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32 過去の婚約者九と八番目 


 9番目の元婚約者は、意外な相手だった。


 リラが信頼していたシーモア・サイプレス伯爵がその人だった。


 シーモア卿になぜ婚約者だったと教えてくれなかったのかと聞けば、他の婚約者と違い、保護するために婚約しただけで、親子か孫のように年の離れた子供を婚約者だと思ったことはなかったからだという。


 多くを語ってくれなかったが、婚約破棄の理由と婚約したことで利益があったかと問うた。


「婚約破棄は知人の息子と婚約をさせるためでした。あれは、気は弱いがまともな男だと思っていましたが……他に女を作るとは」


 そう小さく毒づいていた。


「リラと婚約したことで、ロリコンだと言われた以外に損失はありませんでしたな。今更伴侶を持ったところで介護を頼むようなもの。金に関しても……公爵家からすればひもじく見えるでしょうが、問題も抱えておりません。強いて利点をあげるならば、伯爵位を譲る親戚が見つかったことと、一時よかった事とはいえば、孫娘を持てた事でしょう」


 リラが彼を慕う理由が分かった気がした。


 伯爵も貴族とは名ばかりの生活をしている。跡取りがいないため、親戚に爵位を譲るか国に返上することになる。それでも法政界では名のある御仁で、金は多くないが名誉はあった。


 シーモア卿の境遇を調べると、若いころには結婚もしていたが死別している。娘がいたが、赤子の時点で亡くなっていた。その後はずっと独り身で、国家機関で捜査の仕事に身を費やしていた。仕事で体を壊していたようだが、リラと婚約し、仕事を替えてからは随分と健康を取り戻しているらしい。


 シーモア卿は特に得たものはないと言うが、体の健康はもちろん、精神的な面でもリラと婚約したことで落ち着いたのではないかと思う。それは、十分な利益と言えるだろう。


 シーモア卿に話を聞く際、リラとのことで苦言を呈される覚悟はしていたが、特に何を言われることもなかった。リラからの手紙は彼の事務所を経由していたため、こちらは破棄に合意していない旨だけは伝えた。


 そうかとだけ返された。




 8番目で、結果としてシーモア伯爵がなぜリラと婚約したのかがわかった。


 少し話しただけで嫌悪感を抱くようなバカマという準男爵の男だ。こちらが公爵家とわかると随分と態度を変えてきた。


「商人を通じてライラック男爵令嬢は幸運を呼ぶ女神だと話を聞いて、こちらから婚約を申し込みました。丁度婚約破棄をされた後で、貰い手もないだろう娘を引き取ろうとしたので随分と感謝をされました。だと言うのに、リラは捕まった従業員とどうも共謀をしていたようなのです。捜査官まで誑し込み、我々に罪を擦り付けようとしてきたので仕方なく婚約破棄をしました。おまけに違約金として慰謝料まで払わされて踏んだり蹴ったりでしたよ。あれはまた何か罪を犯したので捜査に来られたのでしょう? 咎人というのは一度の失敗程度では懲りないでしょうから」


 腹の立つもの言いだが、それで激昂する必要はない。


「なんでも婚約期間中に商船が沈んでしまったそうですね」


「えっ、ええ、ええそうなのですよ。幸運を呼ぶなどというはったりを真に受けた私もどうかしていたのでしょう。それに、婚約破棄された女というのは次の貰い先を見つけるのも大変でしょう。既に二十歳も近くなっていましたし、同情心もあって婚約したのが間違いでした」


「そうですか……婚約中に特段幸運はなかったので?」


「残念ながら、積み荷は海に流れてしまい、大きな損失となりました。よかった点と言えば、私の商会に隠れ不正をしていた従業員が見つかったことくらいでしょう。もちろん、私は何の関わり合いもありませんから類が及ばずに済みました。ただ、リラからはありもしない罪で脅され……大事にしようと思っていましたが、手に負えないと婚約破棄を」


「そうでしたか……。逮捕を免れたことはよかったですね。万が一があれば準男爵位も剥奪されていたでしょう」


「はは……そうですな。火のないところで煙を立てるものもおりますから」


 不愉快な面会を終え、再度裏を取らせる。


 リラがこの商人の準男爵と婚約している間、荷を積んだ船が沈むと言う大損害が出ていた。捜査機関がマークしていた船で、着岸と同時に捜索される予定だった。それを指揮していたのがシーモア伯爵だ。


 捜査資料にリラの名前は載っていなかった。店の金庫を預かっていた男が横領した罪で捕まったが、他に逮捕者は出ていない。その家族は逮捕時期に行方不明になっているという。


 伝手で確認した結果、船には違法薬物と武器が積まれていたとされる。沈んだ船は海流が荒い場所に沈み、引き上げは困難。証拠は全て屠られた。それでも捜査を強行したシーモア卿はその後、捜査機関を辞職している。表向きはその捜査の失敗の責任を取った形だが、同時期にリラと婚約をしていた。


 シーモア卿に聞きに行くことも考えたが、答えてくれるとは思えない。


 元従業員が、リラと思しき女性が監禁されていたと証言している。捜索でリラを発見し、何らかの理由で保護するために婚約したのだろう。そう推察すれば理解はできる。


 もし、船が無事であり、捜査が正しいものであれば、バカマ準男爵は逮捕され、爵位の剥奪どころか死罪となっていただろう。


 番頭が捕まっただけで、準男爵位を保ったうえに逮捕もされなかった。それだけで、幸運があったと言える。


 リラが信頼を寄せるシーモア伯爵と何があったのかは気にかかるが、それ以上にあの蛙のような準男爵がリラにどんな仕打ちをしてきたのか、その方が気がかりでならない。


 バカマ準男爵の屋敷でリラに助けられたという侍女が、リラは夜伽を拒んで反省部屋に入れられていたと証言している。あまり食事が与えられず、牢のような場を出された後は下女のような仕事をさせられていたと。



 報告を確認して、言い知れない怒りが湧いていた。



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