19 聖女 リリアン・ローズ
王宮にある温室にテーブルと椅子を置いてのお茶会だ。
リリアン様のための社交の練習として私以外のご令嬢も招かれている。その後、反省会として二人でお茶をする予定だ。
むしろ、お茶会の後、私が反省する事態になりそうな気がしている。
ここにいるご令嬢は伯爵以上の出身ばかりだ。名前を覚えるのが苦手であるのは王宮では知られているので、カンペを用意してくれている。
一先ず、彼女たちは私がもと王太子の婚約者であると知っている。あの場にいたものもいるらしい。そして、呼ばれたとしても本当に来るなんて恥知らずだということを、遠回しに話している。
私もそう思う。
微笑みを崩さないまま、時折お茶を口にするだけにとどめる。甘い菓子も置いているが、おいしく食べられる自信がない。
「それにしても、リリアン様はまだお見えになられないのですね」
「お優しい方ですから、気にされてくることができないのかもしれませんわ」
リリアン様は色々と勉強をさせられている。それはもう可哀そうな状況だ。今日も予定が押して、多少削っても問題がないとこの時間を使われているのだろう。
彼女の境遇を想えば、私などかわいいものだ。
「聖女様のお役目の中、王妃教育も受けられて、リリアン様には頭が上がりませんわ」
「わたくしたちのような上位貴族であっても、王妃教育となれば息をつく間もないでしょう。それにあのようにお若いというのに」
褒めているようだが、中身としては、あんな田舎者の平民上がりのような者に、王妃が務まるわけがない。聖女としてだけ過ごして王妃の座は私のような女性に渡すべきだということである。
王族と結婚せずとも聖女様は王と並ぶ権力を持つ。王妃になれば政治に対しても権力を持てる。なので、直接的に文句は言わないが、ぽっと出の女が気に食わないのは隠しようがない。
「そういえば、リラ……準男爵令嬢は、リリアン様とご面識がおありでしたかしら。わたくしたちは、何度かお茶会に呼ばれているのですよ。とても物静かで思慮深いかたですの」
話しかけられたので高級カップの模様を視線でなぞるのを止めた。
「ええ、幸運にも直接御目通りする機会を頂いております」
「まあ、リリアン様は本当にお優しいのですね」
「リリアン様のご慈悲にはブルームバレー国の国民として常に感謝しております」
準男爵と言う爵位を賜った時点で、この程度の扱いは覚悟している。それでも欲しかった自由だ。
平民にも種類はあるが、生粋の平民は貴族にとっては家畜のような存在で弄る対象にもならない。貴族の子息だが、平民になったものでようやく人間として認識される。ある意味で貴族であって貴族でない準男爵は、いじめるのに最適な存在なのだ。
「まあ、国民としての意識がおありでしたのね」
「聖女様は農奴であっても国民だとお認めになられるほどお優しい方ですから、リラ準男爵もそのような心持でいられるのでしょうね」
幸い、この手のことでは魔力があふれ出ることはない。
ねちねちと、長年貼り続けたテープよりもべた付いた会話を聞きながら、これを勉強の一環として覚えなければならないリリアン様に心の底から同情した。
無論、王太子と結婚せず、一生を清い身のまま聖女として生きることもできるが、リリアン様と王太子のマリウス様はとても気が合っている。このまま王妃になるならば、聖女としてだけではなく王妃としての役割も学ばなくてはならないのだ。
私のように婚約破棄の希望はないのだ。同情する。
チリンと鈴の鳴るようなベルの音の後、温室のドアが開いた。白薔薇と評したいような美しくて可憐な少女がお付きの侍女と共に入ってくる。
全員が礼儀として立ち上がり、こちらに来るまで頭を垂れて待っている。流石に上位貴族。礼儀作法だけは完ぺきだ。
「リラ?」
あまり深く頭を下げずにリリアン様を見ていると、彼女もこちらに気づいた。それまで、貼り付いたよう微笑みだった顔に大輪の笑顔が浮かぶ。小走りにこちらにやってくるので慌てて前へ出た。この後の結末は知っている。
案の定、一段高くつくられたお茶会の場に上がる際にひっつまずいて転倒する。それを、がしりと抱き留めた。
「リリアン様。走ってはいけないとお教えしたではありませんか」
「えへへ。リラが来ているなんて聞いていませんでした。幻なら、消えてしまう前に捕まえなければと思ってしまったのです」
「御覧のように実在していますからご安心ください」
貴族令嬢としては大変にはしたないが、ぎゅーっとそのまま抱き着いてくるリリアン様の頭を撫でる。キラキラの銀髪は、王城に来てから磨かれより光り輝いている。
「リリアン様、ご挨拶をしないと他のご令嬢が座れませんわ」
「まあ、他にもご令嬢がおられたのですね。目に入っておりませんでしたわ。皆様、はじめまして、リリアン・ローズです。どうぞお座りになって」
「お、お会いできて光栄ですわ」
身分が上の貴族が、初めましてと初対面以外で言うのは、前回は会う価値もなかった相手だから忘れてしまいましたと言う意味もある。何度か茶会をしていたようだが、本当に忘れているのでなければ、かなり下げた発言だ。
「リリアン様、よろしければこちらのお席にどうぞ」
この中で一番身分の高い侯爵令嬢が自分の隣の席を示す。私は座席のカンペをもらっていたので知っている。彼女はあえて元々リリアン様が座る席に座っていると。そして、自分が座るべき席を勧めているのだ。つまり、聖女であろうとリリアン様が格下だと示したいのだ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、本日はリラが来てくれているので、彼女の隣に座りますわ。リラは、どちらがいいかしら?」
とてもかわいい顔で見上げてくる。
「……あちらの席でしたら、リリアン様のように美しいバラを見ながらお茶ができると思います。本日は、王妃様は公務でお茶会には参加できないと伺っていますから、あちらの席に座られても問題はないかと」
最上座は茶会の席では基本空けておく習わしがある。王妃がいつでも参加できるようにという習慣で、そこに座るのは、無知か無礼者か、王妃が次期王妃と認め許可している者か、はたまた聖女かだ。
王妃様も、当初は聖女様に対して少し不満があったようだが、今では次期王妃に相応しくするために教育に力を入れている。
「あら、王妃殿下は参加されないのですか。せっかくリラが来ているのに残念ですわ。ああ、侯爵令嬢、申し訳ないのですけれど、そちらの席をリラに譲っていただけるかしら」
「で、ですが……リラ男爵令嬢の席はあちらに準備されておりますわ」
下座は確かに私の席だ。まったくもって順当な座席である。むしろ、別席を用意されていただけ優しい。
「あちらでは、わたくし大きな声を出さなければならないでしょう? ずっと隣に立たせるなどできませんし、丁度隣の席が一つ空いていますもの。問題ありませんでしょう」
本来の席に戻るだけなのだから文句もないだろうとリリアン様がいう。
「そうですわね」
引き攣りながらも席を譲る。メイドが素早くカップの場所を変え、席を整えてくれた。
「どうぞ、リラ、お座りになって」
リリアン様の席を引いて先に座らせてから、リリアン様の指示に合わせて着席する。
「リラ準男爵は、リリアン様と随分と仲がよろしいのですね」
まだ気力があるらしく、話しかけられる。あまり礼儀作法としてはよろしくないが、リリアン様に直接話すのではなく下位の私に話しかけるのだから間違ってもいない。
「リリアン様はとてもお優しく、心が広いお方ですから、身分制度という小さなこだわりよりも大切なものをご存じなのです」
「まあ、心が広いというのはリラのためにある言葉だわ。聖女という大役に押しつぶされてしまいそうなとき、常にリラは私のそばにいてくれましたもの。わたくしのせいで、王太子殿下との婚約を破棄させてしまったというのに、どうしてそのように広いお心でいられるのですか?」
「そのように仰っていただけるだけで、光栄でございます。殿下との婚約自体、わたくしにはとても耐えられないような重圧でした。何よりも、これはとても不敬なことでございますが、わたくしにとっては私と王太子殿下との婚約よりも、リリアン様の幸せの方が余程大事な事であったのです」
きらきらと、二人だけの世界が出来上がる。
私がいない間、どれだけ努力してきたのだろう。
直接的には褒めていても、裏を返せば侮辱をしている会話。それをずっと耐えて、観察してきたのだろう。
「このように楽しそうなリリアン様は初めて拝見いたしましたわ。元婚約者であるリラ男爵令嬢にまでこのように優しいなんて。流石は聖女様ですわね」
ここでの茶会の会話は全て記録されている。声が通りやすいため、植物に隠れた位置に書記官を置いている。書記官がメイドの恰好をしているので、存在がばれても怪しまれない。
普段私たちとは話さない癖に、同レベルの方相手でしたらお話しできるのですね、と翻訳できれば及第点をもらえるだろう。
「どうしても、初対面の方には緊張をしてしまうのです。これから、お会いする機会があれば、他のご令嬢ともお話ができるようになるかも知れませんわね」
王宮に入ったころは、メイドにすら馬鹿にされていた少女が、とても完璧な返しをしている。
上位者には上位者の戦い方がある。地位が高くとも、舐められれば格下として生きなければならなくなるのだ。
リリアン様が来てからの茶会は他の令嬢がとても気まずい雰囲気のまま進んでいった。
地位の低い貴族がこういう茶会で生き残る方法はただ一つ。上位貴族の庇護下に入ることだ。お友達の権力はその場では私の権力になるのだ。
カードゲームと同じで、単体では弱い手札も、他と合わせれば効力を発揮することがある。




