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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第一章 錫杖老師 参

「な……!」


 木戸を突き破ったモノ。


 ランプの薄明かりに照らされたソレを見たタイコウは、驚愕にまた息が止まる。


 熊、虎といった猛獣ではない。化け物だとしても、タイコウは猛獣を元にイメージを膨らませていた。だが、目の前にあるのは……。


「木?」


 雪割りを掴んだまま固まっていたタイコウは、そのモノの見た目そのものを口にした。


 木戸を破壊し廃寺の入り口を塞ぐようにして立っているのは樹木だった。葉のほとんど落ちた一本の枯れ木。


 ただ、枝は触手のようにうねり、根も大地に埋まる事無くジワジワと地面を這っているあたりは化け物の証だろう。


「なんてこった。クソ! 抜けてくれよ!」


 目の前にはっきりと出現した木の化け物にさらなる焦りを覚え、必死になって雪割りを抜こうとする。


 化け物は木戸を突き破った枝先をタイコウに向けた。今にも飛びかかろうとしている蛇のように枝が身を竦ませる。


「ちっくしょ……おぉっ?」


 込めつづけた力と焦りで湧き出た汗に、タイコウの手が滑って柄がすっぽ抜ける。


 彼を襲わんと一直線に伸びた化け物の枝先が、バランスを崩したタイコウの頬を掠めて背後の壁に突き刺さった。


 頬の切り口から流れ落ちる血の温かさを僅かに感じたが、タイコウには刺し貫かれず生き延びた事を安堵する余裕は無い。すぐに第二、第三の枝が迫ってきている。


「うわあぁぁぁっ!」


 タイコウは叫び声を上げると、滅茶苦茶に鞘ごと雪割りを振り回す。


 先ほどまで考えていた雪割りが通用するか、ホウ王に雪割りを献上する云々は、すでにタイコウの頭の中から消え去っていた。今、彼の心にあるのはただ一念。


(まだ死にたくない!)


 迫る触手のような枝を二本三本と払いのけるが、それも長くはもたなかった。


 横殴りに振られた枝に打ち払われ、跳ね上がったタイコウの体が壁に叩きつけられる。


 衝撃に手元の力が抜け、雪割りは宙を舞うと床に転がった。


 床に伏したタイコウ。痛みに咳き込みながらも、抵抗すべく起き上がろうとする。


「……え?」


 起き上がるため床に手をついた彼のその指先に、何かが触れた。


 そして、その瞬間目の前でうねる触手、いや木の化け物自体が赤みを帯びる。


「……オクレ……血ヲオクレ」


 タイコウの意識に聞き覚えの無い声が響く。ここまで来て幻聴ではないだろう。


(これって……)


 指先に当たるソレを迷わず掴んだ。


(コイツの名は樹木子。触手のような枝で生物を捕らえ、枝先を突き立てて獲物の血を啜る妖魔)


 まるで古くから知っていたかのように、タイコウの頭の中に目の前の化け物についての知識が湧いてきた。


 もちろん、タイコウはこんな木の化け物は初めてだ。他の化け物でさえ話に聞いても見た事は無い。


 魯智だ。


 握り締めた錫杖が彼に教えてくれている。


「ソナタノ血ヲオクレ。温カイ、ソナタノ血ヲオクレ」


 聞こえてくるこの声も目の前の化け物、樹木子のものだと魯智は言う。そして、樹木子を包む赤い気配は化け物が放つ邪気である、と。


(枝先は無視。幹に直接攻撃する)


「魯智め。簡単に言ってくれる」


 錫杖で触手を払いながら呟いた。


 言うのは楽だが実践するのは楽じゃない。タイコウの血を吸おうと、枝が次々に迫ってくるのだ。


「きりが無いな。この部屋の中では逃げ回る範囲だって知れてる。いずれ捕まる」


 魯智を握ってから不思議と視界が広がった気がしていた。背後から迫る枝も五感ではない何かで認識できる。だが、それも限界がある。迫る敵がわかっても結局さばくのはタイコウ一人なのだから、手数が増えれば対処しきれない。


 しかし、広い外に出ようにも唯一の出入り口は樹木子の巨体で塞がれている。魯智に言わせれば、塞いでいる幹こそが狙うべき目標なのだが幹は枝を伸ばす本体。一番触手枝の攻撃の激しい部分だ。


(どうしよう? 思い切って飛び込むか?)


 迫る触手枝の一本を魯智で打ち払い目標である幹に視線を延ばす。


 その思惑を知ってか知らずか、樹木子は幹が見えなくなるほどの無数の枝をタイコウに向けてくる。


 迫る枝の束を舌打ちしながら振り払うタイコウ。その脳裏に危険を知らせる声が聞こえてくる。


(魯智? ……左か!)


 錫杖から響いたのは金輪の跳ねる音か、その内に潜む何かの声か。


 タイコウが魯智の声に従うように錫杖を構え、横殴りに襲いかかる枝の一撃をしのぐ。


 だが、その一撃は彼が予測した以上の力を持っていた。錫杖魯智を握る両手に堪えきれない衝撃が走り魯智を弾かれる。


 幸い錫杖を手放しはしなかったが、止めきれなかった枝に横腹を張り飛ばされた。


「ガッ……!」


 一瞬呼吸が止まる。


 床に倒れた彼は、枝に打ち据えられた勢いを借りて二転三転と転がり、追い討ちとばかりに襲いかかる枝達の突きをかわす。


 そこまでは悪くなかったが勢い余って壁に激突。新たな衝撃が背中に走った。


 痛みにむせかえるタイコウの心の内。魯智は新たな異変が近いと警告してきた。


 それは耳をすませなくても聞こえるほどの音から始まった。


 タイコウの逃げ回っている部屋のどこからとも無く響く壁の軋む音。その音がなぜ生まれるか深く考える暇は無かったし、考える必要も無かった。


 軋む音はすぐにレンガの壁を破る轟音に変わり、轟音とともに砕けたレンガの間から木の枝が顔を出す。


(枝に囲まれたか……逃げなきゃ。囲みを狭められたらお終いだ)


 タイコウは近くに転がっていた鞄を肩にかけると部屋の中を駆け出した。


 まず、最初の目標は雪割り。


 走る彼の胴を、足を、頭を狙って突き出される枝を、払い、飛び越え、伏せて雪割りの元へ滑りつく。


 雪割りを手にした。次の目標は……。


 右手に魯智、左手に雪割りを持ち、再びうねる枝の中を走り出す。


「どいてぇっ!」


 両手を振り回して迫る枝達を牽制しながら向かうのは、枝に突き崩されてできた壁の割れ目。タイコウはその割れ目に飛び込む。


 壁の割れ目から外に飛び出した途端、視界が暗くなった。ランプに照らされた部屋の中から鬱蒼と木の生い茂る森の中、ましてや雨雲に月も星も隠れている漆黒の空間に飛び出たのだから無理も無い。


 部屋の中を走り回っていたせいもあり、湿気を含んだ外の空気は冷たい。


 だが、タイコウに外気の冷たさに身を振るわせる暇は無い。暗さに目が慣れ始め、僅かながら周囲が見えてくると、飛び出したそのままの方向に向かって走った。


 走りつくそこに何があるかなど考えてもいない。とにかく背後にいるであろう樹木子から少しでも遠くに逃げ出したかった。


 いったいどれほど走ったのか。小枝が体のあちこちにぶつかるのも気にせず、とにかく無我夢中で走った。化け物の容姿からすればそれほど素早くは動けない。そろそろ大丈夫かと足を遅めて振り返った瞬間だった。


 魯智からの危険信号と、頬に何かがかすめる感触はほぼ同時だった。


「……ウソだろ?」


 顔の真横に伸びている枝は、魯智が妖魔を知らせる赤い気配を持っている。


 その枝一本がタイコウを追ってきたわけではない。タイコウの視線の先には動きが鈍そうだと思っていた樹木子の幹が立っている。


 信じられない。タイコウの意識にあったのは、その一言だけだった。目の前で根をもたつかせてズズッと動いているその姿を見て、追いついてくるなどと誰が思うだろう。


(周辺の空気が歪んでいる。樹木子の力でこの一帯に見えない壁が作られていて、どれだけ外に向かって走ろうとも実際は進んでいない。僕は樹木子に閉じ込められた……)


「そういう事は先に言ってくれ……」


 魯智からの情報をまとめると、目の前の化け枯れ木から逃げられないということ。樹木子が自分を餌と思っている以上、生き残るには樹木子を倒すしかない。


「ははは。まったく、なんだかとんでもない旅になってきたな」


 笑って言う。もっとも、空元気で無理矢理作った笑みだったが。


 鞄と雪割りを下ろし、両手で錫杖を構えなおした。小雨振る夜の森に錫杖の鉄輪の音が響く。


 タイコウの睨む先、樹木子はしぶとく逃げ回る獲物をどう料理するかという感じで、じわじわと触手枝をめぐらせている。


(向かい合ったはいいが、はてさてどうやって戦ったものか……)


 錫杖をかまえたまま困り果てた。さっきと同じでは触手の数に圧倒されてしまう。


 ふいに魯智が何か言ったような気がして樹木子からかまえている錫杖に視線をずらす。


「……だから、そういう事は先に言ってくれというのに」


 深々と溜息をついてから錫杖の先を樹木子の幹に向ける。


 魯智から聞いた言葉を思い出し、一つ大きな深呼吸をすると改めて樹木子を見据えた。


「天を駆けるもの。地を巡るもの。そのもの何処より湧き出で。何処へと流れ行かん。我が身、我が内流るるもの。集いてかの先に赴かん」


 言葉を紡ぐうちに、タイコウの体の中で何か不思議な力が昂ぶってくるのがわかる。


 見れる者が見れば、タイコウが魯智を手にして雪割りを見た時のように、彼の体から青白い気が上っているのがわかるだろう。


 力の昂ぶりは彼の身に収まりきらず周囲の大気を巻き込み旋風を起こし、タイコウの服をはためかせる。


 タイコウは気の昂ぶりのままに魯智の教えてくれた最後の一節をなぞった。


「我が意思はかの地を指さん。砕破!」


 最後の一言が引き金となり、タイコウの中を駆け巡っていた力が両腕、両手、錫杖の先へと移り、力は青い光を纏った一本の矢と化して打ち出された。


 なにやら凄い事が起こりそうな予感はしていたが、予想を上回る事になった。


「うわぁっ!」


 驚いて気が抜けた拍子に矢が打ち出された反動が両腕を襲い、タイコウはその場で尻餅をつく。


 打ち出された青光の矢は樹木子めがけて一直線に飛び、その幹を打ち抜く。木の乾いた音が周囲に響き渡った次の瞬間、樹木子の体に異変が起きた。


 矢が貫いてできた幹の穴を中心に枝へ、根へと無数の亀裂が走り、その隙間から青い光が見えたと思った途端、樹木子はパシッと木の爆ぜる音を立てて弾け飛んだ。


「……え? お? あれ?」


 地面にへたり込んだまま、呆気に取られて見ていたタイコウ。彼が周囲の変化に気がつくには少し時間が必要だった。


 さっきまで降っていたはずの雨は止み、雨雲の消えた空は真夜中のそれよりいくぶん明るく、東の空の色は朝が近いことを知らせている。


「随分長いこと呆けていたらしいな……」


 否。


 タイコウの独り言は手元の錫杖によって否定された。


 魯智曰く、樹木子がタイコウを捕らえるために作った空間の中では時間の流れが狂っていたらしい。それが樹木子を倒した事で元の状態になったのだと。


「つまり……あいつに喰われずに生き延びられたんだな」


 錫杖を地に立て立ち上がろうとする。


 だが、彼の足に思うように力が入らず、また地面に尻餅をつくことになってしまった。


「はは……腰が抜けたか」


 目の前まで迫った死の予感から開放されたのだから、力が抜けるのも当然と笑うタイコウ。


 否。


 だが、その意見は、またも錫杖によって否定された。


 魯智曰く、樹木子に向けて放った光の矢はタイコウの気そのもの。加減も考えずに行使すれば体中の気が抜けるのは至極当然。


「だから……そういう大事な事は……もっと先に……言えってば」


 錫杖でかろうじて支えていた上半身もついに力が抜け、タイコウは地面に倒れ伏すとそのまま気を失った。



〜次回予告、タイコウ語り〜


妖魔樹木子との戦いで、精根尽き果てた僕。

気を失っていたところを救ってくれたのが、行商人リブン一家。

恩返しとして一家の手伝いをする為、小都市カリュウへ向かう事になりました。

いざ、仕事を始めたのですが、リブンの娘リホウが手にしたものは……。

なんとか仕事をやり遂げた僕は、休憩に向かった飯店で喧嘩に巻き込まれます。

そして、そこで出会った一人の青年の背後には……。



飛び交う刃に、轟く悲鳴。安請け合いは御用心。

一難去ってまた一難。飯店揺るがす大喧嘩。

この道行きに安息無し。


次回『第二章 万事喧騒』に乞うご期待。

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