表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝剣道中  作者: 紫神川悠
35/55

第十一章 泥棒退治 壱

 錫杖、魯智。


 タイコウがそれを手にしたのは旅に出て間も無い頃。雨の森の中たまたま立ち寄った廃寺で、老師鉄冠子仙人に半ば押し付けられる形で受け取った。


 鉄冠子から魯智を譲られた当初はタイコウも困惑したが、魯智はその困惑を吹き飛ばすほどの活躍でタイコウの旅を補佐した。


 夜の森の中でタイコウが初めて遭遇した妖魔、樹木子を撃破。カリュウの町では突如出没した妖魔の群れを相手に引けを取らず、離れ離れとなった雪割りを見つけ出す。そして、山村メンサイでは魔人モウエンと死闘を繰り広げ、龍の姫葉鱗后樂葉やその盟友オウメイとともに村人を幻惑から解放。


 いつしか魯智は、タイコウにとって無くてはならない旅の共という存在になっていた。


 タイコウは視線を逸らし、その錫杖を視界の端に捉える。魯智は今、鍛冶屋見習い青年の手元にはなく、木の幹に体を預け夕日の朱色にその身を染めている。


(魯智を手にしていない事が、こんなにも心細いなんて……)


 魯智の代わりに手にした身の丈ほどの棍を握り直したタイコウは、内心の不安を吐き出すように小さく溜息をついた。


「おい、タイコウ。いつまで余所見してんだよ。全く、まーったく、やる気が感じられんぞ」


「うあ、ゴメン、リクスウ」


 抗議の声に、タイコウは謝りながら慌てて正面を向く。


 タイコウが真っ直ぐ前を見た先に立つのは、失われた部族コウハ族の末裔にして旅の仲間であるリクスウ。


(改めて向かい合うと、やっぱり強そうだな……いや、実際強いんだから、そう感じるのは当然か)


 不敵な笑みを浮かべるリクスウを前に、タイコウは躊躇いながらも棍を構える。


 数刻前の道士デイコウとの思わぬ出会い。ホウ大国でも指折りの実力者である彼との邂逅は、若い青年二人に少なからず影響を与えていた。


 タイコウはデイコウの持つ大刀、虎王牙を目の当たりにし、それを自らの手で研ぎ直す機会を得た。


 作者不明とはいえ、その大刀はデイコウと共に生きる伝説となっている。そのような武具を手にする事など、生涯辿ってもそうそうありはしない。鍛冶見習いのタイコウにとって、名も知れぬ名工の業を見習い、その技術を盗む絶好の機会だ。


 リクスウはデイコウの実力を直接肌で感じた。


 直接デイコウと拳を交えたわけではない。背後からの不意打ちを試み、道士のただの一喝で止められた。踏み込んだリクスウが放つはずの次の一手が、彼の考えうる全ての手が、その一喝で無駄だと悟らされた。それほどに力の差を感じてしまった。


 しかし、リクスウはそれで強さを諦めるほど潔くは無い。その遥か彼方の武の高みに対し、挑み甲斐があると昂ぶる心に身を震わせた。


 道士デイコウに心躍らされた青年二人。


 そして、デイコウが去った後の意気込みのありようは、隻眼の青年リクスウに軍配が上がった。体を動かしたくて仕方ないリクスウに、タイコウは組み手という形で付き合わされる事になったのである。もっとも、最初にリクスウに武術の鍛錬を頼んでいたのはタイコウ本人。願ったり叶ったりとも取れる話ではあるが。


「どうしたタイコウ。突っ立ってないで打って来い。こっちは朝から立ちっぱなしで、いい加減ウンザリしてんだぞ」


 大刀虎王牙の研ぎを望むタイコウと、鍛錬に励みたいリクスウ。その意地の勝敗を最後に分けたのは、リクスウの立禅で堪った鬱憤かもしれない。


「わかってるよ。わかってるけどさ……」


 急かすリクスウに応じるタイコウ。だが、声だけで手元足元に動く気配は無い。


(踏み込む隙が見当たらないんだよなぁ……)


 棍を構えるタイコウに対し、素手な上に構えさえろくにとらないリクスウ。それでもタイコウは、リクスウが道士デイコウに感じた以上の技量の差を感じさせられていた。


 リクスウが相手となれば、錫杖魯智を手にしていても勝てるかどうかは怪しいものだ。それを只の棍一本でどうにかできるとは思えない。


 タイコウの出だしを待つリクスウと尻込みするタイコウ。睨み合いを続ける両者の間を吹きぬけた風に落ち葉が舞い、何処かへ飛び去る。


(勝てなくて当然……だよね。玉砕覚悟でやってみるか)


 長考の末、ようやく決心を固めたタイコウの手に僅かに力がこもる。だが、それより先に痺れを切らしたリクスウが動いていた。


「来ねぇのか? 来ねぇんだな。なら、俺から行くぞ」


「え?」


 言い終わるかどうかの間際、地を蹴ったリクスウはタイコウが瞬きする間もなく目の前へと迫る。


「うわぁっ!」


 一瞬でリクスウに間を詰められ、慌ててタイコウが棍を突き出した。だが、棍の先を軽くいなしたリクスウは、あっさりとタイコウの懐に潜り込む。そして……。


「破ッ!」


 覇気のある声と共に打ち出されたリクスウの拳打が、タイコウの腹を捉えた。


「……ッ!」


 声にならない悲鳴を上げながら宙を舞うタイコウ。


「この至近距離で突きってのはどうかねぇ。いや、悪いとは言わねぇが、そいつは踏み込みと打ち出しの速度があっての話だ。そんな遠慮がちにやってりゃ、当たるもんも当たらねぇぜ、タイコウ……って、タイコウ?」


 拳を突き出したままの姿勢で説教するリクスウ。だが、肝心のタイコウにはその言葉は届いていない。豪快に吹き飛ばされたタイコウは地に腰を打ちつけただけに止まらず、二転三転転がった挙句に魯智がもたれていた木に激突した。衝撃に錫杖は姿勢を保てなくなり、倒れた拍子に金輪が賑やかに音を立てる。


「あ……スマン。一応加減はしたつもりだったんだけどな……生きてるか?」


「ウッ……ゲホッ! ゴホッ! 死ぬかと……思ったよ」


 拾い上げた棍を杖代わりによろよろと起きながら、何度も咳き込むタイコウ。


 彼のあまりの弱りように流石にやり過ぎたと反省するリクスウ。それに対し、タイコウの放った言葉は彼の予想に反するものだった。


「よし。もう一回だ、リクスウ」


 そう言い放つタイコウに、リクスウが驚き目を丸くした。言葉と言うよりは、俯き咳き込むことをやめた彼の顔に、だ。


 タイコウの言葉は痩せ我慢ともとれるが、リクスウに向けた姿勢は違う。ふらついていたはずの両足はしっかりと大地に踏みしめ、青年の顔から怯えが消えていた。


「一体どうしたんだ? 急にやる気になったじゃねぇか」


 喜々とした表情で問うリクスウ。彼を真っ直ぐ見返すタイコウもまた、その表情を崩しリクスウに笑いかける。


「不思議だよ。こう言うと変に思うかもしれないけど。リクスウに手痛い一撃を食らったおかげで、ようやく覚悟が決まったんだ」


 苦笑いしつつ言うタイコウにもう一度驚いた顔を見せたリクスウだったが、やがて堰を切ったように大笑いを始めた。


「や、やっぱり変だよね。ハハハ……」


 リクスウの笑い声を嘲笑ととったのか自嘲気味に笑い返すタイコウ。リクスウはそうではないと言いたげに力強く首を振ってみせる。


「いやいや、おかしくねぇよ。全く、まーったく、問題無しだ」


「え?」


 リクスウの言葉が一瞬理解できずに、タイコウは思わず問い返す。


「迷うな悩むな。そいつは喧嘩の心得の一つだ。中途半端な気分で当たりゃあ、動きが鈍って勝てる喧嘩も勝てなくなっちまうもんさ。ならいっその事、一発貰って気持ち吹っ切って覚悟決めちまった方がいい」


「そういうものなの?」


「誰しもがそうだとは俺も思っちゃいねぇんだが。まあ、少なくとも今のタイコウからは余分な力が抜けたらしいな」


「そう……なのかな?」


 リクスウに言われ、タイコウは自分の体を見回した。生憎タイコウ自身は自覚していないようで、リクスウに向かって自信なさげに首を傾げてみせる。


(あれだけ派手に吹き飛ばされて怯えるどころか覚悟ができるとは、タイコウもいい度胸してらぁ。なかなかどうして、土壇場で気骨を見せてくれる面白い野郎だな)


 一通り笑い終えたリクスウの顔に残ったのは、いつもの不敵な笑み。静かに戦う構えをとるリクスウに合わせ、タイコウもまた棍を構え直した。


「それじゃあ、お望みどおりもう一回だ。ガツンと行くぜぇっ!」


「よし来い、リクスウ!」


 戦闘再開に吼えるリクスウに、タイコウもその気迫に負けず応じる。そして、同時に飛び出す二人。


 一気に拳打の間合いへと詰め寄ろうとするリクスウに向けて、先程と同様に棍を突き出すタイコウ。これまた先程と同様に振り払おうとリクスウが棍に手をかける。


(学習しようぜ、タイコウ……)


 リクスウの手が棍を押すその瞬間、一直線だった棍の軌道が歪んだ。いや、自ら軌道を変えていた。


(な……!)


 驚くリクスウの手を絡めとるように小さな円を描いたタイコウの棍。一周巡ってリクスウの手の甲を打ち据えた棍が、それを反動にしたかのように今度はリクスウの顔めがけて跳ね上がる。


 迫る棍に舌打ちしたリクスウ。次の一撃のために踏み込んでいた足に力を入れて自らの勢いを殺すと、身を仰け反らせて辛うじて棍の射程から外れる。


「ダァッ!」


 だが、タイコウの手はそこで終わらない。珍しく気合の入った声を上げたタイコウは手首を返し、振り上げた棍でリクスウの脳天を襲う。そして、それからも逃れたリクスウに対して今度は下からすり上げざまの突き。


 突きを捌いて再び前進を試みるリクスウだったが、立て続けに突き出される棍に否応無く後退を余儀なくされる。


 追い討ちをかけるように踏み込んだタイコウの突き一閃。後ろに大きく飛び退き間合いを開けたリクスウは、驚嘆を込めて口笛を吹いた。


 リクスウの言葉通り、覚悟を決めたタイコウは明らかに動きが良くなっている。


 だが、覚悟を決めたからと言っても、すぐさま強くなれるわけではない。


 魯智と共にいくつかの戦いに赴き、その戦闘の最中でタイコウが魯智から学んだ戦術があればこそ。そして、その体捌きがこなせるタイコウ自身の身体能力があればこそ。今しがたのタイコウの動きは、言うなれば戦う覚悟をした事で引き出された本来の彼。持ちうる戦術と身体能力を全開で活用した本当の実力。


「んだよ、タイコウ。ずいぶんと動けるじゃねぇか」


「いやー、ハハハ。自分でも驚いてるよ」


 責めるようなリクスウの褒め言葉に、タイコウは笑って応じる。笑ってはいるもののその笑い声は喜びに潤う事無く、どこか乾いていた。


(やっぱり、手加減されているよなぁ)


 当然と言えば当然の事に、タイコウは内心溜息をついた。


 タイコウにはわかる。眼前の青年が、その隻眼で自分の動きを見切っていた事に。自分は全力でも、リクスウには余力がある事に。


(なんだ。そんな事、最初からわかっていた事じゃないか)


 実際に打ち合って知った実力差に弱気になりかけたタイコウの心は、落ち込む寸前で止まった。


 最初からリクスウに勝とうなどと、思い上がりも甚だしい。彼は強く自分は弱い。弱いからこそ自分より強いリクスウに鍛錬を頼んだのだ。今はまだ弱く勝てなくて当然。彼と打ち合ううちに学び、鍛え、勝てばよい。


 タイコウは呼吸を整え、感触を確かめるように棍を一振り。


「よし! まだまだ行くよ、リクスウ!」


「応ともさ! かかって来やがれ、タイコウ!」


 棍を手に襲い掛かるタイコウに、リクスウもまた迎え撃たんと地を蹴った。


 夕日に照らされた青年二人の影が幾度と無く交錯し、倒れ、また起き上がってはぶつかり合う。


 空に宵の明星が輝き、それに続けとばかりに星々が瞬き出す頃、せわしなく動き回っていた二つの影がようやくその動きを止めた。


「ふむ、今日のところはここまでか」


 動かなくなった影の内一つ、リクスウは乱れた装束を整えながら満足げに頷いた。対するもう一方の影、タイコウは地面に大の字に寝たまま。呼吸が乱れに乱れ、ただただ肩を上下させる彼はリクスウの言葉に答える余裕も無い。


 タイコウは動かない四肢を休ませながら、やけに澄み切った頭でリクスウとの鍛錬を振り返った。


 何度もリクスウに立ち向かい、殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、打ち倒された数は十まで数えて止めた。打ち倒した数なら数えるまでも無い。一度足りとて叶わなかった。すなわち、立ち向かった数が打ち倒された数だ。


 リクスウの強さを、身をもって味わった。ここまで負けると悔しいどころか、いっそ清々しい。


「やっぱり……強いや……」


「なんのなんの。上には上がいるってもんだ」


 タイコウの賞賛をリクスウは軽く笑い飛ばす。


 次第に暗くなる空を見上げるリクスウがその空に描いたのは大国屈指の道士デイコウか、はたまた蛮勇の長であった彼の祖先トウコウか。


 リクスウを真似て空を見上げたタイコウだが、リクスウの視線の先は遥かに高過ぎて見る事も叶わない。


(まだ、精進は続くなぁ)


 苦笑いを浮かべつつ内心ぼやくタイコウ。そんな彼の視界が不意に暗くなる。


「ただいまー、ってどうしたの二人共?」


 聞きなれた声にタイコウが視線を下げる。もっとも、未だに大の字になったままの彼には見上げている事に変わりが無いが。


 タイコウの視界に影をさしたのは彼の仲間オウメイだった。大地に寝そべったままのタイコウと、鍬を担いだまま彼を見下ろすオウメイの目が合う。


「やあ、お帰りオウメイ」


「おう、オウメイ。野良仕事お疲れさん」


 オウメイの帰還をタイコウは力無く、リクスウは陽気に迎える。オウメイは二人を見比べ、何があったのかと不思議そうに首を傾げた。


「うん。ただいま、なんだけど……これは一体何事? 特にタイコウ、大丈夫?」


「ちょっとばかりリクスウから武術を教わって……いやー、勉強になったよ。アハ、アハハハハ……」


「これでちょっとぉ? 全身傷だらけでボロボロじゃないの!」


 弱々しく笑うタイコウは打ち身と擦り傷だらけ。オウメイは歩み寄るリクスウに鍬と手荷物を押し付け、タイコウに回復のまじないをかけるべく彼に手をかざす。


「うわぁ、この量はちょっと時間かかるかもね」


「いやー、タイコウもなかなか往生際が悪……負けん気が強くてな。それで、俺もつい力が入っちまって、アハハハハ……」


 笑って誤魔化そうとするリクスウだったが、オウメイの一睨みで沈黙。彼女から精神鍛錬の師事を受け始めてからというもの、どうにもリクスウはオウメイに弱い。


(ホホホ! 夕焼けに照らされながらドツキ合いの末、拳を交わした者同士の間で芽生える熱く赤く燃え滾る友情。タイコウもリクスウも若いわねぇ、男の子やねぇ。ホホホ、おばちゃん羨ましいわぁ)


 改めてタイコウの治療に入ろうとするオウメイ。その精神集中を掻き乱すように絶妙なタイミングで彼女の意識下で響く樂葉の声。


(樂葉も茶化さない! アタシの邪魔しない!)


 オウメイは内心で響く笑い声を怒鳴りつけると、リクスウへと顔を上げた。


「リクスウ、タイコウがこれじゃあ御飯当番は無理だわ。アタシはタイコウの治療があるし……」


 そこまで聞いて彼女の言葉の先を悟ったリクスウが嫌そうな表情を作る。


「ゲッ、俺か?」


「そ、よ。夕飯の仕度、よろしくね」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ