37 婚約破棄の破棄
魔力暴走を起こしたサロンで、シーモア伯爵がおかしなものを見つけたと連絡をしてくれた。
元婚約者としてリラの話を聞きに行った時、運命の出会いを作る祝福を持っている可能性を少しだけ話したら、理由を問われた。
リラが信頼している相手だから、その日のことを素直に話したのだ。その時はそれで仕舞いだったが、後日、個人的に捜索をしてくれたらしい。
元は国の捜査機関にいたからか精神干渉する魔法に詳しかったのか、それとも感知能力に優れていたからか、天井に魔法陣を発見したという。
入り口近くの天井に魔法陣が描かれ、そこから近くの壁まで線が引かれていた。術者は壁の線に手を当て電気魔法を作動させるようになっていた。
解析の結果、魔法陣は多幸感と洗脳の作用があった。二つを合わせることで恋愛に近い感情が発生するとのことだった。魔法陣を解析したものは興奮して、そのような掛け合わせができたとはと熱く語っていた。あまりにも熱いので、半ば聞き流してしまったが、通常であれば、俺は視界の先にいたロエム伯爵令嬢に恋をしたような状況になっていたとのことだ。いつまで継続するのか、またそれに対する副作用は同じ被害者のロエム伯爵令嬢を保護し観察するとのことだった。観察という名の収監だ。今頃伯爵家にも捜査が入っているだろう。
ロエム伯爵令嬢のように、常識すら忘れる状況にならなかったのは、自身の魔力で打ち消した結果、術が正しく機能せず霧散したからだろうとのことだ。詳しくは実験と調査が必要だと言われた。
ただ一つ確信を持って言えるのは、俺を助けたのはあの緑の瞳だったということだ。リラの目がきっかけになって、反発す様に魔力暴走が起きた。
ロエム伯爵家が最も怪しかったが、証拠がなかったため、今回の計画ななされた。
俺が今日この場に来ると知らせに行かせたのもそうだし、この日のために公爵家からロエム伯爵家へ圧力をかけて精神的にも追い込んでいた。無論、術式の発動を阻害するように手を加えてもらっていた。
万が一に、また魔力暴走を起こしたときのため、後ろには水魔法が使える捜査官を待機させていた。
「あの、逃げたりしないので、手を離してはもらえませんか」
新作のお披露目会を婚約者のお披露目会に変更した後は、用意していた公爵家の馬車にリラを乗せた。嫌がるかと思ったが、あの場を去ることを優先したらしく、大人しく付いてきた。
馬車までのエスコートでは腰を捕まえていたが、今は隣に座って、手を握っている。
「本当は、縄をかけて、逃げられないようにしたいところですが、これで我慢をしているので、リラ殿も我慢してください」
リラの居場所は、最近になってモリンガ男爵夫人から連絡があった。披露目会が終わった後、リラがどこかへ行く可能性があるので、それまでにはこちらとの関係修復をする場を設けたいと言われていた。
それを聞き、今回の罠を相談して場所の変更などで協力をしてもらった。
サロンに来る予定がなかったリラを、モデルが怪我をしたための代役として呼んでもらった。実際に怪我をしてしまったようだ。
「……わかりました。公爵家の仕事の手伝いや第一夫人としての公共の場での義務は果たします。できれば普段は別邸で過ごせるようにしてください。その方が、愛する方と過ごすのにも邪魔にならないでしょう」
何か諦めたように丁寧な言葉だが、端々に棘がある。
「別邸が欲しいというのならば用意しますが、愛する人と過ごすという点では少し不便でしょう」
「はぁ、就職したと思えば、ソレイユ家は悪くないですが、私がいてはあの令嬢も気を遣うでしょう。あ、私が第二もしくは第三夫人でしたら内々に仕事をするだけでいいのでありがたいです」
リラにとっては、あの時の光景は過去に見たことのあるものなのだろう。婚約者が、別の女を選ぶのが当たり前なのだ。
「リラ殿は、私が別の女性と恋に落ちたと思って、身を引かれたのですか」
「……婚約破棄の書類はお送りしたはずです」
「安心してください。悪用されないように焼き捨てました」
「はぁ!?」
今も、顔にはレースがかけられている。はっきりと表情が見えないので、怒っているか呆れているのか判断がしにくい。
「あ、お金はとっていますから安心してください。後でお渡しします」
苦労した所為か、リラが金勘定に厳しいことは察している。
「はぁ……お相手に対して、不誠実では?」
「それは、リラ殿にも言えることでしょう」
「こちらからの破棄にして差し上げただけで充分の誠意では?」
「婚約破棄を希望した理由をお伺いしても?」
まだ全てを調べてはいないが、リラから婚約破棄をしたことはない。ある意味で、リラから始めて破棄をした。こちらから破棄すれば多額の慰謝料をリラは受け取れたというのに。それをどう取ればいいのか。
「……想い合える人ができたなら、その方と幸せになった方がいいからですよ。もう他人のそういうことで煩わされるのが嫌だったんです」
流石に抱きしめるのは契約違反だろうか。
こんなことなら、もっと細かく決めておけばよかった。例えば勝手に抱きしめたら違約金を払うとかにしておければよかった。
「あのサロンの入り口に、精神魔法が隠匿されていました」
「……どういうことですか」
それまでは呆れたような怒ったような態度だったが、声を潜めて聞いてくる。
「リラ殿が見たあれは、精神魔法によって無理やり恋愛関係にしようとしていただけで事実ではなかったのです」
「………」
「本能的に反発した結果の魔力暴走です。リラ殿が鎮火してくれていなければ、今頃謹慎程度では済んでいなかったでしょう」
「謹慎に、なっていたんですか……」
「炎の魔法は、簡単に人を殺めることができるものです。七属性の中で最も危険なものです。制御ができない者は特殊な牢で監禁せざるを得ないこともあります。今回は被害がほとんど出なかったため、軽微な暴走と判断されましたが、リラ殿の水魔法がなければ人が死んでいても不思議がないものでした」
体の中に閉じ込めても、制御しきれずに気を失った。それだけの魔力暴走を俺が起こせば、屋敷は全焼していた可能性もある。
「……あの令嬢に一目惚れしたのではないのですか」
「ええ。私が好きなのは、あなただと言ったではないですか」
「………」
それまで、すぐに言葉を返していたリラが黙ってしまう。
リラのこれまでの人生を少し覗いて、言葉だけでは理解してもらえないとは覚悟していた。
「リラ殿、堪らなく口づけをしたいのですが、許可してもらえませんか」
「しませんっ」
ぴしゃりと言い返された。
代わりに、レースのベールを上げる。
今まで見た顔の中でも一番困った顔をしている。それがとても可愛らしい。
「リラ殿から口づけをしたくなった時は、私に許可を取らずにしてくださっていいですからね」
幸運をもたらすハッピー・ライラックが、幸せになる姿を見てみたい。その時は、それが当たり前だと言うように笑ってもらいたい。




