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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第十五章 鬼岩結界 肆

 オウメイが瞼を開いて最初に見たものは、今にも泣き出しそうなタイコウの顔だった。


「え、タ、タイコウ?」


 そう声を上げるオウメイの驚いた表情がタイコウの潤んだ瞳に鈍く移ったのも束の間、タイコウは目を閉じ項垂れ深い溜息をつく。


「良かった……本当に良かった……」


 その言葉がオウメイの身を案じて出たものだと気付き、何か言葉をかけようとしたオウメイ。だが、不意の衝撃で身体を跳ね上げられ、続く落下によって床に背を打ち咳き込んだ。


 四肢がまともに動くなら受身の一つも取れたのだろうが、生憎と身体はレイザンが巻き付けた鎖によって未だに芋虫よろしく縛り上げられている。


 オウメイは僅かに動く首を巡らせ周囲を見回した。


 まず最初に得た情報は目よりも先に耳と肌。瞼を開けるより早く耳が感じ取っていた音は、馬の蹄の音と車輪が地を疾走する音。そのどちらもが賑やかで、かつ肌が感じる振動から自分が猛然と走る馬車に乗っているのだと見当をつけた。


 そして、疾駆する馬車に乗っているのはオウメイと、咳き込んだ彼女を再び心配そうに見ているタイコウ。それに背の高い筋肉質の男と初老の男。


「どうやら連れが目を覚ましたようだな、タイコウ」


 タイコウにそう言ったのは初老の男。


「ええ、御心配をおかけしました、チョウエンさん」


 チョウエンと呼ばれた初老の男は煙管を咥えたまま陽気な笑みを浮かべ、チョウエンの背後では背の高い男が僅かに顔を綻ばせている。


「それじゃ、憂いも消えたところで思いっきり飛ばしますぜ、エン兄!」


「バカ言ってんじゃねぇよ、ハン。これ以上馬に鞭入れたら嬢ちゃんを心配する前に馬車が壊れちまわぁ。このまま走らせとけ」


 オウメイの視界の外から新たに発せられた別の男の声に、チョウエンが呆れ気味に言い返す。


 オウメイが更に視線を巡らせた先、馬車の御者台に座っているのは二人の席の半分以上を占領した太った男。


 ここまで数人がタイコウと会話しているが、目を覚ましたばかりのオウメイの知っている者はタイコウだけ。オウメイは説明を求めてタイコウへと視線を戻した。


「あぁ、無理に動かないで。ごめんね。オウメイのその鎖を切りたいのだけれど、どうにもならなくて……。魯智が言うには何か奇怪な術がかかっているらしいんだ」


 タイコウに言われるまでもなく、オウメイは自身を縛っている鎖が不思議な力を持っている事を知っている。


「あ、いや、それはそれとして……この人達は?」


 面目ないと頭を下げるタイコウから、彼の背後に座した男達へと目を向けてオウメイが問う。タイコウは「ああ」と声を上げると、オウメイの見る方へと振り返った。


「この人達は中岸の三狼士と呼ばれる人達で、こちらが三狼士の長のチョウエンさん。隣にいるのがライシンさん。それと今馬車を走らせているのがリハンさん。三狼士の皆さんもリクスウと同じで、紫髭氾濫の原因を突き止めるために雇われているそうだよ。それで、リクスウや三狼士の皆さんを指揮しているのが……」


 タイコウはそう説明を続けながら半身を引く。タイコウによって遮られていた視界が開けると、オウメイは新たに見つけた人物を見て目を見開いた。


「あなたは……!」


 思わず叫んだオウメイ。その視線の先にいたのは、豪奢な装飾された装束をまとう女性。ただ、拝紫教で唯一人だけ着る事が許されるとされるその装束はところどころ破れている。


 オウメイに声にビクリと身を震わせた女性からは覇気が感じられず、彼女は怯えた目で恐る恐るといった風にオウメイを見た。


 オウメイの反応にチョウエンが感心するように唸る。


「嬢ちゃん、オウメイだったかい? 流石に巫女さんなだけあってこの方を御存知らしいな。嬢ちゃんの思った通りさ。こちらにおわすは、天下に名を轟かせるあの拝紫教で最も徳の高い教主という大任に御付きであらせられるメイケイ様その人さね」


 その大人物を紹介するにはチョウエンのその口上も笑みも皮肉めいたものを感じたが、その無礼を非難する前にチョウエン達に言っておくべき事がオウメイにはあった。


「偽者ですよ。この人」


 教主メイケイを見据えて言うオウメイ。


 オウメイの一言はあっさりと、実にあっさりと、まるで彼等が乗っている馬車を吹きぬけた風のように一同の中を走り去り、馬車に乗っていたオウメイ以外の誰しもがその言葉の意味を捉える事ができずに沈黙する。


「……オウメイ。今……なんて言ったの?」


 一同の沈黙を破ったのはタイコウ。いや、破ると言うよりは沈黙の闇の中を手探りで進むように、困惑しながら尋ねた。


「え? だから、この人はメイケイ様じゃ――」


「お黙り、小娘! 何を根拠にそんな出鱈目な事を! チョウエン、あなたもこんな小娘にいつまで戯言を言わせておくつもりですか! 即刻黙らせるなり馬車から放り出すなりしなさい!」


 再び言いかけたオウメイの言葉はメイケイ当人の金切り声に遮られた。タイコウはメイケイの剣幕に怯えながらも魯智を手に取り、メイケイやチョウエンからオウメイを庇うように自身の位置を変える。


 ただ、メイケイに命令されたチョウエンは教主の金切り声に顔をしかめただけで動く気はないらしい。


「小娘の戯言なんぞ言わせておきゃあいいじゃねぇですか。あんたが紫龍様の天啓を受けて教主になったてんなら、それが揺らぐはずもねぇ」


「なんですって?」


 煙管を燻らせるだけで動こうとしないチョウエンの言葉に、メイケイが信じられないと言いたげに彼を睨みつける。だが、チョウエンはその射るような視線を真っ向から受けても臆した様子がない。


「あんたも大人物だってんなら、小せぇことに目くじら立てんで下さいや。鎖に絡め取られて逃げるどころか身動き一つできないってぇのに、堂々と教主が偽者だと吠え立てる嬢ちゃんのほうがよっぽど大したもんだ」


 チョウエンはそう言ってニヤリと笑みを浮かべる。


「ここまでは気絶した嬢ちゃんの看病でうやむやになっちまってたが、この際だから教主様の口から聞かせてもらいましょうや。この嬢ちゃんは何者なんですかい? 拝紫教の馬車に箱詰めにされて放り込まれていたんだ。教主様が知らねぇって事はないんでしょう? いや、嬢ちゃんだけの事じゃねぇな。金目の物も随分と積み込んでたが、あれがまるまる祭事に使われるはずもねぇ。ありゃあ、どういうことなんですかねぇ?」


 変わらぬ笑顔で問いかけるチョウエン。しかし、その目は笑ってはいない。


 そんな彼の鋭い眼光にか、彼の問いかけの真意にか、はたまた彼が打ち鳴らした煙管の音にか。メイケイは口元を戦慄かせてチョウエンから逃げるように後ずさる。


「ち、違うのです。私は何も知らなかったのです。全てはレイザンにそう言われて、後の事は全て上手く取り繕うとレイザンに言われて、だから……」


(あーあー、なんや見てて痛々しいなぁ。この偽教主も底が知れたわ)


 オウメイの意識に響く樂葉のぼやき。オウメイも内心頷いて返した。目の前の女からは最早教主の威厳など感じられはしない。


 思うところは皆同じなのだろう。チョウエンは教主の偽者に向け、呆れ果てたとばかりに深い溜息をついてみせた。


「レイザン、レイザン、ねぇ。野郎の一言で人攫いもやるのか。なんとも恐ろしいとこだな、拝紫教ってのは」


「ちょっと待ってくださいよ、チョウエンさん。拝紫教はそんないかがわしい所じゃありませんから」


 チョウエンの皮肉にすかさず横合いからオウメイの抗議が入る。チョウエンは弱り顔で「冗談だろうに……」と呟きながらも彼女に謝罪した。


「とりあえず、このオバサンは逃げられねぇように縛っておくとして、だ。問題はレイザンの野郎だな」


 チョウエンの言葉に、ライシンが無言で頷き偽教主の捕縛にかかる。チョウエンはタイコウ達に向き直ると困ったように頭を掻いた。


「教主メイケイが偽者である以上は、護衛役も当然偽者。だが、レイザンの野郎の実力に限って言えば、ありゃあ本物だ。対するは儂等三狼士に、タイコウの得物はその錫杖。嬢ちゃんは……まあ、その格好じゃ戦えねぇか。一番の頼みはリクスウの兄貴……」


 チョウエンの言葉にオウメイは小首を傾げた。


 彼ら中岸の三狼士が紫髭氾濫を解決に向かうと言うなら、仲間である隻眼の青年がこの場にいてもよいはずだ。


「そう言えばリクスウは? チョウエンさん達と一緒じゃないの?」


 彼女の問いにタイコウとチョウエンが顔を見合わせ、どちらからともなく「あぁ」と声を上げる。


「ごめん、言ってなかったよね。リクスウはレイザンと一緒にこの先にある洞窟に向かったらしいんだ」


「なんでもその洞窟に紫髭氾濫の原因があるんだとよ。もっとも、偽者の教主を祭り上げた奴等の言った事だ。どこから信じたものかとんと知れねぇ話だがよ。おい、オバサン。あんた何か知らねぇのか?」


 チョウエンが振り返り、偽メイケイの女に問いかける。


 すっかり憔悴しライシンになすがままに縛り上げられていた女は、不意に話を向けられて怯えた顔をチョウエンに向けた。


「ほ、本当の事など知りません。私が聞いていた話では、盗んだ品をほとぼりがさめるまで洞窟に隠しておく手筈だったのです。それを私にまで妖魔をけしかけるなんて……」


 その後も俯き何やらぶつぶつと呟き続ける偽教主。チョウエンは彼女からこれ以上の情報は得られないと諦め、タイコウ達へ向き直った。


「どうやら洞窟があるって事は間違いないらしいな。儂等の所に妖魔が出たからには、リクスウの兄貴の方にも……。半端な妖魔に遅れをとる兄貴じゃねぇが、なにせレイザンの野郎がいるからなぁ」


 チョウエンのぼやきはタイコウも同感だ。


 リクスウは強いが、リクスウ自身が上には上がいると認めている。そして、得体の知れないレイザンの存在は、リクスウが言った上という場所にあるような気がしてならない。


 タイコウは思い出したように錫杖魯智を両手で握り締め目を閉じる。


「な? どうした、タイコウ?」


 突然のタイコウの行動に戸惑うチョウエン。


「チョウエンさん、静かに。タイコウはリクスウの気配を探っているんです」


 チョウエンの問いかけなど聞こえないとばかりに両目を固く閉ざす青年に代わって、オウメイが答えた。


 タイコウは念じる。共に旅をしてきた隻眼の青年を追って。


 だが、その結果はアンガンの町でオウメイを探した時と同じ。


「リクスウの気配が……見えない」


 タイコウがぼそりと呟き、様子を見ていたチョウエンが青褪めた。


「見えないって、お、おい! それじゃあ、兄貴は!」


「落ち着いてください、チョウエンさん」


 狼狽するチョウエンにそう告げるタイコウの顔からは、オウメイの気配を見つけられなかった時のような喪失感はない。


 タイコウは、確かにリクスウの持つ若獅子のような覇気も彼に取り憑くトウコウの妖気も魯智から感じ取る事はできなかった。


「ひょっとしたら、リクスウもアタシと同じように鎖を巻かれたんじゃないかな」


 そう告げるオウメイの気配もまた、タイコウは全く感じ取れない。故に、気配が無いからと言ってリクスウが最悪の事態に陥っているとは限らない。


 そして、タイコウはリクスウが未だ健在だという事を確信していた。


「雪割りの気が揺らめいている」


 何があったのかは知れない。リクスウ自身の気配は無い。ただ、魯智が読み取った雪割りの気配は星のように瞬きながら動いている。そして、雪割りを鞘から抜き放つ事ができる者を、タイコウは一人しか知らない。


「急いで加勢に行きましょう。リクスウは今戦っています」



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