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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第十三章 神龍教主 参

 アンガンの外壁をくぐり、船着場へと向かうリクスウと途中で別れたタイコウとオウメイ。彼等が目的地に辿り着いたのは、ようやくタイコウが人混みに慣れ始めた頃だった。


「うわぁ……」


 辿り着いた拝紫教アンガンの宮を前に、そんな言葉が洩れたのはタイコウの口からか、はたまたオウメイか。その言葉が豪奢な造りの社に驚嘆してか、溢れるほどの人混みに唖然としてか。二人のうちどちらが、何に対して、そのどれもが該当している。


(うわぁ……)


 樂葉も該当している。


 多くの信者を見下ろす朱塗りの門をくぐれば境内には大小の社が建ち、重厚にして緻密な細工が施された石灯籠がそれぞれの社を結ぶ道を作る。境内に隙間無く敷かれた石畳が灯篭の道に沿って磨り減っているのは、絶え間無い参拝者の歩みによるもの。


 どこを取っても豪華と呼びたくなる。その中でも一際目を引くのが最奥の紫龍の社だ。門から真っ直ぐに伸びた灯篭道の先にあるその社は、敷地の中で最大にして最も絢爛な造りをしている。石段の上に建てられている事もあり、門からでも良く見えるのはもちろん境内のどこからでも見えるのだろう。それを示すように、社に向かって両手を組み頭を垂れる者が敷地中で見られる。


 多くの参拝者がそうしているように、オウメイもまた門に立って紫龍の社を目の当たりにした瞬間、自然と一礼をしていた。


 彼女の隣で同じく頭を下げるタイコウ……は、ただ単に参拝者の数に人混み酔いがぶり返して俯いただけらしい。豪奢な社と人の多さにオウメイも目が眩みそうになっているのだ。タイコウがそうなるのも必然というもの。


「付き合わせてごめんね、タイコウ。もう帰ろうか?」


「いや……まだ、大丈夫……だから……」


 力無く笑うタイコウを心配するオウメイ。その内心に樂葉の溜息が響いた。


(まーた無理しくさってからに。ホンマ健気な坊やなぁ)


 からかい半分の言葉を叱責しようとしたオウメイだったが、当の樂葉に促されるようにして再び社へと目を向けた。


(それにしても、母様を拝みに来たんか、この豪勢な御社を拝みに来たんか……)


(あら、葉鱗后様。それは紫龍様を僻んでおられるのかしら?)


 いつも茶化してくる樂葉へのお返しとばかりに内心で呟くオウメイ。


 片や都市の中央に建てられた豪華な社。片や田舎村の外れの小さな祠。樂葉の言葉をオウメイがそう捉えたのも無理は無い。


 ただ、樂葉はそれをきっぱりと否定した。


(紫龍母様は紛れも無く神格を持った龍。ウチは確かに龍神の母様の身から生まれた子やけど、ただの龍にすぎへん。比べるようなもんやないし、母様を僻むなんてこれっぽっちもあらへんわ。何より、もしウチがこんなギラギラした所に祀られて毎日毎日仰山の人が拝みに来る思うたら、三日と経たずに龍神辞めたぁなるで)


 彼女の言葉はおそらく本心そのものだろう。


 樂葉もまたタイコウやオウメイと同じく田舎暮らしが長い為なのか、いくら陽気が好きだと言っても喧騒が続いては胸焼けしてしまうらしい。


(うーん、こないな落ち着かん所で辛抱していられるとは、母様は偉大やねぇ……)


(樂葉、感心するところちょっとずれてると思うわよ)


 そんなオウメイと樂葉の内心のやりとりの隣では、タイコウが弱々しく息を吐く。


(魯智のチカラが裏目に出ているなぁ)


 タイコウはすがるように掴んだ錫杖をチラリと見る。


 人の多さに酔うタイコウを支えている錫杖魯智だが、彼を悪酔いさせている要因としてこの魯智が一役買っていた。


 鉄冠子仙人に託された魯智の持つ能力は、タイコウと意識を共有する事で起きる魯智自身の記憶情報の提供。砕破や活といった自身の内にある気力を打ち出す術の行使。それらもさることながら争いに疎いタイコウに欠かせない能力が、霊気を捉える霊感の覚醒及び五感の鋭敏化。


 タイコウは魯智によって身体能力を底上げされているからこそ、妖魔との戦闘において世の武道家と同程度の運動が可能になっている。


 ただ、今の状況にあってはそれが逆効果だった。


 敏感な感覚が周囲の人混みを細かく察知してしまうため、タイコウの脳が感覚情報を処理しきれないのだ。


 タイコウは最も負担になっている視覚情報を遮断すべく目を塞ぐと、処理しきれなかった情報を吐き出すように二度三度と深呼吸を繰り返す。


「タイコウ、本当に大丈夫?」


 隣からオウメイが発する心配の声と視線。タイコウは僅かに落ち着いた感覚でそれを捉え、うっすらと目を開けて笑い返す。


「うん、少し落ち着いたよ。でも、気を抜くとどうにかなっちゃいそうだよ。早いところ紫龍の社へ」


 顔色を見る限りタイコウが決して大丈夫ではない事はオウメイにもわかる。ただ、当人はここで引き返すつもりは毛頭無いらしい。


 社への道行きを急かすタイコウが心配ではあったが、目の前の参拝者達を前に圧倒されているオウメイとしては連れ合いがいるのは心強い。


(さて、坊が動けんようになってまう前に母様のお姿を拝見してこか)


「うん、行こう」


 タイコウと樂葉に頷いて返したのを合図に、オウメイとタイコウはアンガン宮の境内へと踏み入る。


「やっぱりホウ大国屈指の拝紫教の社だけあって、熱心な信者が一杯来てるんだね」


 人混みを掻き分けるようにして進む事しばらく、タイコウは周囲を見ながら呟いた。


 あまり凝視して悪酔いが悪化しないよう伏し目がちにチラチラと視線を飛ばすだけでも、その視線の当たった先のほとんどは紫龍の社に向かって目を伏せ祈りの言葉を囁いている。


 そして、タイコウは社へと視線を移し、息を飲んだ。


「……凄い」


 人混み酔いの事も忘れて唖然とするタイコウの口から、小さく言葉が洩れる。


 アンガンの社の最奥にある紫龍の社。その社の奥で鎮座し、信者達の祈りを一身に受けている木像の龍。生憎とタイコウはその龍の彫り手が誰なのかは知らない。ただ、その掘り出された紫龍の像が見事である事は、十二分に感じ取る事ができる。


 社の奥で壁一杯に身をくねらせる紫龍の姿は、躍動感があり力強い。だが、穏やかな風貌がそれを恐れさせない。緻密且つ繊細に一片ずつ彫られた全身の鱗は、社の中そこかしこに置かれた蝋燭の灯が揺れるたびに影が揺らぎ、本当に生きているのではないかと錯覚さえしてしまう。天井から吊るされた幾重もの天幕をまとう姿は、さながら天空で白雲を引き連れて飛翔しているかの如く。


 総じて、紫龍の社全体が龍神と呼ばれるに相応しい神々しい雰囲気を生み出していた。


 鍛冶と彫刻。職種が異なるとは言え、一職人としてタイコウは龍の彫り手に心から敬服した。同時に、いずれは自分もこれほどに人を感動させる物を生み出したいという羨望を抱いた。


「うん、凄く綺麗……」


 社の直前まで歩み寄ったオウメイは、タイコウの言葉に頷き呟く。


 オウメイもまたタイコウと同様、眼前に龍の偶像にあるはずのない生命力を感じ取っている。ただ、それは彫り手の技術だけに限ったものではなく、長い歳月ここに龍神として祀られ、多くの崇拝によって蓄えてきた信仰の力が宿ってこそここまで強く美しくなったのではないかとも思えた。


(ホンマ、国内屈指の評は伊達やないねぇ……)


 オウメイの意識下で響いた樂葉の声も、二人の感想をまぜっかえす事無く素直に感心している。


 三者三様、アンガンの社が噂に違わぬ地だと感じる中、オウメイの内心で樂葉が「ただ……」と言葉を続ける。


(なんや、周りで拝んどるもんの顔色が優れんねぇ)


 樂葉の言葉に、オウメイも周囲の参拝者の表情を窺い眉根を寄せた。


 タイコウ達のように眼前の紫龍の姿に感動し祈りを捧げる者も少なくはないのだが、その多くは熱心に祈るというには些か過ぎた顔つきをしている。切実、必死、切羽詰っているという印象だ。


(ホウ大国の現状を憂いている……という事かしら?)


(それだけ、とも思えへんのやけどねぇ。何かあったんやろか?)


 小首を傾げるオウメイの推察に、樂葉が鈍く唸り声を返した。





「船が出ないだぁ?」


 リクスウがそう声を上げたのは、彼が紫髭の船便の出航時間を調べるべくやってきた船着場……ではなく、その道中にあった酒場。


 リクスウの言葉を借りれば「出航時間を調べるだけの為に、わざわざ船着場まで行く必要ねぇだろ。ここなら他の情報も集められて効率的ってもんだ。んで、酒場という特殊な場所がら、情報を得ようとすんなら酒を頼むというのがここ特有の情報料の支払い方ってもんだ。だから、決して俺が酒を飲みたかったとか、そういう個人的な願望は関係ねぇ。全く、まーったく関係ねぇ」となる。


「紫髭の船便が出ないって、いつまでだ?」


「さぁてなぁ。紫龍様の御機嫌が良くなるまで無理だろうさ」


 杯を傾けながら尋ねるリクスウに、酒場の店主は肩をすくめてみせる。店主の答えに、リクスウはさらに首と杯とを傾ける。


 逃げた賊の捕縛等の名目で一時的に船の出入りが禁じられる事は無い話ではない。とは言っても、ここアンガンが交易都市である以上は紫髭の船便は取引の要である。賊が捕まればもちろん賊が捕まっていなくても一定時期を過ぎれば規制緩和されて船便は再開するのが常だ。


 その船便が今回に限っては再開する気配を見せない。その理由が……。


「紫龍の機嫌ってどういうことだ?」


「紫髭が荒れているのさ。いや、今じゃ見た目は大人しいから、荒れていた、というべきか。まあ、年中を通せばたまにはある話なんだがね」


 空の徳利を振るリクスウの前に新たな徳利を出しながら言う店主。リクスウは、今度は徳利と首とを傾ける。


「もう大人しくなってるってんなら、問題無いじゃねぇのか?」


「それがそうでもないのさ。メイケイ様の御信託じゃあ、いつまた荒れるかわからない危険な状態だそうだ」


「メイケイさま?」


 聞き覚えの無い名前にリクスウが眉根を寄せると、店主は何も知らないのか? といった風に目を見開いて少し驚いた素振りをみせる。


「いくら旦那でも、拝紫教は知ってるよな?」


「親父、今俺の事バカにしてんだろ?」


 店主の言葉に隻眼を僅かに吊り上げるリクスウ。


「いや、すまない。この町にいれば嫌でも拝紫教につながる話題は日常茶飯事なんでな。つい、そのつもりで話をしちまった」


 慌てて謝る店主にリクスウはふむと唸る。


「……ってぇと、メイケイって奴は拝紫教に関係す、モゴゴッ!」


 呟くリクスウの口が勢い良く店主に塞がれ、リクスウは突然の事に目を白黒させた。


「旦那、メイケイ様を呼び捨てにしちゃならねぇよ。つい先月拝紫教の教主になられた大そう徳の高い巫女様なんだ。気安くしちゃあバチが当たっちまう」


 そう説教する店主の真剣な顔からすれば、恐らくは彼もまた拝紫教の熱心な信者なのだろう。リクスウは驚きながらも店主に向かって素直に頷いてみせる。


「このアンガンも拝紫教の信仰が厚い町だからね。メイケイ様がこの町の社に御挨拶に来てくださったのさ」


 ありがたい事だと恍惚の表情を見せる店主。


「それで、そのメイケイ……様の御信託で船を出さないってのかい?」


「そうなんだ。調度メイケイ様が来た頃に紫髭が荒れていてね。町の信者達の嘆願を受けてメイケイ様が紫髭を鎮めるようお祈りしてくださった。そうしたら、どうだい。船をひっくり返すほどの大波が揺れていた水辺があれよあれよと言う間に収まっちまったんだ」


 当時の事がよほど驚きだったのか、或いは信心の成せる業か、教主メイケイの活躍を熱く語る店主。対するリクスウは宗教事に興味が薄く、話半分に聞きながら再び杯を傾ける。


「メイケイ様が起こされた奇跡に、皆が喝采を上げて船出の準備をしたもんだ。でもね、その当のメイケイ様がこれをお止めになられたんだよ」


「さっき、いつまた荒れるかわからないって言ってたな」


「そう、それだよ。なんでも、今の紫龍様は酷く心が荒んでいらっしゃる。しかもメイケイ様がその理由を尋ねようと御祈祷しても答えて下さらないらしいんだ。町の者の中には、メイケイ様の言葉を信じずに船を出した不貞の輩もいたんだが、そいつらはとうとう帰ってこなかったよ」


「そいつは全く、まったーく、紫龍様は随分とへそを曲げておいでだな」


「全くだ。メイケイ様はなんとか紫龍様の御機嫌を良くしようと今も御祈祷を続けて下さっているんだが、これがいつ終わるやら」


 困ったものだと溜息をつく店主。


「それで紫髭を渡ろうとしていた行商やら旅人やらは、この町で立ち往生ってわけか。しかしあれだな。親父の酒場は立ち往生の客で繁盛するんじゃねぇか?」


 不謹慎と言えば不謹慎なリクスウの言葉に、店主は苦い笑みを浮かべる。


「そうでもないさ。確かに立ち往生の間を繋ごうとウチに来てくれる旅人さんもそりゃあいるが……言い換えれば、迷惑な客もこの町に居座りっぱなしってことだからなぁ」


 溜息混じりの店主の返答を証明するように客同士の喧嘩が始まったらしく、リクスウの背後で食器や酒瓶が割れる音と怒声とが響いた。


 酒場に轟々と響く男達の怒鳴り声。その内容を聞く限り、腕に覚えがある旅人同士の腕自慢やら武勇伝やらがいつしか罵り合いに変わったらしい。


 杯を傾けながら何食わぬ顔で話を聞いていたリクスウは、やれやれと首を振った。


(全く、まーったく、どんぐりが小せぇ背を並べてグダグダと……)


 そんな彼の内心の声が聞こえてしまったのか。喧嘩中の客が食器を投げ合い、そのうちの皿が一枚、流れ矢となって彼の後頭部めがけて飛来する。


「だ、旦那、伏せて!」


「まあ、旅が遅々として進まねぇってんじゃ、荒れたくもなるだろうがよ……」


 間一髪。


 慌ててリクスウを庇おうとする酒場の店主が割って入る間も無く、リクスウは飛んできた皿を見もせずに容易く掴み取る。


「なんとまぁ、これはお見事」


 驚嘆する店主にリクスウは不敵に笑い返す。そして、リクスウは皿と空の杯を店主へ手渡して席を立った。


「親父、ちょいと奴等を止めてくる。酒のお代わり出しといてくれ」


 あわよくば、店内での騒ぎを鎮めた礼として酒代が浮く、などと算盤を弾きながら。


(さて、旅が進まねぇってのは俺達も同じか……参ったね。タイコウ達に事の次第を話してこの町で船便再開を待つか、はたまた別の道で進むか……)


 リクスウは旅の行程を思案しつつ、喧嘩を続ける男達へと歩み寄る。


 喧嘩を続行中の男達はすでに伸びている者も入れて総勢八名。単純に四対四だったと推測もしてみるが、酔った勢いなのか旅仲間同士の私怨なのか誰彼構わず殴り合う混戦大乱闘の様相では判別もつかない。


(ま、一番元気に動いている奴を抑えりゃ、残りの奴等もちっとはこっちの話を聞き易かろうさ)


 リクスウはそう結論付けると酔っ払いの一人に狙いを定め、その肩を鷲掴みにした。


「他の客の迷惑になるんでな。縁も恨みもねぇが、まずはアンタから大人しく……」


 組み伏せるなり気絶させるなりしようと、強引に男の肩を手前へ引き寄せたリクスウ。


 しかし、リクスウは男の顔を見るなり、思わず遠慮無く殴り飛ばした。


「テメェら! カリュウの町じゃあ、よくも逃げやがったなド畜生!」


 そのリクスウの怒声に反応し彼へと振り向いた男は三人。今殴った者も含めて、どれもリクスウの見覚えがある顔。


 タイコウと初めて出会ったカリュウの町の飯店。その出会いの席で、タイコウに因縁をつけ、同時に彼を庇ったリクスウと乱闘騒ぎを起こした男達である。ついでに言うなら、リクスウ達が町の警備隊に捕まっている間に被害者面をしてちゃっかり逃げた男達でもある。縁も恨みもある男達である。


「げぇっ! テメェはあの時の!」


 男達もリクスウの事を覚えていたらしく、顔を引きつらせて急速に逃げ腰になっていく。男達を相手にしていた別の旅の一団も、彼等の豹変ぶりに驚き喧嘩の手を止めている。


 喧嘩の仲裁というならば、この時点でリクスウは事を成し終えたと言っていい。ただ、問題はこれ以降リクスウ自身が喧嘩の中心人物へと移行してしまう事にある。


「テメェら、今度こそ喧嘩騒ぎ起こした本人としてお縄についてもらうぞ!」


 そう叫びながらリクスウが最初に選んだ標的は、一番に逃げようとした男。


 リクスウは床を蹴りつけるように跳躍し一気に間を詰めると、男の襟首を掴んで引き戻す。そして、男が悲壮な表情を浮かべて振り返るのに合わせて、渾身の右拳を……。


「……どこのどいつか知らねぇが、邪魔しねぇでくれるかい?」


 隻眼は憎き男の顔を捉えたまま、リクスウは振り上げた拳を掴んでいる者に言い捨てた。


「そうもいかないだろう」


 乱闘騒ぎに熱くなる酒場の中にあって涼しげな落ち着いた口調で返す青年の声。リクスウは、背中越しに響く声の主に戦慄を覚えた。


(こいつ……。何者か知らんが、全然気配が感じられねぇ……)


 カリュウの町での乱闘騒ぎで虎霊トウコウに対する誤解からタイコウと対決する事になった折、不覚にも警備隊の介入を許して取り押えられる事になった。怒りに任せて警戒を怠り、気付くのが遅れたのが一番の要因。


 それもあって今回は乱闘騒ぎが発生してからというもの、酒場内の気配は探っていたはずだった。それにも関わらず、今回も青年の接近を許し、あまつさえ拳を捕られるまで全く気付く事も無かった。リクスウはもちろん、彼に取り憑く虎霊トウコウでさえだ。


「見た限り決着は付いている。これ以上は弱者をいたぶっているだけにしか見えない。直に警備隊が来る。今ここでその者を放し、この拳を下ろすのならば、此度の喧嘩は貴公に詰め所で一晩反省してもらう程度に済ませるよう私からも進言するが、いかがか?」


「って、ちょっと待てー!」


 背後の青年に言われたからではない。いや、勧められたからではない。彼の勧めには納得していないが、その言いようが我慢ならずに、リクスウは男の襟首を掴んだ手を放して振り上げていた拳も下ろして背後の青年へと向き直った。


「黙って聞いてりゃ、それじゃあ俺がこの喧嘩の首謀者みたいじゃねぇか!」


 一応言いたい事は言った上で、リクスウは青年の姿に隻眼を見開く。


 背格好も髪型もリクスウと大差無い青年。


 リクスウが目を見開いた理由の一つは、その装束。厚手の外套に身を包んだその下の衣服には、枷のような鎖が幾つも巻き付けられている。おまけに目元をしっかりと覆い隠すように巻き付けられた深紅の布。


(コイツ、目が……)


 青年の目が見えていないというなら、青年は先程リクスウの気配だけでその手を掴んでのけたと言う事になる。少なくともリクスウには成し得ない芸当で、一体どれほどの鍛錬をすればその域に到達できるものかは計り知れない。


 そして、青年に手を掴まれて以来感じていた違和感は、対面してみる事で改めて感じる事になった。


 リクスウの眼前の青年からは、殺気や闘気はもちろん、人でなくとも生物ならば発するであろう生気、霊気さえ感じ取る事が出来ない。トウコウの力をもってしても、欠片も感じられない。それ故か、青年はリクスウの前に立ちながら、そこにいないのではないかとリクスウに錯覚させていた。


 そんなリクスウの困惑に気付いているのかどうか。青年はふむと唸る。


「違うのか?」


「違う! 全く、まーったくもって違う! ったく、横からしゃしゃり出ておいて勘違いとは、お前は一体何様だ!」


 得体の知れない青年を怒鳴りつけるリクスウ。その周囲の席から「おい、あそこ、レイザン様だ……」「レイザン様がいらっしゃっているぞ……」「あの男、レイザン様に向かってなんて無礼な……」と御丁寧に青年の名を囁く声が聞こえてくる。


(こいつも『様』付きか。全く、まーったく、人が多いといろんな輩がいやがる……)


 レイザンと呼ばれる青年の正体を測りかねて溜息を洩らすリクスウ。


「む、私か? 私はレイザンと申す者。拝紫教教主メイケイ様の……」


 鎖男レイザンが名乗りを上げる中、先程までリクスウに捕まっていた男が好機とばかりに逃げ出す。


「あ、テメェ! 誰が逃げていいと……!」


 不意を衝かれて慌てて男を追うリクスウ。いくら出遅れたと言えども、脚力で勝るリクスウが追いつけないものではない。


 だが……。


「人の名乗りも聞かず。あまつさえ喧嘩の再開とはな……。先程警告はしておいたぞ」


 またもや気配も無く背後に立ったレイザンによって、リクスウは酒樽に向けて放り投げられた。


~次回予告、リクスウ語り~


ついてねぇ。全く、まーったくついてねぇ。

不覚にもレイザンとかいう野郎に捕まった俺は、詰め所の牢屋で野郎の正体を知った。

そして、牢屋に訪れたレイザンから教主メイケイに力を貸せと頼まれる。

うーん、俺だって河を渡れねぇのは困るしなぁ。

タイコウ達や困ってる旅人、行商人の為にも、俺が一肌脱ぐしかねぇか。



またもや陰気な牢の中、突如出された救いの手。

紫髭の乱れを正せる者は、隻眼道士ただ一人。

俺がやらずに誰がやる!


次回『第十四章 紫髭開放』に乞うご期待!


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