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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第一章 錫杖老師 弐

「タイコウ。すまぬが杖を拾ってくれぬか」


 言われたタイコウはさっき足を滑らせた杖を掴む。


 よく見ればその杖は錫杖だった。錫杖を持ち上げると、先端についた金輪がシャランと軽やかな音を立てる。


「鉄冠子は僧侶でしたか……」


「当たらずとも遠からず、かの」


(どういうことだろう?)


 疑問符を頭に浮かべつつ、鉄冠子にわたすべく錫杖を向けた。


 しかし、老人はタイコウの持つその錫杖を受け取ろうとしない。


「そいつはおまえさんに譲ろう」


「はい?」


 理解しかねて問い返す。


「杖をおまえさんにやると言ったんじゃ、タイコウ。おまえさんの事じゃから、それを貰ったからといって、ワシを信じようとはせんじゃろうが……」


「かえって怪しみますよ」


 言ってもう一度錫杖を受け取るよう鉄冠子に促すが、彼は首をゆっくり横に振った。


「目に見えぬ力が有るか無いか。それが見えたからとて人でないと決め付けるのは、いささか早計というものじゃ。人の中にも見えてしまう者はおるんじゃよ。おまえさんにもそれを体験してもらおうと思っての」


(どういうことだろう?)


 新たな疑問符を頭に浮かべつつ、鉄冠子の錫杖に視線を向けた。


「試しに雪割りを見てみい」


 言われるがまま、錫杖から雪割りへ視線を移していくと……。


「うわぁ!」


 タイコウは悲鳴を上げて雪割りの入った荷袋を投げ出した。


 雪割りから青白い煙が上がっているのだ。


「どうじゃ、少しは信じる気になったか?」


 慌てふためく青年の様子に、さも愉快そうにフォッフォッと笑う老人。


 ムッとした表情で鉄冠子を一瞥したタイコウは、改めて荷袋を見た。


 雪割りからは、さっきと変わらず青白い煙が立ち昇っている。刀の柄に手を近づけても熱は無い。思い切って鞘ごと荷袋から引っぱり出すと、青煙は雪割り全体から上がっていた。


「……鉄冠子、これは?」


「その刀、雪割りには何かしら力があると言うたじゃろう。そして、おまえさんの持っておる錫杖自身も、力を持っておる。邪を討ち、闇を祓う覇気という力をの。蛇の道は蛇とでも言うのかのぉ。覇気を持つ錫杖は、同じ力を持っている雪割りの気を見抜いた。そして、おまえさんは手にした錫杖を通じて雪割りの覇気を目にする事が……これ、聞いておるのか、タイコウ?」


 鉄冠子のその問いかけさえも、満足に聞こえていないらしい。


 タイコウは呆気に取られて雪割りと錫杖を見比べている。


「タイコウ。これ、タイコウ。いつまでも呆けておるでない」


 何度か名を呼ばれて我に返る。だが、その表情からは、未だに驚きが消えていない。


「ワシの言うた事をちゃんと聞いておったのか?」


「つまり、すごい杖とすごい刀ってことですか」


「……まあ、根本的な部分はおおむね理解したようじゃな」


 鉄冠子は一つ溜息をつく。


「さて、そろそろ迎えが来たようじゃ」


 ドッコイショの掛け声と共に老人が腰を上げる。それに気付いたタイコウは、弾かれたように彼の方を向いた。


「え? あ、ちょっと鉄冠子。錫杖を」


 ヨタヨタと歩き出す鉄冠子に、慌てて手にしている錫杖を渡そうと立ち上がる。だが、鉄冠子は錫杖に見向きもせず木戸に向かって歩いていく。


「おまえさんに譲ると言っとるじゃろうに」


「そんな。見ず知らずの人から、おいそれと物を貰う気はありませんよ。僕は、オウシュウ先生が作ったこの雪割りに不思議な力があるとわかっただけで充分です。この杖はあなたにお返しします」


「やれやれ、しつこい男は嫌われるぞい」


 木戸の前に立ったところで鉄冠子は立ち止まって振り向くと、困ったようにタイコウに言った。


「しかしですね。こんな大そうな物を受け取るのは、さすがに……」


 タイコウの言葉はそこで詰まった。


 鉄冠子が言っていた迎えの者が木戸を開けたのだ。


 もちろん、それ自体に言葉の詰まる理由は無い。問題は開けた者の風貌だった。


「鉄冠子。お迎えに上がりました」


 そう言ったのは迎えその一の人物。やたらと背が高く、細身の体を漆黒の装束で包んだ男だった。戸を越える上背の為、木戸の前に立つ老人に向かって片膝をついたその時まで彼の顔は見えなかった。淡々と話す口調、白い肌、細長い目、どれをとっても冷たい印象を受ける。彼の冷ややかな雰囲気にタイコウの口がこわばったらしい。


「表に馬車の容易が出来ており……そちらの方は?」


 鉄冠子に尋ねたのが迎えその二の人物。膝元まである長い黒髪を持つ女性だ。深紅の装束を着た彼女は、黒装束男と同様片膝をつきながら美しい顔をタイコウに向ける。彼女の美貌にタイコウの声が詰まったらしい。


「カンジュ、シェンリー、二人ともお迎え御苦労じゃったな。この者はタイコウという。ここで雨宿りする間に知り合うたんじゃよ。これがまあ、実に疑り深い男でのぉ」


「鉄冠子。雨の中を、馬車で待っているシェンコウまで風邪がひきます。お早く」


 タイコウの紹介もそこそこに、カンジュと呼ばれた男が鉄冠子を急かす。


「わかっておるわい」


 カンジュとかいう人の話だとどうやら迎えその三もいるらしいな、などとぼんやり考えているタイコウの注意を引くように鉄冠子が咳払いを一つ。


「タイコウ、悪鬼邪妖はおまえさんが向かうコウランだけに現れておるわけではないぞ。木陰、岩陰、人影と闇を渡ってこのホウ大国にどんどん広がり、それこそ今こうしてワシらが話しておるこの地にまで広がっておるのじゃ。おまえさんの持つ雪割りがそれらを断ち切り、再び平穏の世になることをワシも願っておるよ」


 老人の言葉にただ無言で頷く。


魯智(ろち)はおまえさんが無事にコウランに辿り着くための、言わば餞別じゃな」


「鉄冠子……」


 再度急かすカンジュの声に、老人が大げさに溜息をついて見せた。


「わかっておると言うに。やれやれ、せっかちな男は嫌われるぞい」


 ブツブツと文句を言いながら歩き出す鉄冠子。迎えのカンジュとシェンリーも、タイコウに一礼すると老人に続いた。


 この廃屋に雨宿りに駆け込んでからの急展開に頭が追いつかず、しばらくぼんやりとしていたタイコウ。我に返ると廃屋を飛び出し馬車に向かう老人を呼んだ。


「鉄冠子。ロチってなんのことですか?」


 雨の中立ち止まった老人は、振り返ってタイコウの手元を指差す。


「ワシの……いや、おまえさんの持っておる杖の……名……フェックシュ! 名じゃよ」


「さあ馬車へ、お風邪をひかれますよ」


 カンジュとシェンリーに促され、鉄冠子は再びヨタヨタと歩き出した。


「魯智……」


 右手の中にある錫杖に視線を落とす。少し持ち上げた拍子に金輪が揺れ、シャランという軽い金属音が雨音の中に響き渡った。


 なんの変哲も無さそうな錫杖と、左手には今もなお青白い煙を上げている雪割り。

 しばしぼんやりと左右の手の中の物を見比べていたが、ふと思いついた事を言おうと顔を上げた。


「鉄冠子、僕もその馬車に乗せてはもらえませんか。どこか民家のあるところまでで構いませんから……」


 言ってから、もう目の前には誰もいない事に気がついた。雨音に消されたのか馬車の走る音さえ聞こえない。


「遅かった……か。仕方ない。今日はこのままここに厄介になるか」


 振り返って廃寺を眺めると一つ溜息。それから改めて雨から逃げるように、その中へと駆け込んだ。


 老人がどこかへと行ってしまった今、寺の中は本当に誰もいない。置いてけぼりをくったタイコウのランプが、ただ黙々と周囲を照らすのみ。


「フェックシュ!」


 今度のクシャミは、間違い無くタイコウのものだった。


 クシャミが出るのも無理は無い。鉄冠子との遭遇で、濡れた服を乾かす事もすっかり忘れたままだったのだ。


 タイコウは魯智と雪割りを壁に立てかけると、濡れた上着を脱いで魯智にかける。服の下でガチャガチャと鳴る錫杖の金輪が、冷たいと文句を言っているような気がして妙におかしくなった。


「魯智、キミは風邪をひかないだろ。服が乾くまでの間だけ我慢してくれ」


 上着越しにポフッと錫杖を叩きつつ言って聞かせ、自分も座り込んで壁に背を預けた。


 鉄冠子という老人。知らないうちにそこにいたかと思えば、怪しげな供を連れてどこかに消えた。まったくもって不思議な人だ。


 不思議と言えばこの錫杖もだ。鉄冠子が言うところの魯智。最初はドタバタして気が付かなかったが、持った時ほとんど重みを感じなかった。今は上着に隠れて見えないが、金輪の下がっている先端は、随分細かい細工がなされて立派なもの。ひょっとして高価なものではないだろうか。


「今日の雨は、随分と妙なものを振り落としてきたな……」


 外では未だに止む事を忘れているかのように、雨が降りつづけている。留まることのない雨音を聞きながら、タイコウは目を閉じた。


 不思議な老人との出会いに気が疲れていたのか、目を閉じていると自分が眠りに落ちていくのがよくわかる。


 目が覚める頃には、この雨はもう止んでいるだろうか。


 思考が途切れる寸前、考えていたのはそんな事だった。




 眠りについてから大して時もたたぬうちにタイコウは目を覚める事になった。


 全身を襲う寒気。体の内面から滲み出てくる吐き気にも似た不快感。


「……風邪ひいたかな」


 そうは思ったがどうにもおかしい。


 熱は無いようだし、クシャミ鼻水もなし、喉に痛みがあるわけでもない。頭がぼんやりする事も無く、むしろ冴えてさっきまでの眠気もかき消すほどだ。


(風邪じゃない? いや、むしろ自覚できないぐらい重態とか?)


 ずり落ちそうになっている背中を、改めて壁にもたれさせて考える。


 ズズッ……。


 不意にどこからともなく響いた音に、タイコウがビクリと体を震わせた。


(何の音だ?)


 驚きに固まっている体はそのままに、何も見逃すまい何も聞き逃すまいと、意識を目と耳に集中させる。


 目だけ動かして見回した部屋には何も変化は無い。ランプの灯が何も無い部屋を照らしているだけだ。


 耳をそばだて周囲の音をかき集める。聞こえてくるのは廃寺の外で未だに止まず降り続けている雨の音、自分の動悸、体を動かした拍子に聞こえるかすかな衣擦れ。


「幻聴まで聞こえてきたとは、これはいよいよもって重態らしいな」


 壁から背を離し、床に丸くなって眠り直す体勢に入った。


 ズズッ……ズズッ……。


 再び聞こえた音にタイコウが跳ね起きた。


 空耳ではなかった。外から何か引きずるような音が聞こえている。


 何か重い物を引きずっている。そんな音だ。心なしか近付いている。


(熊、虎……化け物とか?)


 どれにしても襲われるのは勘弁だ。


 タイコウはそそくさと魯智に引っ掛けた上着を着直すと、再び外の音に意識を集中させる。


 引きずるような音が次第に大きくなる。やはり近付いている。


(どうしよう。何がいるかわからないけど、こんなところで襲われて命を落としている場合じゃないのに……。コウランまで雪割りを届けなきゃいけないんだ。化け物退治の刀を運ぶ僕が、こんなところで化け物にやられるわけには……)


 そこまで考えると、弾かれるように視線を移した。


 視線の先は荷袋から顔を出している雪割り。


(そうか。雪割りだ!)


 謎の老人鉄冠子が言うには、この刀には間違い無く覇気と呼ばれる破邪の力があるのだ。それがどれほどの力なのかはわからないが、化け物にも通用するかもしれない。


 外にいるのが化け物じゃなく熊か虎あたりでもこの刀は有効だ。包丁、鋏の類を作らせたら国内屈指と称される鍛冶屋オウシュウの刃物は切れ味がいいのだ。試し切りに大根を切った時も、文句無しだった。


(この状況を乗り切れないようなら、雪割りも所詮その程度の刀。献上したとしても、ただホウ王を嘆かせるだけの、なまくら刀ってことになる)


 魯智が見せた雪割りの不思議な青白い気を思い出し、刀の力を信じる事にする。


 タイコウは荷袋から雪割りを引き出し、柄に手をかけた。


「……勝手に使ったらオウシュウ先生は怒るだろうか」


 ふと迷いが生じたが、廃寺に迫っている音にすぐさまかき消された。


 今を生き延びねば、コウランへの道はここで終わってしまう。


 そう自分に言い聞かせると、柄を握る手に力を込めた。


「……あれ?」


 緊迫した状況にタイコウの場違いに抜けた声が響いた。


 気を取り直してもう一度柄を握り……。


「……抜けない」


 その言葉とともに、タイコウの体中から冷たい汗が吹き出した。


 言葉どおり、雪割りを鞘から引き抜くことができない。


 鞘と柄とを握る手に、力を込め直して思い切り引っぱってみるが、彼の望む結果は引き出せない。


「嘘だろ!」


 思わず叫んでいた。


 いよいよもって引きずる音は近付いてきている。タイコウは渾身の力で柄を引く。


「なんで! おい、ちょっと! ホントに危ないんだよ! 頼むから!」


 やはり鞘から抜き出す事が出来ない。


 力むうちに止めていた息を溜息に変えて吐き出した瞬間、轟音とともに入り口の木戸が突き破られた。



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