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24 名前


 クララが気合を入れて髪の毛を整えてくれた。久しぶりにアップスタイルにしたので首元がおぼつかない。服も外出用にモリンガ男爵夫人の店で作ったものだ。


 既に婚約して数か月ほどが経っていた。一応生活費分くらいは仕事をしているが、あまり働いていないので少し申し訳ない。


 週に一度は王宮に上がってリリアン様のところへも行っている。これに関しては、授業料の部分だけはきっちり準男爵としてお給金をもらっている。そこからクララにお給金も払えている。


 お昼過ぎから、シーモア卿の元へ行き、書類を確認してもらった。確認料金は公爵家持ちである。


「甘いものも食べられると聞きましたから」


 そう言って、案内されたのは洒落たカフェだ。


 昼食は食べて出ているが、シーモア卿のところに少し長居したので小腹が空いた頃ではあった。


 カフェと言っても、公爵家が外出時に使う場所だ。私がたまに行くような庶民的な場所ではない。明らかに高級店だ。正直肩が凝るが、それが婚約者として求められているならば同席くらいはしよう。準男爵が使う宿に付属した食事処を公爵家が使えないことくらいは理解している。


 作法の行き届いたウェイターについていくと、半個室のような席がある。そこからは中庭がよく見えた。婚約中とはいえ、完全な個室に男女二人は外聞が悪いので、このような作りなのだろう。


「ここにはよく来られていたのですか?」


 慣れた感じでティーセットを頼むのを見て問いかける。


「……実は、女性が喜ぶ店を知り合いに聞きまして……」


 少し気恥ずかしそうに返された。


「前から思っていたのですけど、レオン様は女性慣れしているのか、苦手なのか、判断がしきれないのですが」


「慣れているように見えますか?」


 慣れているかと言われれば、慣れていると思う。だが、私への態度はどこか初々しいところがある。


「まあ、殿方は色々と場がありますから」


 別に女性のお店に通っていても不思議はないだろう。貴族男性向けの高級店もある。そういう店に通うことを紳士の嗜みと宣うものもいる。


「そういえば、この歳までご婚約者がいなかったのですか?」


「お恥ずかしながら。候補のご令嬢はいましたが、どうも……相性が悪い方ばかりで」


「まあ、貴族令嬢は中々怖いですからね」


 全員が酷いとは言わないし、いいご令嬢もいる。だが、女の社交はかなりどろどろとしている。優しいだけでは食い殺されるので強かさも必要になってしまう。


 公爵夫人の座を得るためならば、何をしてでもと、一部の家は考えるだろう。王族に次ぐ公爵家は多くはない。


「リラ殿は私の知る令嬢達とは違い、優しい方だとは存じています」


「優しくはないですよ」


 どこを見ればそんな評価になるのか。


「私から見たリラ殿は優しい人ですよ。まあ、甘い人ではないのでしょうが」


「レオン様は、他の方とは変わった視点をお持ちなのでしょうね」


「目の付け所がいいんでしょう」


 節穴だと言ったつもりだが通じていない。これでよく公爵家の跡取りでいられたものだ。


 そんな話をしていると、注文していたティーセットが並べられる。


 とても可愛らしいアフタヌーンティセットで、三段の皿には小さなケーキだけでなくサンドイッチや小さな皿に盛られたオードブルもあった。


 注がれたお茶からはとても華やかな香りかした。


「これなら、色々とありますから。リラ殿に気に入ってもらえるものもあるかと」


 食べられないものは特にない。公爵家で出されたものは毒さえなければ基本的には口にしていた。


 以前、ブルストとエールを用意してくれた。たまに昼食の一品としても手配してくれている。あれが好物だとは理解してくれているのだろうが、他の趣向はわからなかったのだろう。


 そう考えると、品数が多いセットを選んだ理由も頷ける。若干押し付け気味ではあるが、こちらのことを考えてくれているのは伝わってくる。


「わざわざ、そこまで気を使わなくてもいいのですよ?」


 今日の外出も、必要だったのかといわれれば疑問だ。婚約者候補だった相手に諦めてもらうために連れ歩いて事実を公表したいのかもしれない。もしくは意中の女性をやきもきさせるための当て馬として使われているのか。


「迷惑でしたか?」


「………迷惑とまでは」


 なんというか、気まずい。


 これまで、結婚を前提とした婚約者として接してきた相手は何人かいた。中には友人のような良好な関係を築けていたものもいる。だが、貴族としての義務としての関係で、恋愛ではなかった。尊重してくれていても、こういう扱いはあまりなかった。


 そもそも、私を優しいと表現する時点で、何か誤解をしているか理想を勝手に作っているのだろう。


 いずれは、それが妄想だと気づき、幻滅することになる。


 用意されたセットは、悶々とする中でも中々の美味だった。もう少し濃い味でもいいが、貴族には健康ブームが来ているのでやや薄味が流行っている。中でもアーモンドのタルトが特によかった。それに紅茶の入れ方は習いたいほどにおいしかったが、教えるのはやめておいた。


 この後は貴族の集まりの一つである音楽サロンへ寄ることになっている。あまり大きなものではない趣味の集まりの延長だ。趣味と言っても金があるのでかなり高尚なものだ。


 時間も丁度よくなったので店を出た。


 婚約破棄が度重なる前は、婚約者と出かけたこともあった。それでも何か目的があったり用事のついでが多かった。今回は、ついでに用事は済まさせてもらったが、相手の用事のための外出ではなかった。


「その……手を繋いでも?」


 カフェからサロンまでは馬車ではなく歩くことになっている。それほどの距離ではないが、普通の上級貴族ならば馬車を使うところだ。その道のりで、そんな事を問われた。


「…………まあ、いいですが」


 差し出された手にエスコートされる時のように手を乗せる。そのまま握って一緒に歩くことになった。


 エスコートのために手を取ることはあった。だが、まるで……平民の恋人がするように手を繋いで誰かと歩いたことはなかった。


「本当に、変わってますね。ビールをかけたのが私の本性ですよ」


 男爵家ではあるが、幼少期はむしろ下町の子供のような生活をしてきた。だから、素の私のガラは結構悪い。田舎育ちのリリアン様と気が合うのもそういうところからだ。リリアン様を可愛いとは思うが、慈悲で優しくしているわけではない。


「正直言って、驚きました。まあ、あれはこちらが全面的に悪かったので」


 困り気味の苦笑いを返された。正直、公爵家の跡取りに準男爵がそんなことをしたら爵位が取り上げられても文句は言えないし、貴族社会では生きられなくされても不思議がなかった。今思えば肝が冷える。


「婚約から、一年後、リラ殿が私のことを少しでも好きになっていたら、正式に婚姻し、それから結婚式の準備もしたいと考えています」


「………私が好きになる必要はないのでは?」


 貴族の結婚に恋愛は必須ではない。


「もし、全く興味がないままなら、こちらから婚約破棄をして、違約金も支払います。新しく、契約書を作っても構いませんよ」


 少し茶化すように言っているが、握った手はいやに熱かった。


 公爵家を継ぐものは、本来私のような下級貴族を嫁になどしてはならない。平民が王子様に認められ幸せに暮らしましたと言うのはおとぎ話か、女性が聖女だった場合のみ許されることだ。聖女様ですら、多くの義務が圧し掛かる。


 それでも、彼は本気で私のことを娶ろうとしているらしい。


「あの……お名前、なんでしたっけ」


 間抜けた質問に、レオンは微笑む。


「レオン・ソレイユですよ」


「………」


 少し見上げた位置にある顔。濃い茶色の瞳と、きらきらとした髪。私は、興味のない人間を覚えられない性質だ。これまで、彼のこともどうせすぐ婚約破棄となる金ずるとしか思っていなかった。


 今更、こんな顔をしていたのかと、思ってしまった。


「できれば、リラ・ソレイユになって欲しいと思っています」


 レオンがまっすぐにこちらを見て、そういった。





リラパートの地の文では、リラの一定基準を超えた人しか基本名前を出せないので、ここまでレオンの名前が基本出せなかったのが辛かった(笑)。

ようやく名前を考えてもらえる程度に意識されるようになりました。


会話で名前を呼べるので固有名詞としては名前を憶えています。

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