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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第十二章 虎相童子 弐

「虎って、あの虎?」


「タイコウの言う虎ってのがどれかは知らんが、生憎俺は虎と言われればあの虎しか思い浮かばねぇよ」


 困り顔で尋ねるタイコウに、リクスウは真顔で答える。


「女の子が……その虎に?」


「オウメイが言う虎ってのがどれかは知らんが、信じ難い事にガキがその虎に化けたんだよ」


 信じられないという顔のオウメイに、リクスウは信じてくれと目で訴える。


「でも、虎って……女の子だったんでしょ? そんなバカな話が……」


 苦笑いするタイコウ。


 そして、そんな彼をリクスウは苛立たしげにねめつけた。


「クドイ! 俺が捕まえた時は、間違いなく赤毛のガキだった! んで、捕まえている腕がやけにもじゃもじゃするなと思って見たら、俺の腕の中で赤い毛並みの虎に……」


 詳細を説明し出すリクスウ。その講釈が始まるや否や、タイコウが一人納得してポンと手を打った。


「ああ、だからもじゃ子……」


「もじゃ子に納得する前に、ガキが虎に化けた事に納得しやがれ!」


 がなるリクスウ。それでも旗色が悪い。およそ信じがたい話をするリクスウを囲んだ一同は、どうしたものかと困り顔を寄せ合うばかりだ。


「夢でも見たんじゃないかなぁ。人が虎に化けるなんて話は聞いた事が無いよ」


「嘘つけ、タイコウ。お前は俺から聞いたし、その目で見たはずだ」


 困り顔集団を代表して口を開いたタイコウに対し、リクスウは自分の背中を指し示して反論する。


 タイコウだけでなく、オウメイや村人達もリクスウの指差した位置へ視線を向けるが、何が見えるわけではない。指し示した場所はただの虚空で、その先には木板の並ぶ壁があるだけだ。


 ただ、タイコウは彼の言いたい事に察しが付いて口を噤む。


 リクスウの背後。魯智を持っていないタイコウにも今は見えないが、そこにはリクスウの先祖であるトウコウの霊がいるのだろう。


「トウコウ……」


 そう呟くオウメイにも見えてはいないが、気の扱いを心得ているだけあってトウコウの霊がそこに居る事は感知できる。トウコウの身なりも聞いている。


 確かにトウコウは人でありながら、亡霊となった今では虎の相と赤い毛並みを持っている。だが……。


「それは、生きていた時の気性が虎のようだったから、亡くなってからその気性が顔に出たんじゃないかって言っていただろう?」


 言い返すタイコウにリクスウの顔が引きつる。


 確かに、タイコウの言った話は自分自身の口で説明した事だ。これでは虎に化ける少女の存在を証明するには些か効果が薄い。


「そりゃあ、おまえ……。死んで虎になる奴がいるんだから、生きたままで虎になる奴だっていてもいいじゃねぇかよぅ……」


 苦し紛れに言うが、多勢に無勢。疑いの視線を押し返すだけの力は無く、リクスウ自身も昨晩の記憶が揺らぎ始めている。


 ひょっとしたら、タイコウの言うように夢でも見たのだろうか?


 リクスウがそう思い始めた矢先に、彼に助け舟を出す者が現れた。


「以前立ち寄った村で、虎人と呼ばれる種族の伝承を聞いた事がある。今の話は、あながち夢物語とも言えぬな」


 小屋の戸口から響いた低く力強い男の声に、皆一斉にそちらを向いた。


「デイコウさん?!」


 突然の来訪者に驚きの声を上げるタイコウ。


 大刀虎王牙の使い手。ホウ大国三大道士の一人。生きる伝説。小さな巨人。古ぼけた鍛冶屋の小屋の戸をくぐってきたのは、道士デイコウだった。


 彼の登場に驚いたのはタイコウだけではない。オウメイやグエン、ホクシュンも、デイコウに驚き戸惑いを見せる。


 ただ、リクスウだけは不機嫌そうに眉根を寄せた。


「んだよ。オッサン、アンタか。何の用だよ……」


「ちょ、兄ちゃん! 道士様になんて口の聞き方してんだ!」


 不貞腐れるリクスウを慌ててグエンが嗜める。


「タイコウ君に頼んでおいた虎王牙の研ぎが、そろそろ終わったかと思ったのでね。小屋に着いたは良いが、何やら奇妙な話になっていたようで……」


「全く、まーったく、道士様ともあろうもんが盗み聞きかよ」


 恐れ知らずとも思えるリクスウの言動に村人二人は青褪めた。だが、当のデイコウは青年の物言いに不快を示す事も無い。むしろ、自分に非がある事を素直に認めて小屋の者達に向かって頭を下げる。


「いや、すまない。悪いとは思ったのだが、どうにも気になったものでな。つい、立ち聞きしてしまった」


 デイコウを前に、オウメイは愕然とした。


 噂に聞く偉人が容易く頭を下げた。という事に対してではない。どうやら、そういう意味での驚きはグエンとホクシュンが担当しているらしいが、とにかくオウメイは違う。


(樂葉……)


(いや、驚いた。全然気ぃつかへんかったわ……)


 いくら話に夢中だったとは言え、オウメイはおろか樂葉さえデイコウの存在に気付いていなかった。流石は三大道士といったところか。


「あの……いつから?」


 オウメイは恐る恐るといった様子でデイコウに尋ねる。


「もじゃ、がどうとか……」


 いつの『もじゃ』だ。


「んで、オッサン。さっきの伝承の事だが、そりゃホントか?」


 助け舟の出所に不満があるものの、それでもリクスウは確かめるようにデイコウに尋ねる。デイコウは僅かだが、はっきりと頷いてみせた。


「儂自身が目にした事は無いが、実在したらしい。もっとも、遥か昔にその種族の血は途絶えたとも聞いたがね」


 リクスウは救いの手に突き飛ばされたような錯覚を覚えた。


 せっかくの噂も過去の事ではトウコウの話と大差無い。


「それ、やっぱりいないって事じゃねぇのか?」


 淡い期待を裏切られて不機嫌さを増すリクスウに睨まれたが、デイコウは萎縮する事もなくヒョイと自分の掌を開いて見せた。


「先程、立ち聞きしている間に見つけたものだ」


 そう言われ、タイコウ達は彼の手の上に乗るものを凝視する。一見、何も無いかに見えたデイコウの掌にあったものは一本の髪の毛。


 タイコウやグエン達よりも長く、さりとてオウメイほどではない。長さだけならリクスウの髪に近いが、そもそも色が明らかに違う。デイコウが拾ったという髪の毛は、朝の日差しの中で鮮やかな赤い色を帯びていた。


「この村に住む者の髪とは違う。おそらく彼の装束に付いていたものが落ちたのだろう」


「赤毛の女の子は間違いなくいたわけか……」


 目を細めてデイコウの手元を見ていたタイコウの呟きに、リクスウは大げさに溜息をついた。


「全く、まーったく、ようやくガキがいた事を認めたか、タイコウ」


「うん。その、疑ってゴメンね、リクスウ」


「なーに、いいってことよ」


 肩を落とし頭を垂れるタイコウに、そう言って立ち上がるリクスウ。彼は先程まで気を失っていた事を忘れたように、力強い足取りで戸口に向かって歩き出す。


 タイコウは慌ててリクスウの進路を塞ぐように彼の前へと立った。


「リクスウ、いったいどこへ?」


「ガキはいた。夢じゃなかったんだ。なら、後はそのガキを捕まえて、虎に化けるかどうか確かめりゃいい。そうだろ?」


「それは、そうだけど……」


 名案だろうと自慢げに言うリクスウだが、対するタイコウの顔色は優れない。


 確かに赤毛の少女の話が本当なら、虎に変じる事も本当かもしれない。ただ、リクスウと共に虎に化ける女の子を探すとして、どこを探せばよいのか?


「確かに、少女を探し出すのが一番だな。二日続けて村の近辺に姿を現しているとなれば、そう遠くに潜んでいるわけでもない。興味深い話だ。儂も手伝わせてもらおう」


 悩むタイコウを他所に、リクスウの提案に一番に乗ったのはデイコウだった。


「でも、デイコウさん。探すと言っても、どこを探すんですか?」


 タイコウと同様の問題で行き詰っていたオウメイの問いに、デイコウは手にした髪の毛を摘んで見せた。


「手がかりはある。失せ物探しも道士の生業の一つなのでな」


 言いながら懐から出した布切れで髪の毛をくるむ。


「なーる、流石に本職の道士だ。便利なものを持ってやがらぁ」


 デイコウの作業を見守る一同の中で、いち早く彼の所作の意味を知ったリクスウがニヤリと笑みを浮かべる。


「どういうこと?」


「指南車とかいう奴だろ、オッサン?」


 その不遜な物言いが出るたびに顔色を青くするグエンとホクシュンをよそに、リクスウは無遠慮にデイコウが再び手を入れた懐を指差して問う。


「詳しいな……」


 デイコウは感心したようにリクスウを見て笑みを浮かべると、改めて懐から手を出して見せた。


 デイコウの分厚く硬い手にあったのは掌に収まるほどの小さな台座と、親指ほどの小さな人形。


 琥珀色の石を細かく削り込んだその人形の姿は、世に出回る大国演技の書を目にした事がある者なら察しが付く姿をしていた。大国演技の作中に挿絵としてよく描かれているホウ大国成立の立役者、軍師コウタツ。彼を模した人形であり、挿絵の姿と寸分違わず戦の勝利を導き示すように手にした鞭を眼前へと振りかざしている。


 手にした台座に布でくるんだ髪を置いたデイコウは、さらにその上へ重石のように人形を乗せた。そして、彼はその太い指からは想像できない素早い所作で二つ三つと印を結んでいく。


「山海の標。砂塵の跡。天星の記憶。流れ流るるは古よりの理。なれば問う、彼の流れは何処に在りや。なれば請う、我が導き手とならん事を」


 低く太く響くデイコウの重い声に一同が息を呑み、そして彼の手元を見て目を見開いた。


 手にした鞭で彼方を指し示していた人形がゆらりとその身を揺らし、やがて台座からふわりと浮き上がる。


「これは、たまげた……」


 唖然として開いたままのグエンの口から声がもれる。台座の上でゆらゆらと揺れ動いていたコウタツを模した人形は、ゆっくりと旋回し手にした鞭でグエンを指し示した。


 人形の所作に自然と一同の眼がグエンへと向く。


「……え? 俺が何か?」


 古の天才軍師コウタツに指され、周囲の視線を一身に浴びたグエンは、さも居心地が悪そうに皆の顔を見回した。落ち着かない顔の彼に、道士デイコウと道士まがいのリクスウがそうではないと首を振ってみせる。


「いいかい、旦那。指南車ってのは持ち主によって形は異なるが、用途は総じて一つ。人や物が持つ気を手繰り、そいつの行方を探る道具なんだ」


 グエンというよりは、この場にいる者全てに向けて説明するリクスウ。もっとも、当のリクスウもデイコウの手にした人形と台座、指南車を見るのは初めて。当然、指南車が動くのを目の当たりにするのも初めてだ。


「オッサンは指南車を使って、赤髪の持ち主であるもじゃ子がどこにいるかを探そうって腹なんだよ」


(指南車いうんは、基本的には印と呪詛だけでも発動できるんやけどね。まあ、媒介があったほうが気は探りやすいから、その分早く見つけられるんよ)


 リクスウの講義を大人しく聴いていたオウメイの意識下で、樂葉が注釈を入れてくる。


(樂葉、知ってたの?)


(知らいでか。ウチがメンサイ村の池の底を封じるより前から仙道はあったんやで。それにしても、仙道の術は昔とそう変わってないんやねぇ)


 しみじみと語る樂葉の声を聞きながら、オウメイは再び指南車へと視線を移す。


 グエンが一同の視線から逃れるように立ち位置を変え、それでも指南車は元々彼のいた方角を向いたままだ。


「この先と言うと、山裾の森の中にでも隠れてんのかねぇ」


「まあ、あの森なら隠れるところには事欠かねぇものなぁ」


 指南車の指す方角。小屋の壁のその先を思い描いたホクシュンとグエンの声にリクスウはタイコウに向き直り、タイコウはリクスウが何事か言おうとする前に諦めの溜息をついた。


「雪割りの研ぎなら、もう終わってるよ」


「よっしゃ!」


 タイコウの言葉にリクスウは力強く頷き、そのまま鍛冶場へと走り出す。その背中を眺めながら、タイコウはもう一度溜息をついた。


 リクスウがタイコウに言おうとしたのは、きっと今すぐ少女探しに出発しようという提案だっただろう。そして、それはタイコウが止めても聞き入れられない程にリクスウの中で決定していた事だ。その無鉄砲とも思える迅速な行動力と決断力は、感心もすれば呆れもする。溜息の一つも出るというものだ。


(そもそも、畑荒らしの一件は僕達三人で請け負った事なのだし、リクスウ一人に任せちゃったら悪いよね)


 リクスウ、デイコウと共に森に向かうと決めたタイコウ。オウメイに視線を向けてみれば、リクスウの先走りに苦い笑いを浮かべながらタイコウに頷いて返してくる。


「デイコウさん。僕とオウメイも一緒に行って構いませんか?」


「それは構わぬよ。ところで、虎王牙なのだが……」


「っと、そうだった。虎王牙の研ぎも終わっていますから取ってきますね。それとグエンさんとホクシュンさんから頼まれた分も」


 デイコウがこの小屋に来た本来の理由を思い出し、タイコウは慌てて鍛冶場へと駆け出した。



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