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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第十四章 紫髭開放 参

 夕暮れの朱から夜の黒へと空が色を変える間際。濃紺の空に瞬き始める星々では、家路を急ぐ者達の往来するアンガンの街路は照らしきれない。ましてや、建物の中ともなれば夜中と呼んで差し支えない。


 ランプの揺らめく灯火に照らされたほの暗い部屋の中で、リクスウは陰鬱な気持ちを吐き出すように溜息をついた。


「全く、まーったく、これじゃあ牢屋の中と変わらねぇってんだ」


 拝紫教の新たな教主に仕えているという道士レイザン。リクスウは、彼とその主である教主メイケイの口添えによってアンガン警備隊詰め所の牢屋から開放された。


 解放の条件は教主メイケイに従って紫髭を乱す根源を絶つ事。この条件を飲んだリクスウがレイザンに連れて来られたのが、今彼がいる部屋。


 拝紫教アンガンの宮の一角にある宮司や巫女の詰め所の一室。とは言ったものの、部屋は物置として使っているようで半分以上が祭事の道具などが片付けられた葛篭の山が占領している。それ以外には目立ったものも見当たらない味気無い部屋。紫龍の社を間近にしながら、部屋にある小さな窓からは脇道を挟んだ向かいの外壁しか見えない。


 メイケイの依頼は余計な混乱を招かないよう内密に実行するように。すなわち、依頼に関わるリクスウはなるべく目立たないように部屋からの外出を控えるように。そうレイザンからは言われているものの……。


「むしろ、話し相手がいねぇとあっちゃあ、コソ泥のいた牢屋のほうがマシってもんだ」


 リクスウは石造りの壁によりかかると、もう一度深い溜息をついた。


 そう。彼は今、途方も無いほどに退屈していた。


 蛮勇と呼ばれたコウハ族を統べた族長トウコウの血が成せるものか。トウコウの末裔であるリクスウは、生来血気盛んにして束縛される事を嫌う男である。そんな彼が物置同然の部屋で一人、大人しくしているはずもない。


 リクスウは壁から背を離すと、その隻眼で部屋唯一の出入り口である木戸を見据えた。


「要は目立たなけりゃいいんだよな」


 そう呟きながら戸の前まで躊躇い鳴く歩みを進める。


 レイザンの大人しくしていろという言葉を、リクスウが都合良く自己解釈して口にしたところで部屋に彼一人ではそれを訂正するものもいない。今の彼に唯一諫言できるとするならばリクスウに取り憑く虎霊トウコウ。だが、トウコウもリクスウと似通った気性となれば、リクスウの言葉に賛同こそすれども戸にかけた手を止めはしない。


(まあ、なんだ。酒瓶の一つも見つけりゃあ、しばらくはこの部屋に大人しく居座ってやってもいいんだがよ……)


 リクスウはこの場にいないレイザンに胸中でそう断わり、そっと戸を開けて顔を出した。


 夕暮れ過ぎの廊下は既に闇の支配下に落ちてはいるが、廊下の先から洩れ出る別室の明かりが辛うじて足元を照らしている。いや、むしろ今のリクスウには、別室の明かりが廊下の闇を越えてこいと招いているようにさえ感じる。


 リクスウはさして距離も無い廊下を突き進み、別室に辿り着くとひょっこりと顔を覗かせた。


 廊下へ明かりをこぼしていた別室は、先程までリクスウが押し込められていた部屋より幾分広い。円卓と椅子がいくつか散りばめられた食堂のような部屋だ。


 リクスウは壁沿いに立つ棚にお目当ての酒瓶を見つけるよりも早く、室内にいた先客三人へと視線を向けた。


「あぁん?」


 そう声を上げたのはリクスウではなく、彼が部屋を覗くと同時に目ざとくそれを見つけた先客の一人の方。


 円卓を囲むように並べた椅子三脚。それに各々座っている先客の三人。


 まず、荒い声を上げてリクスウをギロリと睨みつけたのは、調度リクスウと対面する位置に座っていた太った男。太った男の声に反応し、隣に座っていた筋肉質の男が横目でチラリとリクスウを見る。その男達の対面、リクスウに背を向けた白髪の男は二人の反応に興味を抱いた様子もなく煙管を燻らせている。三人とも似たような道士の装束をしてはいるが、以前リクスウが見た三大道士デイコウの装束とは些か趣が違ってみえた。


 生憎とリクスウは拝紫教について疎いが、部屋の中にいた男三人がこのアンガンの社に参拝に来ているようにはとても見えなかった。少なくとも、宮の奥にあるこの詰め所に立ち入るような宮司には、男達が醸し出しているガラの悪さは無いはずだ。


 おそらくは、未だに睨みをきかせている太った男や、リクスウを一瞥した筋肉質の男も、リクスウに対して同じ思いを抱いているのだろう。


 なればこそ、お互い合点がいく結論もある。


「おう。あんたらもレイザンに連れてこられたのかい?」


 殺伐とした雰囲気を感じさせる三人に対し、リクスウは努めて明るく声をかけた。


「おい兄ちゃん、あんたらってのは俺達の事を言ってんのか?」


 ただ、リクスウの言葉の一節が気に入らなかったらしい。


「んだよ、そりゃあこの部屋にはあんたらしかいねぇだろう」


「またあんたらと言いやがったな。俺達が紫髭中岸の三狼士だと知ってて言ってんのか?」


 怒気をはらんだ太った男の声にリクスウは困り顔で腕を組み、大仰に首を傾げてみせる。


「知らん。全くの初耳だな。なんだ、あんたらも偉い奴なのか?」


 大袈裟な仕草で答えるリクスウ。真面目に答えてこそいるが、リクスウのその素振りはむしろ喧嘩を売っているというべきだろう。現に、リクスウの態度をそれと断定したものがいる。


「この野郎……」


 太った男が荒々しく席を立ち、リクスウの前へと威圧するように進み出る。それを迎えるリクスウの口元が一瞬だけニヤリと歪んだあたりは、リクスウ自身もそれを狙っていたのだろう。


 一触即発、嵐の前の静けさ。そんな危うい静寂が占める室内に木を打ち鳴らす甲高い音が木霊し、太った男はビクリと身を震わせる。


 リクスウの視界を占める太った男の背後。リクスウに背を向けていた白髪の男の手が、今しがたの音を発した煙管を玩んでいる。


「エン兄……?」


 太った男のリクスウへ向けていた怒気は煙管の一音で消し飛んでいた。男は親に悪戯を咎められた童子のような情け無い表情を浮かべて、先程まで自分が座っていた卓へと振り返る。


「所構わず因縁付けおってからに……。ハンよぉ、おめぇの気の短さは死ななきゃ治んねぇのかねぇ」


「ぐっ……すいやせん」


 苛立つように繰り返し煙管を打つ白髪男の指に、呆れたように深く吐かれた白髪男の溜息に、ハンと呼ばれた太った男は息を詰まらせながら詫びる。


(はっはぁ、つまりは太っちょがこの三人組の下っ端で、白髪が親玉と……)


 そのリクスウ仮説の親玉が振り返り、頭を下げていた下っ端ハンの頭越しにリクスウと白髪男の視線が合った。


「いやぁ悪かったなぁ、兄さん。こいつも悪い奴じゃねぇんだが、なにしろ見ての通りの短気者でよ」


 笑顔で謝罪する白髪の男。


 短く刈り込んだ白髪とは対照的に、肌は日に良く焼けている。肌に彫りこまれた皺からすれば初老と呼んでいいだろう。口元と顎先に伸びるひょろりとした白い髭が印象的で、気さくに笑っている姿を見る限りでは好々爺とも見えるのだが……。


「まぁ、知らない者同士なんだ。そんなこともあるさ」


(堅気じゃねぇわなぁ。目の奥が笑ってねぇってんだよ、爺さん)


 笑顔の裏で値踏みするように観察されている事に気付き、リクスウは形ばかりの愛想笑いを返す。


「で、さっきの兄さんの質問だが。お察しの通り、儂等もレイザンの旦那に連れてこられたくちだ。用件とやらが片付くまでお互い仲良くやろうや。そう言いたいところではあるんだが……」


 手にした煙管を揺ら揺らと玩びながら言う白髪男。リクスウの観察が済んだのか、上辺だけの笑顔は徐々に薄れ、鋭い眼光が次第に表に現れていく。


「初対面の兄さんに説教するのもなんだがね。ハンの気の短さに気付いていながら、それでもちょっかい出そうって魂胆はいかがなもんかねぇ。絡んだのはハンだとしても、あれじゃあどっちが喧嘩を売っていたんだかわかりゃしない」


 白髪男の手元で揺れていた煙管が止まり、ゆっくりとその先がリクスウへと向けられる。


「儂等も中岸の三狼士なんて呼ばれて、この一帯じゃ知れた者だ。兄さんが期限付きのお仲間だと言っても、このままコケにされたままってんじゃあ収まりが付かねぇ。いや、それを抜きにしても、命を預ける事になるかもしれねぇ以上は、期限が付こうが付くまいがどっちが格上かはお互いに知っておきてぇじゃねぇか」


 白髪男の声に含まれた殺気に呼応するように、沈黙を守っていた筋肉質の男が席を立ち、太った男も両手に拳を作る。リクスウもまた、三狼士を名乗る男達の気に感化されて自身の気が昂ぶっていく事を感じていた。


(やれやれ、一時は煮え切らないまま終わるのかと思ったが……。全く、まーったく、いい暇潰しが出来ちまったなぁ)


 白髪男とリクスウ、同時に口元を歪めて不敵な笑みを作る。


「兄さんも、最初からそれをお望みだったんじゃねぇのかい?」


「さぁて、どうだったかなぁ……」




 古くより交易都市アンガンを守ってきた外壁。その外壁の外へと広がる市街地のさらに外へ行商人達が天蓋を並べた一角。


 旅芸人デンシュク一座の幕舎裏に作られた釜戸を挟んで、タイコウとオウメイは急な来客に戸惑い顔を見合わせた。


「あの……」


「初めまして、レイザンさん。アタシがオウメイです。用件と仰いましたが、一体何事でしょうか?」


 オウメイは何事か話そうとするタイコウを後ろ手で制し、幾分険しい目付きでレイザンに名乗る。


 そのオウメイの手がタイコウを制していなければ、タイコウはレイザンに名乗るより早くオウメイの変化を問うていただろう。


(どうしたんだろう……?)


 オウメイの声が硬い。


 オウメイは紫龍に仕える拝紫教の巫女。その拝紫教教主に仕える道士を相手にすれば、その口上が硬くなる事はタイコウにも頷ける。


 だが、声が強張るのはなぜだ?


 或いは、相手が相手だけに緊張しているとも取れるが、それにしては度が過ぎているようにタイコウには思えてならない。緊張や萎縮というよりは、ただ怯えているようにさえ感じられる。


 この場にリクスウがいれば、またタイコウの心配性が出たと茶化されるかもしれないが、今回に限ってはタイコウの不信感は的中していた。


(この人……)


 彼女は盲目の道士に警戒心を抱いていた。


 何故、自分やタイコウの名を知っているのか。彼から全く気配がしないのは何故か。


 いや、それらのほとんどが説明できないものでもない。例えば、オウメイ達の名前を知り得た理由として有力なのが……。


「おお、貴方がそうだったのか。突然の来訪、失礼した。用件というのは他でもない、貴方の仲間であるリクスウの事で話しておかねばならないと思い、こうして馳せ参じた」


 レイザンが口にしたリクスウの名。そこから名が知れる事もあるだろう。ただ、その一切に説明が付けられたとしても、最後に唯一警戒心を生み出すものが残る。


 具体的な印象でレイザンの何が悪いわけでもない。むしろ、拝紫教教主の護衛となれば同じ拝紫教の巫女として敬意を払い、友好的に応対もできるはずだ。それに、リクスウ絡みならば、レイザンこそ迷惑をこうむった被害者として同情すべきかもしれない。


 それにもかかわらず、オウメイの心の奥底にふつふつと湧く不安。


(なんか嫌……)


(なんかて……オウメイ、あんたなぁ)


 樂葉の呆れた声が内心に響く。確かにオウメイ自身も勝手な事だと理解している。なんとなくで嫌われるレイザンを不憫にさえ思う。それでも、オウメイにはその最後の不信感だけは拭い去る事ができないでいた。


 言うなれば、女の感か。


「オウメイ、貴方も話に聞き及んでいるとは思うが、リクスウは酒場で乱闘騒ぎを起こして警備隊の詰め所に拘留されている。かく言う私が彼を捕らえたのだが、周囲の者達に被害が及ばぬようにと思ってした事だ。どうか貴方の仲間に手荒な真似をした事は、ご容赦願いたい」


 頭を下げるレイザンを前に、オウメイは内に抱いた警戒心はさておいて慌てて彼を押し留める。


「ああ、そんな謝らないで下さい、レイザンさん。話は聞いてます。アタシ達のほうこそリクスウが迷惑かけちゃって謝らなくちゃいけないのに。ホントすみませんでした」


 オウメイの背後では、タイコウが即座に名乗り出て謝りたい衝動とオウメイに押し留められている手前口も出せないという狭間で葛藤している。そんな彼に代わって平謝りのオウメイ。


「いやいや、リクスウの事では貴方に重ねて謝らねばならない事があるのだ。どうか頭を上げてはくれまいか」


「……と言いますと?」


 顔をあげて問うオウメイに、レイザンはここからが本題だとばかりに咳払いをした。


「私はリクスウの才覚を買い、彼にある案件に協力してもらう事にした。わけ有って案件については話す事ができぬが、リクスウはこれを快諾してくれた。しばらくの間リクスウは貴方達と別れ、我々と行動を取る事になる。今日はそれを伝えに来たのだ。無理も勝手も承知の上ではあるが、どうかご理解いただきたい」


(そんな……!)


 もしオウメイに制されていなければ、タイコウはその言葉を声に発し、レイザンに食ってかかっていただろう。そして、その思いはオウメイも同じ。


「納得し難い話ですね、レイザンさん。仮にもアタシ達は共に旅をしてきた仲間です。どのような案件かも知らされずに、急に別行動だと言われても納得できるはずないじゃないですか。せめて、リクスウの口からそれを聞かせて下さい」


 オウメイの言葉にレイザンは僅かに唸り考え込んだ後、諦めたように「この話は他言無用に願いたい」と前置きして話し出した。




「で、どちらが格上か身を持って知った上で、だ」


 リクスウは殴られた頬を片手で擦りながら、倒れた椅子を引き起こして座り込む。


 リクスウの眼前にある円卓には、彼がこの部屋に入る最初の目的だった酒瓶と、割れずに残った湯飲み。そして、円卓の脇で折り重なるように倒れているのが……。


「下の太いのがリハン。真ん中のダンマリのがライシン。上の白髪の爺さんがチョウエン。三人合わせて紫髭中岸に名を馳せる三狼士様。これでいいんだよな?」


「へ、へぇ。その通りで……」


 湯飲みに酒を注ぎながら尋ねるリクスウに、三人重ねの上段でひっくり返っているチョウエンが答える。


 チョウエン達の顔は青痣、擦り傷、こぶ、鼻血等々。つい今しがたまでのリクスウとの激闘の結果を物語っていた。


「それにしても御見それしやしたぜ、兄貴。流石にレイザンの旦那が見つけてきただけの事はありまさぁ。お名前をお聞かせ下さいや」


「兄貴言うな。俺はリクスウだ。仲間とコウランまで旅の途中だったんが、紫髭の一件でこの町で足止めくらってな。レイザンの話に乗ったってわけだ。あんたらも見た限りじゃ道士っぽいが、ひょっとして俺達と同じかい?」


 チョウエンは未だに目を回しているリハンとライシンの上で起き上がると、短く刈られた白髪頭を掻いた。


「いやぁ、儂はしがない道士崩れ。それにシンもハンも格好こそ道士だが、欠片も道術の心得は無ぇ。コウランの応募に名乗り出るのはちょいと荷が重い話で……。それに何より、儂等は兄貴ほどじゃねぇが腕っ節を買われてこのアンガンの揉め事を取り仕切ってましてね。おいそれとアンガンを離れるわけにゃいかねぇんでさぁ」


 チョウエンの話にリクスウは納得した。三狼士はその立場と実績から、見込みありとしてレイザンに勧誘されたのだろう。


「それにしても、レイザンも酔狂な奴だな。あいつの主人のメイケイはお偉い教主様なんだろ? 技量はあるったって、こんなゴロツキ集めることは無かったんじゃねぇの?」


 酒の入った湯飲み片手にやれやれと首を振るリクスウに、チョウエンはニタリと笑みを浮かべる。


「そいつは兄貴も含めた話ですかい?」


「兄貴言うな」


 リクスウが一気に飲み干して放り投げた湯飲みは、チョウエンの額でスコンと小気味良い音を立てた。



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