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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第二章 万事喧騒 壱

 どれほど眠っていたのだろうか。タイコウは全身を揺する不規則な振動で目が覚めた。


 目を開けた最初に彼の視界に入ったのは少女のあどけない顔。それ以外は何も目に入らなかった。それぐらい近くで少女がタイコウの顔を覗き込んでいるのだ。


 じっとタイコウを見る少女の大きな瞳の中に狼狽する自分の顔が見えた。


 どうしたものかわからず動けないタイコウをしばらく見ていた少女は、彼に向かって不意にニカッと笑う。


「おはよー」


「お、おはよ」


 無邪気な声に思わず挨拶を返すと、少女は嬉しそうな笑みを浮かべてタイコウから視線を外して立ち上がった。


「おトさん、おカさん。おニーちゃ、目ぇ覚ましたよぉ!」


 舌足らずな喋り方で少女が言いながら視界から離れる。


「これ。お兄ちゃんは起きたばっかりなんだから、そんな大きな声出したらビックリするだろう」


 はしゃぎながらピョンピョンと跳ねる少女を女性が嗜めると、それさえも嬉しいようにエヘヘと笑う。


 無邪気な視線攻撃から開放されたタイコウは起き上ろうとしたが、力が入らない。仕方なく頭だけ動かして周囲を見回した。


 周りは葛篭や木箱で囲まれ、自分が寝ているのは藁の上。荷物の隙間から見える木枠から察するに、どうやら馬車か何かの荷台に乗せられているらしい。


 視線をさらに巡らせると、御者台に座る夫婦と彼等の間に身を乗り出して、双方を見比べる少女の後姿があった。


「すまないね。リホウが……ああ、この子の名だけど、リホウが驚かせちまって」


 振り返った母親が荷台のタイコウに謝る。


 確かに驚きはした。だが、謝られるほどのことでも無い。


 タイコウは「いえ」と否定しようとした。だが、その言葉は喉につっかえたように途切れる。


 喉が渇ききってしまっているようだ。


 タイコウは返事する変わりに微笑んで首を振って見せた。


「ほれ、リホウ。ちゃんと謝んなさい」


「ごめんなさぁい」


 少女リホウの謝罪にも同様の返事をしてみせると、リホウはまた嬉しそうな笑顔を作ると両親の服を握りながらピョンピョンと跳ねた。


「こらこら、袖を引っ張んなよ、リホウ。そうだ、兄ちゃん。腹は減ってねぇかい?」


 御者台で手綱を持つ父親が少しタイコウを見て問いかける。


 この返事もうまく声に出せず、今度は頷いて見せる。


「おトさんおトさん、おニーちゃ、お腹空いてるんだって」


 すでに手綱に視線を戻している父親に、リホウがタイコウの意思を伝えてくれた。


「だよなぁ。あの倒れていた様子じゃあ、腹が減って野垂れ死にする寸前って感じだったものなぁ」


「まったく縁起でもない事を言うもんじゃないよ、アンタは」


 ガハハと笑う旦那の後ろ頭を、妻がペシッとはたく。


「冗談は置いといて、腹が減ってんなら何か食わなきゃな。リヨウ、確か籠の中に饅頭があっただろ」


「あるにはあるけど、この様子じゃ喉を通らないんじゃないかい? リホウ、そこから水飴をお出しよ」


「あい、おカさん」


 元気良く返事をすると、母親リヨウの指差す木箱へトトトと駆けた。


 木箱の前に立った少女は、自分の背丈ほどもある木箱を相手に苦戦しつつも「ヨイショヨイショ」の掛け声と共になんとか蓋を開けた。


 そして、箱から壺を取り出し、慣れた手つきで棒に水飴を巻きつける。


「おっと、その前に水だったかね」


 母親の言葉に、隣に座る父親は周囲をゴソゴソと漁りながらリホウを呼んだ。


 父親から渡された竹細工の水筒と水飴をすくった棒を両手に、少女はタイコウの元に駆け寄る。


「あい、おニーちゃ」


 ニコニコと微笑みながら水筒を差し出すリホウ。タイコウは重い腕を持ち上げると、それを受け取り自分の口元へと運ぶ。


 口の中に一気に広がった水筒の水が、枯れていた渇きの記憶さえも潤したのか。タイコウの喉は水を欲し、流れ込む水を飲み干していく。ただ、彼の喉が砂漠のように渇いていたとは言っても、流れ込む水量には限界がある。傾けすぎた水筒の水は勢い良く流れ込み、流れどころが悪かったらしくむせ返った。


 咳きこむタイコウの様子を見て、父親が再びガハハと笑う。


「喉が渇いているのはわかるが、無茶な飲み方しちゃいかんぞ、兄ちゃん」


「ハハハ、アンタに無茶な飲み方を注意されちゃあ、たまんないよ」


「バカ言え、水は水、酒は薬だ。俺は水の飲み方を説いたまでだ」


 堂々と言い張る男の後ろ頭を、またもやリヨウがはたく。


「そういう屁理屈をこねるんじゃないよ」


「まったくポンポン叩くなってんだ。バカになったらどうすんだ」


「叩いてるうちに、そのバカな頭も治るだろうよ」


 どうも二人は終始こんな調子らしい。


 リホウは二人の言い合いをさして気にも止めず、タイコウが返した水筒を受け取って今度は水飴を手渡す。


 潤ったばかりの口の中に入れた水飴はとにかく甘かった。


「ありがとう。えーっと、リホウだったね」


 お礼を言うとリホウはまた嬉しそうに笑い、跳ねるように両親のもとに駆けた。


「水と水飴、ご馳走様でした。えーっと……」


「俺がリブンでこっちの暴力女が……」


 そこまで言いかけたリブンの後ろ頭をリヨウがはたく。


「私は、何の因果かこのバカ亭主の女房をやるはめになったリヨウってんだ」


「ありがとうございます、リブンさん、リヨウさん」


「どういたしまして兄ちゃん。それで、兄ちゃんの名は」


 リホウから返してもらった水筒を呷りながら父親リブンが問いかけた。


「タイコウと言います。ああ、そうだ。倒れていたところを助けてもらったお礼も」


「それはリホウに言ってやってちょうだいな。森の中で倒れていたおまえさんを、この子が見つけたんだよ」


 リヨウは言うと娘の頭を撫でた。


「助けてくれてありがとう、リホウ」


「どういたまして」


 礼を言うタイコウに、リホウも挨拶を返すとリヨウを見た。


「おカさん、ありがとうって」


「ああ、リホウはいい事したんだよ」


 そう言って母親が微笑みリホウの頭を撫でると、リホウは嬉しさに感極まったのか母親にギュッとしがみ付いた。


「それにしても……あー、タイコウだったね。タイコウ、なんでまたあんな森の中に倒れていたんだい?」


「樹木子とかいう木の化け物に襲われてしまいまして」


「化け物に?」


 リヨウより先に驚いた声を上げたのは父親のリブン。


「化け物に襲われて、よくまあ大した怪我も無く逃げられたもんだ」


「いえ、逃げられなかったです」


「じゃあ、倒したってのかい?」


 今度はリヨウが驚きの声を上げる。


「え、ええ」


「こいつは驚いたな。いやな。おまえさんがいったい何者なのかって、さっきまでみんなで悩んでたんだよ。行商人にしちゃあ、持ってる荷物が少ない。錫杖を持っているわりには僧侶にゃ見えない。刀を持っているとしても、浪人にしては握っている錫杖が不釣合いになるってな。化け物退治をやってのけるってことは、タイコウは道士様だったわけだ」


 リブンの言葉に、タイコウは疲労感も忘れてガバッと起き上がった。


「雪割り!」


「ひゃっ!」


 いきなりタイコウが大声を出し、リホウが驚いて母親の下に隠れようとした。


「あっと、驚かせてゴメンね、リホウ。リブンさん、雪割りを見ませんでしたか?」


「雪割り……雪割り草のことかい?」


「草はそこいらに生えちゃいるが、生憎と草の名前まではわからねぇからなぁ」


 タイコウの慌てた様子に、リブンとリヨウは顔を見合わせ首を傾げた。


「えっと、そうじゃなくって。雪割りというのは師匠が、雪割りて新芽拭き桃花咲き溢れるという言葉から付けた名で……」


「カチ割りて白目剥き豆腐湧き溢れる?」


 言葉をなぞり損ねるリブンに、タイコウは軽く溜息をついた。


「雪割りて新芽拭き、桃花咲き溢れるです。これぐらいの刀なんですけど」


「ああ、あの刀の事かい。その刀なら、あんたの荷物と一緒にそこに置いてあるよ」


 リヨウが指差す方向にタイコウの鞄、雪割りと魯智も置かれている。


 それを確認して安心したのか、安堵の息とともにタイコウの体の力が抜けて再び藁の中へ倒れこみそうになった。


「良かった」


「随分な心配のしようだね。あの刀はそんなに高価な物なのかい?」


「そりゃあ、大事だろう。化け物を切っちまうような代物なんだからよ」


 リヨウの問いに、リブンはさもわかっていると言わんばかりにうんうんと頷く。


「うーん、値段はわかりません。それと、雪割りで切ったわけじゃないので、凄い刀なのかどうかもわからないです」


 タイコウがそう答えると、リヨウはリブンの後ろ頭をはたく。


「タイコウはあの刀で化け物を切っちゃいないって言ってるじゃないか。まったく、何が化け物を切っちまうような代物だい、知ったかぶりして。……切らなかったのかい?」


 信じられないという表情でタイコウに聞き直すリヨウ。


「ええ、はい」


「じゃあ、いったいどうやって化け物退治をしたんだい?」


「魯智の……錫杖の方で」


「こいつは驚いた」


 信じられないと魯智の方を見るリヨウの隣でリブンが笑う。


「錫杖で殴り倒しちまうとは、これはまた豪快だな」


「いえ、殴り倒したわけでもなく」


 再びリブンの後ろ頭がペシッと音を立てた。


「早とちりしてんじゃないよ、アンタ。それにしても切ってもいない、殴ってもいない。タイコウ、あんたいったいどうやって化け物を倒したんだい?」


「その……錫杖の先から光る矢が飛んで、それが化け物に当たって」


「おお! 法力ってヤツかい? そんな力を使うとは、さっすが道士様だ」


「いや、僕は道士じゃないです」


「この知ったかぶりの早とちり!」


 タイコウが目を覚ましてから何度目かのリヨウのビンタがリブンをはたく。


「でも、そんな不思議な力を使ったら道士だと思わなくもないわねぇ」


「人の頭叩いてから納得するなよ」


 後ろ頭をさするリブンの苦情を無視して、リヨウは話を続ける。


「それで、剣士でも道士でもないのに、化け物を倒しちまうタイコウは何者なんだい?」


「鍛冶屋です……いや、鍛冶屋見習です」


「鍛冶屋?」


「ええ。見習ですが」


「あの鍛冶屋かい?」


「たぶん、その鍛冶屋ですよ」


「おカさん、カジヤってなーに?」


 三人のやり取りを聞いていたリホウが、母親に疑問をぶつけた。


「鍛冶屋ってのは、熱ーい鉄を槌で叩いて伸ばして包丁とか刃物を作る人のことだよ」


「そう、その鍛冶屋。ここから西に行ったレイホウという山村で、鍛冶屋を営んでいるオウシュウ先生の弟子をやってます」


 頷く青年を見ながらリブンが首を傾げる。


「にしてもなんでまた、その鍛冶屋の見習いさんが森の中にいたんだ? レイホウって言やあ、ここまで物見遊山で来るような距離じゃねぇだろう?」


「そこはそれ、首都でやっている例のおふれが絡んでんじゃないかい? 化け物退治しちまうような御仁なんだから」


「妖かしを退治せし者、退治する品を広く募集するってアレか?」


「確かにその募集ですが、退治屋募集じゃなく退治する品募集の方。僕は雪割り……あそこの刀を献上するためにコウランに向かっていたんです。化け物を退治したのは偶然で、僕なんかが退治屋をやるなんてとてもとても」


 タイコウは首を横に振りつつ、手をパタパタと振りつつ否定する。彼のその素振りが面白かったのか、リホウも真似をして首と手をパタパタやりだした。


「あなた方に助けてもらわなければ、僕はあのままあの森で野垂れ死にでした。そうだ、何か御礼ができればいいんですけど」


 その言葉にリブンとリヨウは顔を見合わせて、どちらからとも無く笑い出した。


「本当に気にすることは無いよ。困った時はお互い様っていうだろう」


「しかし……」


「お礼に何かよこせったって、お上に献上する刀なんぞ貰っちまうわけにゃいかねぇし。他の何かと言ったって、そんな高価な物はないだろうし。見たところ、タイコウも俺達と同じで裕福な生活は送ってねぇだろ。タイコウが鍛冶なら、俺達は家計が火の車の火事だ。ワハハハハッ!」


 言って一人馬鹿笑いするリブンに、リホウは首を傾げて問う。


「おトさん。うちはカジヤじゃないよ?」


「あー、つまりだな……」


 真面目に問いかける娘に困った顔になるリブンの後ろ頭がはたかれた。


「まったく、わけわかんないこと言って、リホウを混乱させるんじゃないよ。とにかく、タイコウ。無理に気を使わなくてもいいよ」


「でも……」


「まあ、命を助けられたんじゃ恩を返さないと気がすまないって気持ちはわからなくもないか……。ふむ、それじゃあこうしよう。私達の仕事は行商で、今はカリュウって町に向かう途中だったんだ。だからカリュウにいる間の数日、うちの仕事を手伝っておくれ」


 リヨウの申し出にリブンも頷いた。


「なるほど。それは助かるな」


「タイコウを助けた。なら、お礼はタイコウに助けてもらうことで返してもらう。カリュウの町なら、首都に行く道からそれほど外れやしない。ね? これならいいだろ?」


「おニーちゃ、お手伝いしてくれるの?」


 リホウの期待に満ちた瞳がトドメとなり、タイコウは首を縦に振った。


「お手伝いさせてもらいます。でも、いったい何をすればいいのか……」


「まあ、手伝ってもらいたい事があったらその時に頼むさ。とりあえずは、リホウの手伝いでもしてもらおうかね」


「リホウの……?」


 タイコウの視線が母親から娘へと移る。


 彼女はタイコウの視線を受けると、思い出したように手をパタパタやり出した。


「ありゃ? リホウはタイコウ兄ちゃんに手伝ってもらいたくないのかい?」


 母親からの問いに、自分の真似ていた素振りが否定の意味だと悟ったリホウは、今度こそ両手と首をパタパタと精一杯振って否定した。


「アタシ、おニーちゃとお仕事する!」


「タイコウ。リホウからの御指名だ。引き受けてくれるかね」


 カカと笑いながらリブンが問いかける。


「わかりました。でも、リホウと何をするんです?」


 リホウは一体何をするのだろうか。華奢な子供の仕事を手伝うとなれば、力仕事ではないだろうが……。


「客引きだよ」


 母親の一言で納得した。


 なるほど、このリホウの愛嬌のある笑顔ならもってこいの仕事かもしれない。


「わかりました。お手伝いさせていただきます」


 その一言が、後悔を生むとはタイコウは思いもしなかった。



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