100 二番目の婚約者 前
何か理由を付けずにリラと一緒にいられる口実ができたのは嬉しいが、リラは特に意識していないのか、大使館にあったルビアナ国の資料を読んでいた。
「リラ殿……実際の謁見まではどれだけ早くとも数日はかかるようですから、実際に街を見てみませんか?」
到着後、翌日は旅の疲れもあるだろうとそっとしていたが、二日目の午前も黙々と読書を続けているので声をかけてみる。
「……街歩きですか?」
「はい、どこか見てみたい場所などはありませんか?」
リラはあまり貴族令嬢らしい場所を好んでいないので、突飛な場が出るのではないかと少し心配しながらも問いかける。だが、予想外に普通の場所が出た。
「では、宝石店へ行きたいです」
「宝石ですか……」
「はい、公爵夫人にはたくさん贈っていただいたので、折角宝石が特産の国に来たので、あまり高いものは買えませんが、何かお返しをと」
理由を聞いて納得する。
「わかりました。では、手配をしておきます。昼食後にでも出かけましょう」
俺だってリラに贈り物をしたいが、金で物を言わせたようなことをしては嫌われる気がして控えてきた。母達のそれは、公爵家としての品位を保つためという名目がある。それを俺がやると、嫌味にしかならない。
昼食後、宝石店へ向かうことにした。事前に大使から紹介されていた店で、購入はできないが魔法石も所有しているということなので見せてもらうこととなっていた。予定を少し早めた。
「もっと困窮しているかと思いましたが、思ったよりも安定していそうですね」
馬車から景色を見ていたリラが言う。
「……戦争で負けた国が、むしろ豊かになることがあります。それと似た作用があったのだと」
リラが少し考えて、ああと納得した声を上げた。
「老人や弱者が流行病で亡くなったからですか……」
リラは一言えば推察してくれるので全て教える必要がない。
「はい。無論、すべての人が健康で穏やかに過ごせればいいですが、所詮は理想論です。労働に向かないものが増えればそちらに回す税が増えますし、人手も割かれます。それらのどちらも浮き、別の事業に資金を回せるようになれば、発展や復興はしやすくなりますから」
酷い話だ。だが、奇麗ごとだけで済ませられる楽園のような場所は地上にはない。
流行病が収束してから経済的にかなり建て直している。魔法石に関してもそうだが、外交先としてはよく考えなければならない相手だ。
目的の店に着くと、すぐに店先に店員が並んだ。なんでも跡取り娘の婿がブルームバレーの出身らしい。なのでその国の公爵位である俺たちにもかなり仰々しい態度なのだろう。
リラをエスコートして馬車を下りると、三十ほどの女性が深く頭を垂れた。
「タイガーアイ宝石店へ本日はようこそお越しくださいましっ……た」
深く下げた頭を上げた時、盛大に噛んだ。失敗に対してか、さぁっと青い顔になる。
「あ、あの、まずは奥でご、ごせ、ご説明をさせて、いただいてもよろしいでしょうか」
明らかに震えた声になりだしたことで、一緒に迎えに並んだ店員が少し困惑している。
噛んだ程度でどうこうという訳ではない。怯えるような態度に少々不快に思いながらも案内された部屋へ向かった。予定では先に店先の装飾品を見せてもらう予定だった。
室内に入ると、他の店員は入れず、女性がいきなりその場でうつ伏せに寝転がった。
「申し訳ございません。申し訳ございませんっっ」
メイドが一歩前に出てリラの前で安全を確保する程度に可笑しな事態だ。
「ご婚約者様を奪った上に、のうのうと生きていて申し訳ございませんでしたっっ」
事情を知らない侍従がぎょっとした顔でこちらを見た。違う、俺のことではない。だが、何人目かはこれだけではわからない。
なんとも異様な状況の中、リラは暢気に首を傾げた。
「土下座という謝罪があることは聞いたことがあるけれど、それよりも深い謝罪を示すための五体投地……、そこまでされることを、私はされたことが?」
「え、あの……お忘れですが?」
困惑した顔で、謝罪をしていた女性が顔を上げた。
「謝罪の理由を教えてくださいませ。あと、見下ろすのが疲れるので普通に座って話しましょう」
言いながら、リラはソファ席に腰掛けた。
想定していない対応なのか、唖然としながらも女性が立ち上がる。向かいの席ではなく、床に正座した。
「その、わたくしはタイガーアイ宝石店の跡取り娘、クロシラです。夫は……リラ様のご婚約者であったシャトンシーでございます。駆け落ちし……結婚までしてしまったのです。お怒りはごもっともですっ。何の筋も通さず、子供まで授かり……けれど、どうかご寛恕くださいませ。悪いのは全て私です。私が彼を誑かしたのです。どうか、どうか家族にはご容赦を」
その場で再び頭を下げるのを見ながら、リラが腕を組んだ。
「リラ様、二番目では?」
こそりとザクロが耳打ちすると、何か思い出したようにああと声を上げた。
「よく知っていましたね」
「最低限の情報は頂いております。ご本人がお忘れとは思いませんでしたが……」
つまり、二番目の婚約者はリラを置いて駆け落ちしたのか……。
「そのことは、忘れるくらい特に覚えていませんから、頭を上げてください。それに、あなたの謝罪を聞くよりも、今日は贈り物用に宝石を見に来たのです。そちらの仕事をしていただいても?」
「え、あ……ですが、泥棒猫と罵るためでは?」
「? 猫は嫌いではないですけど」
やられた側は一生忘れないというが、リラは理解できないように首を傾げた。
「もう一度だけ、言いますが……こちらには宝石を見に来たので、興味のない謝罪が続くようでしたら別の店に行きます」
「いえ、いえっ……すぐにお持ちします」
立ち上がると一度こけながら走って去っていく。
「これなら……私の予算内でもいいものが買えそうですね」
値引きをさせるつもりなのか、リラがにやりという。過去、婚約者と駆け落ちした相手を、そんなことで許してしまうのかと不安になる。自分も同じただの婚約者と言う立場だ。リラからみればその程度の価値しかない可能性がある。
「失礼しました。まさかリラ殿と関係のあるものの店とは知らず」
「いえ、世の中狭いものだと驚きましたが、少しほっとしました」
リラが暢気に言う。
「二番目の方に関しては、本人が行方不明になってしまって、家の方も大変に困っていましたから、当時は私の所為でこんなことになったのではと落ち込んだんです。ご実家の方は商売がうまく行っていたので良かったですが、元婚約者がどうなったのかはわかりませんでしたから。……この店を見るに、ある程度成功はしていそうですね」
上流階級向けの客対応の部屋は、かなり金をかけた作りをしている。掃除も行き届いているようで、困窮はしていないだろう。
「戻ってから、詳しく伺っても?」
過去の男について根掘り葉掘り聞くのは狭量の極みだが、隠れて調べるよりもいいだろう。
「まあ、あまり話すほどのこともなかったですが……」
リラからすれば、本当に取るに足らない話なのかもしれないが気になるものは気になる。
そんなことを言っていると、廊下をかけてくる音がした。ドアの前でぴたりと止まった後、静かにノックがある。複数の足音だったので、周りが警戒している。
返事を返すと、三十ほどの男と五十ほどの夫婦が立っていた。見るからに、ここの店主夫妻とリラの元婚約者だろう。
部屋に入ると、三人がとてもきれいに地に頭を付け出した。
「謝罪を始めれば、帰ります」
リラが謝罪の言葉を言う前にぴしゃりと言うと三人が固まった。
被害者が謝罪などいらないと言う悲痛な意味ではなく、ただただ面倒くさいのだとわかる。
「先ほど謝罪はしてもらっています。それに、私の中では終わったこと、新しい婚約者の前で、そのようにされても私の恥の上塗りになるだけです」
リラが、毅然とした態度で答えると、母親からおずおずと立ちあがりだした。
「リラ様のご事情も考えず、先走った真似をいたしました」
「いえ、これから宝石を見せていただきますが、気まずいようでしたら従業員に任せていただいて構いません」
「リラ様にお許しいただけるのでしたら、娘のクロシラに対応を任させていただきたいと。あの子は、宝石や魔法石に関しては誰よりも勉強し、常に最新の情報を学んでおります。きっとお役に立てるかと」
「わかりました。プロとしてお願いします」
娘が寝取った男の元婚約者が、まさか公爵家の婚約者としてやってくるとは思わなかったのだろう。他国とはいえ、宝石商ひとつを路頭に迷わすくらいうちは簡単にできるので恐怖するのも理解できる。
「リラ……様、その、あの家に置き去りにして、申し訳なかった」
立ち上がったリラの元婚約者が深々と頭を下げた。
「……あなたとは、きっと幸せにはなれなかったでしょうから、結果としてお互いによかったと思っています」
強がりというよりは本心から言っているのだろう。
そうしている間に、クロシラが宝石箱を抱えた従業員を連れて戻ってきた。




