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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第十四章 紫髭開放 壱

 タイコウは居心地悪そうに椅子に座りなおし、小さく唸り声を上げた。


「なんだか、こうしているとカリュウの町を思い出すね」


 タイコウがリクスウの向かいの席に座ってしばらく。双方の間に溜まっていく沈黙の重みに耐えかねたタイコウが呟くと、リクスウはその言葉にやれやれと首を振る。


「あーあ、ついてねぇ。全く、まーったく、ついてねぇ。よもや、また格子挟んでタイコウと話をする事になるとはよぉ」


 弱り顔のタイコウを前にして、リクスウは自嘲の笑みを浮かべてぼやく。格子窓を挟んで向かい合うタイコウもまた、リクスウにつられるように弱々しく笑った。


 鍛冶屋見習いのタイコウと偽道士のリクスウ。二人がお互いを旅の仲間として認め合ったのは、カリュウの警備隊詰め所の牢屋でのこと。


 そして、今彼等がいるのはアンガン警備隊詰め所の牢屋の一角に設けられた牢人との面会室。


「リクスウも、あの時の一件で懲りてると思っていたのだけれど……」


「懲りてるよ。できる事なら御免こうむりてぇよ。全く、まーったく、誰が好き好んで牢屋に入るかってんだよ」


 呆れたとばかりに言うタイコウにリクスウが間髪入れずに言い返す。


 ならば尚更……。


「それが、どうしてまた牢屋に入れられるような事になったの?」


 このアンガンで再び牢屋に放り込まれたリクスウに対し、タイコウがこの疑問を抱くのは当然の話。


「そりゃあ、おまえ。喧嘩の仲裁のつもりでだな……」


「なんだか、どこかで聞いたような話だね」


 どこかでも何も、タイコウとリクスウの出会いのきっかけそのものである。


「おうよ。聞いて驚け、カリュウの町の飯店でタイコウに難癖付けてきた奴等が今度はこの町の酒場で喧嘩を始めやがってな。これはちょいと懲らしめてやろうと……」


「酒場?」


 リクスウの話から耳ざとくその言葉を聞き取ったタイコウが眉を寄せ、同時にリクスウの表情が曇る。


「リクスウ、船便の時間を調べに船着場に行ったんじゃなかったの?」


「それは、だって……別に船着場に行かなくたって、船便の話くらい酒場で集まるだろうからよぅ……」


「それで、喧嘩して、捕まって、牢屋に入れられたの?」


「ぐ……むぅ……」


 タイコウの糾弾の言葉と視線と溜息とを一身に受け、リクスウは居心地が悪そうに呻き声を上げる。だが、リクスウは酒場での話を思い出し、ニヤリといつもの勝気な笑みを浮かべて見せる。


「心配すんなって、タイコウ。ちゃんと船便の話は仕入れてあるんだからよ」


 得意満面な顔をして胸をそらすリクスウ。ただ、そんな彼に対してタイコウの反応はやはり冷たいものであった。


「大神紫龍荒ぶりて気脈を乱し、紫髭の氾濫を招きたり。魂鎮める事叶わねば、波収める事もままならず……。船便は欠航したまま、いつ復旧するかは未定なんでしょ?」


「お、おまえ、どこでそれを?」


 リクスウがまさに口にしようとしていた話そのものをタイコウに言われ、リクスウの開いた口から発する言葉は報告から質問へと変わる。


「紫髭の氾濫が話題になっているのは酒場だけじゃないってこと。拝紫教の社に行った時に聞いたんだ」


 あっさりと返されて言葉を失うリクスウ。


 紫髭の船便での流通が主となる都市アンガンで復旧未定の欠航ともなれば、町中の話題となるのは必然。しかも、船便再開を待つ旅人や行商人が多くいる町の状態ならば、情報入手が早くなるのも尚更の事。


「社へ御参りに来ていた人も、早く紫龍様の機嫌が直って紫髭を渡れるようにとお願いしにきている人ばかりだったんだよ。それにメイケイ様って拝紫教の教主もいらして御祈祷しているんだって」


「メイケイの話なら俺も聞いたさ。全く、まーったく、よってたかって御苦労なこった」


 やれやれと首を振るリクスウに対し、タイコウは深く長い溜息をついてみせた。


「そんなに暢気に構えないでよ。このままじゃ、僕達の旅路も止まってしまうんだから。いや、ここは諦めて首都コウランまでは大回りで……」


 独り言のように呟くタイコウに、今度はリクスウが溜息をついて返す。


「タイコウ、それどんだけ大回りになると思ってんだよ」


 呆れて言うリクスウ。タイコウ自身も、これは上策では言い難いと気付く。


 無理も無い。紫髭はホウ大国を大きく蛇行しながら横断している。これを避けて通る経路を取れば、その距離は倍以上に膨れ上がる。


「うーん」


「まあ、ここで焦ってみたところでどうなるもんでもねぇ。紫髭を渡る手立てはじっくり考えようじゃねぇか」


 苦悩の声を上げるタイコウに、明るく笑い飛ばすリクスウ。その楽天的な気質がわずかばかりタイコウにも移ったのか、タイコウもまた軽く息をつくと笑ってみせた。


「そうだね。オウメイとも相談してみよう」


 タイコウはそう言って話を切り、席を立つ。そのまま振り返り面会室を出ようと振り返る彼を、リクスウは驚いたように呼び止めた。


「お、おい、タイコウ。俺は……?」


 リクスウの声にタイコウは立ち止まって振り返る。


 牢屋から出してくれるんじゃないの? そう問いたげなリクスウの視線を前に、タイコウはふむと短く声を上げる。


「まあ、今すぐ紫髭を渡れるようになるわけじゃないし、一晩反省すれば出てこられるわけだし。僕としても、リクスウのそのすぐに喧嘩になっちゃう体質は少しは反省して欲しいし……」


「な、なにぃっ?!」


「今日は一晩ここで反省してね。明日迎えに来るから」


 不服の声を上げるリクスウとは対照的に、タイコウは朗らかに笑って見せると再び彼に背を向ける。


「ちょ、それはねぇだろ。仲間だろ。出してくれよ、タイコウ。待て、待てって、いや、待ってください、タイコウさん。って、まず人の話を聞け、タイコウ。この薄情者ー!」


 面会室を半分に隔てている格子を掴むリクスウの遠吠え。


 しかし、タイコウは二度と振り返る事無く面会室を出て行った。


「……全く、まーったく、ヒデェ奴だ。心細い仲間を一人残して行っちまうとは……」


 面会室に一人取り残されたリクスウは去っていった仲間に向けてブツブツと文句を垂れつつ、自身も部屋を出ようと席を立つ。


 そして、リクスウは踵を返しタイコウが出ていった扉とは正反対の、牢屋へと続く扉へ進む。


「今度あいつが稽古を頼んできたら、問答無用で叩き潰し……お?」


 牢への扉まで数歩手前。相変わらず愚痴を並べていたリクスウの歩みを監視役で付いていた警備兵が押し留めた。


「まだだ。席へ戻れ」


「んあ?」


 警備兵の端的な言葉にリクスウが問い返す。ただ、警備兵が彼の問いに答える必要は無かった。


 警備兵と向き合うリクスウの背後で、タイコウが出ていった扉が再びゆっくりと開かれる。


 二人目の面会者の手によってギシギシと音を立てる木製の扉。その耳障りな音と気配を背後に感じながら、リクスウは二人目の来訪者が誰なのかをすぐに悟った。


 正しくは、背後に迫りながらも全く感じ取れない来訪者の気配によって。


「全く、まーったく、どの面下げて俺に会いに来たんだか……」


 さも面倒くさそうに後ろ頭を掻きながら振り返ったリクスウは、隻眼を吊り上げて来訪者を睨みつけた。


 全身に巻きつけた鎖を厚手の外套で覆い、双眸を深紅の布で隠した男。酒場でリクスウを投げ飛ばし、警備隊に突き出した男。


 二人目の面会者。名はレイザン。


 レイザンを前にリクスウは内心唸った。


(目の前にいるってのに、そこいると思えねぇ……)


 改めて対峙して尚、レイザンからは殺気、怒気はもちろん、生気、霊気さえ毛ほども捉えられない。


 数多の戦歴によって研鑽されてきた気配の察知と虎霊トウコウによる霊気の感知は、リクスウにとっては失われた片目の代わり。その感覚が機能しないレイザンは、リクスウには相性の悪い。それも彼がレイザンを毛嫌いする要因の一つだろう。


「牢へ放り込んだ相手を眺めに来るとは悪趣味な野郎だな」


「その減らず口では反省の色は見られぬようだな」


 こうして話をしなければ、眼前の男が幻ではないかとさえ思えてくる。


 リクスウは不機嫌さを隠す事無く、どかりと椅子に座った。そんな彼の態度に臆する事無く、レイザンもまた格子を挟んだ対面に静かに座る。


 リクスウは、レイザンのその一連の所作に眉を寄せた。


「なあ、アンタ。その目元の布っ切れは目隠しだと思うんだが……」


 面会室への入室から着席まで。それだけに限らない。酒場で見せたレイザンの行動。リクスウの背後に立った事も、彼の振り上げた拳を掴み取った事も、もちろん彼を放り投げた事も、見もせずにできる事ではない。いや、見えていても容易い事ではない。


「ああ、確かに見えておらぬさ。少しばかり道士の心得があってな。万物の気を読み取っている」


(こっちは見えず、こいつからは丸見えか……デイコウのオッサン程では無いにしても、ここにも化け物が一人)


 レイザンは少しばかりと言ったが、並みの道士でも万物の気を把握する事は用意では無い。その域に達していないリクスウからすれば、自身を放り投げた体術を含めて三大道士デイコウと同様に高みの存在と言えるだろう。


 内心唸るリクスウ。或いは、それさえもレイザンには見えているのかもしれない。


「改めて名乗っておこう。私は名をレイザンと申す。縁あって拝紫教教主メイケイ様の護衛を任されている者だ」


 レイザンの名乗りに口笛を吹くリクスウ。


 酒場で出会った際に名前こそ聞いていたが、レイザンの生業は始めて聞くところ。そして、リクスウはその仕事を聞いて彼の優秀さに納得した。


「それはそれは大層な御方だな。俺はリクスウ。アンタに放り投げられた男だ」


「そう卑下するものではない。虚を突いたからこそ出来た事。貴公と正面からぶつかれば勝負は知れないだろうさ」


 レイザンの言葉にリクスウの眉と口元が不愉快とばかりに歪む。


 リクスウを弁護するように言ったのだろうが、当のリクスウからすればそれさえもレイザンの余裕に見えて気に入らない。


「で、アンタは、アンタに負けて打ちひしがれてる俺を励ましに来てくれたのかい?」


 喧嘩腰のリクスウが放つ射るような視線を浴び、レイザンはやれやれと首を振る。


「どうやら余談は不要のようだな。単刀直入に申すとしよう。私と共に来て欲しい」


「はぁっ?!」


 レイザンの唐突な言葉に、リクスウは思わず声を大きくして問い返した。


「ふむ、流石に簡潔過ぎたか……。リクスウ、紫髭の現状は知っているな?」


「まあ、噂程度だけどな。アンタが護ってる教主様もお祈りしてるんだろ?」


 リクスウの返事にレイザンはそれで十分と頷く。


「メイケイ様を始めとして多くの信者達が祈りを捧げている。しかし、紫龍様をお鎮めするには至らないでいる。世間的にはそういう事になっている」


「世間的には……か。何か裏があるわけだ」


「ここでもう一つ問おう。貴公ならばホウ大国の現状もわかっているだろう?」


 その問いにリクスウは不機嫌を取り戻した顔で眉根を寄せた。


「妖魔出没の話ってんなら、馬鹿にすんなって程に……って、まさか!」


 リクスウは言い返しながら事の真意を悟り、別の意味で表情を険しくさせる。彼の反応が深紅の布越しに見えているかのように、レイザンは満足げに頷いた。


「此度の紫髭の氾濫が紫龍様とは無関係ならば、いくら紫龍様が気をお鎮めなさろうとも河が収まらないは道理だ」


 妖魔出没の鍵となる異界の門。もし、それが紫髭に発生しているとしたら、紫龍に願っでも紫髭の氾濫は収まらない。そして、長らく続いている紫髭の氾濫からすれば、異界の門の発生期間はかなりの長期にわたる。必然的に妖魔出没の機会も増加していく。


 ここまで話してレイザンが面会に来た理由に察しの付かないリクスウではない。


「なるほどな。全く、まーったく、龍神様の御機嫌伺いじゃ俺の出る幕は無いと思ってたんだが、なにやら俺向きな話になってきたじゃねぇか」


 納得顔で二度三度と頷くリクスウ。彼の反応に手応えを感じたのか、レイザンが僅かに椅子から身を乗り出した。


「現在メイケイ様が祈祷の傍ら、紫髭の気脈を探っておられる。氾濫の元となっている地を発見次第、我々はその地に赴くつもりだ。リクスウ、貴公の技量を我々にお貸し願いたい。もし承諾してもらえるのなら、今すぐにでも貴公をここから出すようにメイケイ様からも口添えして頂く心積もりだ。いかがか?」


 この問いに、リクスウは今日一番の不敵な笑みを浮かべて見せた。



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