全は今のように真剣に案じてはいなかった。だが、王宮が把握していない状況となれば話は別だ。
こんな簡単な方法で奪われるとは。




