42 レオンとのお茶会③
「人を溺死させるのに必要な水の量はほんの少しです。魔法であれば、手を使わずに口と鼻を塞ぐことも、肺へ流し込むこともできます。それを取り去れば、証拠が残らない」
浮いた水球を二つに増やす。水が重力に逆らって何故浮いていられるのか、聞いたことがある。なぜか頬をぶたれたので魔法とはそういうものだと思うことにした。
「きっと、王太子と婚約している私は守られるべきか弱い女性に見えていたのでしょう。理想と違って、私は自分の身を守る力も知識も持っています」
私だって、リリアン様やクララのような女の子の方がいい。けれど、いざという時、守られるよりも守れる人でありたい。何よりも、私を守ってくれる人はいなかったのだ。救世主を探すより、自分で救った方が早かった。
「リラ殿の強さは好ましいですが、私の魔力はそれに対抗できる熱を司っています」
レオンが指を鳴らすと、一つの水球が沸騰し蒸発した。
「………」
「でも私たちの喧嘩で魔力を使うのだけは禁止しましょう。契約書を作ってもいいです。俺とリラ殿が本気で魔法を使ったら、屋敷が消し飛びそうですから」
相殺ではなく、一瞬で水蒸気化させたのを見て純粋に感心した。
これまで、私の魔法が打ち消されることなどそうなかった。
「魔力暴走では、防げましたが……レオン様の魔法とは相性が悪いかもしれませんね」
「いえ、水量で来られたら、負けるのは私でしょう。何より熱湯にしてしまったら、こちらも火傷を負いますから」
最近は、魔法を人様に見せない風潮ができている。昔は階級が高い貴族ほど魔力量が多いと言われていた。もし、偽りなくそれが続いていたら、公爵家の産まれであるレオンは王族に次いだ魔力量と言える。
「私は、男爵家が出自ですよ。魔力勝負になれば勝つことはできないでしょう。残念ながら」
小細工をして勝つことはできるかもしれない。ただ、体内に直接働きかけるものは、相手がこちらの魔力と反発させたり打ち消すこともできる。格上には難しい。気管や肺は体内だが体外でもあるので、そこに水を発生させて意識を刈るか殺すことはできるか……。
怖い算段を見透かしたのか、レオンが苦笑いを漏らしている。
「リラ殿は、ご自身の魔力量をどうお考えですか?」
魔法封じも効くし、実家ではその程度の魔力でも少しは家の役に立てと言われてきた。少なくはないが、それほど多いとも思っていなかったが、ふと疑問に思う。私の魔法はそんなにもレベルが低いものだろうか。
「男爵家としては多いと思っています」
兄が魔法を使っているのは見たことがない。継母とも呼ぶことが許されない男爵夫人が一度魔法を使っているのを見たことがある。それもとても些細なものだった。父は……たまに領地に雨のようなものを降らせていた。あまり会ったことはない人だったが、魔力量は多かったのだろう。
「……」
レオンが開けたままの指輪のサイズを測るそれに視線を落とした。
そちらに話を戻すタイミングを見計らっていたようだが、こちらとの会話を優先してくれている。
自分が良いと思うことを押し付けてくる人は多い。だが、レオンはこちらが拒否すると案外素直に聞いてくれることが多い。
「リラ殿の母君は……魔法を使えましたか?」
問われて、思い出す。
「……多分、仕えたと思います」
幼少期は領地のどこかの家に預けられていた。本当に幼いころは母といたのかもしれないが、覚えていない。男爵夫人からは平民が魔法を使えるのは男爵様のおかげだから領地のために貢献しろと言われてきた。
屋敷に引き取られた時、ベッドに本が一冊置かれていた。手書きのもので、水魔法の使い方が指南されたものだった。父の字ではないその本は、ある日メイドに見つかり男爵夫人に取り上げられたのを思い出す。
「リラ殿の魔力は」
レオンが口を開いたので視線を上げた。こちらを気遣うのが分かる目で見られていた。
「貯水池に水を作り出す姿からの推測ですが、公表できないくらいに多いと思います」
公爵家のレオンが、公表できないと言う量がどれくらいかはわからない。だが、普通ではないことだけは理解できる。
それを聞いて、嫌な考えが浮かんだ。
私が帰郷しなくても、水魔法を使える人を雇うなりして水を貯めるだろうと思っていた。公爵家に喧嘩を売るよりは、ケチでも流石に金を払うだろうと。
「もし、人を雇って池に水を貯める場合、いくらほどかかりますか?」
商売として魔法を提供するものもいる。見世物程度ならば安いが、貯水となれば最低でも準男爵が与えられた元平民に頼むことになる。貴族に依頼もできるがもちろんより高額だ。
「……あの規模の水を作り出せる人を見たことがありません。なによりも普通、魔法で作った水は、ただ貯めただけではすぐに蒸発します。むしろ、どうやればあれだけの水を安定できるのですか」
「水魔法が使えるものにとっては、当たり前では?」
属性が違えば詳しく知らないことが普通だ。それに出した水を安定させられなかったら、飲み水にも困ってしまう。
「たらい一杯程度であれば、ある程度魔力があれば安定化はできると思います。ただ、水を作るときとは別に、魔力を消費するので水を汲んだ方が費用対効果は高いです。余程水不足の地であれば別ですが」
元々溜まっている水を媒介として、魔法で作った水と結びつけると魔力を切っても消えないし蒸発もしにくい水になる。私はあの捨てられた本で習った。
普通出来ないことだとは思っていなかった。
「契約書には、半年に一度は実家へ帰省させるように書かれていましたが、リラ殿が希望した場合と文言を入れさせています。リラ殿が希望しない限り、帰る必要はありません」
言うと、席から立って私の横に膝をついた。
「リラが強いのはわかってる。だけど、俺はリラを守りたいし独り占めしたい。だから、ライラック男爵領には返したくない」
「……わがままですね」
手を広げると、包み込むように抱きしめられる。
婚約書を交わして半年、ようやく言葉の許可なしに抱擁をするようになっていた。
これくらいは、まあ、上質な寝床代として払ってもいい。
「あらやだ!」
抱擁は案外いいものだと最近は思えるようになったと思っていると、大きな声が思考を消し飛ばす。
「っ……母さん!?」
「ただいまぁ、帰ってきちゃった」
慌てて離れたレオンが驚愕した顔で波打つ金の髪の女性を母と呼んだ。
「ああ、手紙はもらっていたけれど……本当に婚約したのね」
その後ろから、黒髪の外はねボブのご婦人が出てきた。
「母上もご一緒ということは、父も?」
「公爵様は仕事の残りがあったのでまだしばらくはお戻りになられませんわ」
二人の女性が並ぶ。
私より少し低いくらいの金髪ロングの女性と、クララくらいで小柄の黒髪の女性だ。
そのどちらも、レオンは母と呼んだ。




